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狂宴が幕を開けた 【Ⅳ】

寝返りを打つときに違和感を覚え、瞼を開く。カーテンの隙間から覗く月明かりのおかげで、寝ぼけ眼でも物の配置を確認できた。視点を定めた奥に青白い壁やそこに掛けられたカレンダーがぼんやりと映ったが、仁の眠りを妨げたのはそんなものではなかった。

自分の首下から伸びた長い腕。見るからに柔らかそうな女子のそれとは違い、この二の腕からは硬質な筋肉と骨を感じる。更に肘から先、手の甲は角張り、長い指先は軽く曲げられている。

「スー……スー……」

項に熱い吐息がかけられることも、一週間も経てば慣れてしまった。けれどもそれは、この状況をやり過ごすのとはまた別の話だ。

腰に逆の腕を回されていないことを確かめると、昨年まで鳥羽の両親が使っていたクイーンベッドから抜け出し、静かに部屋を後にする。暖房のかかっていない廊下は服の有無関係なしに冷気を突き刺すも、幸い足下だけはスリッパのおかげで暖かい。厚みのある柔らかい素材の為、フローリングの上を歩いても音がしないそれは、杉林家にいたときから使用していたものだ。

向かった先のキッチンで透明なグラスに水道水を注ぎ、一気に呷る。唇の両端から水が零れるが、構わず喉を鳴らして流し込んだ。

「……ふぅ」

小さく息を吐きながらシンクの中にグラスを置き、覚束無い足取りでリビングまで歩きソファに沈む。そのまま上半身だけ横に倒し、タオルケット二枚を被り、床に落ちていたビーズクッションを掴んで胸に押し付ける。突付いたり揉んだりして手持ち無沙汰を誤魔化すように弄ぶが、仁の意識は掌の感触とは違うところにあった。

去年の大晦日から、仁は鳥羽と七回の昼夜を共に過ごした。三箇日まで熱の下がらなかった仁の看病をしてくれた点では感謝しているが、その仕方には明らかに問題があった。

粥やうどんといったものには甲斐甲斐しく息を吹きかけられ、ある程度熱を冷ましてから仁の口元に運ぼうとするので「一人でキッチンまで行って食べれる」と非難すれば、作られたものを取り上げられた。そして仕方なく自分で作ろうとすれば、キッチンの使用禁止を言い渡される始末。一緒に住むことになったとはいえ、所詮は居候の身。よほどのことを言われない限り文句は言えない立場なのだと、耳にたこができるくらい両親に言い聞かされたこともあり、例え反論しても体力を消耗するだけだと、鳥羽に差し出されるまま仕方なく機械的に口を動かした。

他にも、汗を掻いたからシャワーを浴びたいと言えば体を拭くと言い張られ、暫く口での攻防戦が続いた。これは家主、居候など関係ない。身の危険を覚えたのは確かで、喰うか喰われるか、そんな言葉が頭に過ぎったほどだ。そしてついに鳥羽が実力行使に出たので身を守ろうと手足をバタつかせた矢先、迷惑なくらい何度もチャイムを鳴らす宅配便がやってきた。結果、派手に連なる音だった為か鳥羽の拘束する力が一瞬緩み、その隙にバスルームに逃げ込み難を逃れることができた。……そのときには腹部まで釦を外されていたわけだが。

決定的におかしかったのは就寝時。風邪がうつったら大変だからと部屋から追い出したのだが、夜中ふと目を覚ませば同じベッドにいるのだ。その体勢といえば、腕枕に加え、腰に手を回された状態。さすがに悲鳴を上げて、ベッドから転がり落ちるまで暴れた。大いに眠気が残った機嫌の悪い彼は「大人しくしてろ」とドスのきいた声で仁の動きを拘束し、再び懐に抱え込んで眠りに着いた。おかげで小動物の如く震えるしかできなかった仁は、日が昇るまで生きた心地がしなかった。

そのように過ごす夜は熱の下がった今もなお続いている。朝食時に何度も自室で寝るよう苦情を訴えるのだが、鳥羽は頷かない。おかげで夜中に目が覚めるのが習慣となりつつある。幸いなのは騒がなければ鳥羽は起きないということ。目覚めたとき腕の中に閉じ込めていた抱き枕がないことに不満気な顔をするものの、仁が挨拶を返せば満足そうに笑む。どのみち仁は自分の手中にあるのだと納得するように。

下半身もソファに乗り上げ、仰向きになる。その拍子に時刻を確認したが、まだ三時にもなっていなかった。秒針が五の数字を過ぎて六を掠り、七、八を超えてやがて十二へと戻って、再び一の文字盤を通り越す。夜はまだ、更けたままだ。

手に持っていたクッションを枕代わりに耳の下に持っていくが、ビーズのサラサラした音よりも、一秒を進める音の方が大きく耳に届いてしまう。

ソファーで眠ることも、三日目となればもう慣れた。寝返りを打つことができないのは辛いが、幸い寝相は悪くない。それでも全身は凝るので、朝起きて最初にすることといえば体操だ。小学生の頃に戻ったようで少しこそばゆい気持ちになる。

あの頃は朝六時に起きて公民館に行き、鳥羽と並んでラジオから流れる音楽と言葉に合わせて体を動かしていた。それが終われば二人でボランティアの人からカードに判子を押してもらい、帰りがてら一緒に遊ぶ約束を交わしていたものだ。

何も分かっていなかったあの頃が、酷く恋しい。それでも、恐らくもう、手遅れだ。どれだけ態度に表しても、願っても、無邪気に笑い、共に駆け出す日は、もう来ることはないだろう。そう思えてしまうまでに、鳥羽は歪んでしまった。

そして仁も、以前の仁ではなくなってしまった。

眦からこめかみに一筋、濡れた感触がする。それを拭おうとしたが、体を動かすのが億劫だった。



いつの間にか閉じていた瞼の奥で、小さな鳥羽が虫篭を持った手を上げて、得意気に笑っていた。

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