狂気の螺旋 【Ⅰ】
餓えたハイエナが獲物を追い回し、極限まで体力を消耗させた上で捕らえ、爪を立てて皮を屠り、牙で肉を抉って、臓腑を喰らい、挙句骨を髄までしゃぶるといった執拗さ。
そんな例えが相応しい、異常ともいえる“彼”の独占欲。
その片鱗を嗅ぎ取ったのは、中学校に入学する前のことだった。
小学校低学年時、隣りの席になったのが切欠で、杉林仁は“彼”と親しくなった。
遊びに出掛けるときや行事のグループ分けで一緒になることが積み重なり、共にいることが当たり前となっていたならば、情の度合いは当然鰻上りとなる。それほどまでに、当時の二人は仲睦まじかった。
“彼”は活発で融通性がない為、目の敵にする同級生も少なくなかったが、それ以上に味方が多かった。短所をカバーできるほど、リーダーシップに長けていたからだろう。父親が有名な実業家であることや、小学生にしては端整な顔立ちをしているというのも、理由に挙げられるかもしれない。
だからこれといった特技もなく、根暗とまではいかないが、社交的では決してない仁とどうして一緒に居たがるのか、二人の級友は不思議がった。けれども二人を取り巻く友人達に“彼”と一番一緒にいる人物はと誰何すれば、間違いなく仁だと口を揃えただろう。
当の仁はというと、互いに一人っ子だからということに加え、二人でいるときにだけ、ときどきではあるが甘えられてしまわれるという理由で、弟のような友人だと捉えていた。それ以上でも、以下でもなく。強いていうなら、親友だろうか。
ともかく仁の“彼”に対するそんな認識も、桜の蕾が生った、あの初春までだった。
「仁、南中行くんだよな。俺も南に行くことにしたから」
寝耳に水だった。
高級住宅街の一角に聳え立つマンションの最上階に住む“彼”の家からは、仁が進学する麻生南中学校よりも、麻生東中学校の方が比較的近い。仁の家を更に越えた場所にある麻生南中学校は、“彼”のマンションから七キロは確実に超える。しかも生徒は徒歩通学強制である。
当然仁は麻生東中学校に行くことを勧めた。理由も口にせず、学区の異なる中学校に行きたがる息子に辟易しながら、帰宅時間や通学距離が長い所為で通り魔に遭遇する危険性などを考慮する“彼”の両親も、案の定反対を繰り返した。果てには麻生東中学校に通う予定の同級生にまで説得を試みさせたのだが、“彼”の意志は固かった。
周囲の人間は単なる我儘だと見做していたようだが、双眸を爛々とさせて麻生南中学校への進学を曲げない“彼”に、仁は剣呑な気配を感じ取った。
ほんの一瞬ではあったが、獲物を逃そうとしない猛禽類のような、小学生には似つかわしくない眼差し。
そのときはまだ、迫る予感を漠然としか捉えることができなかったが、後日正式に麻生南中学校に行くことが決まったという知らせを聞き、感じたものを無理やり霧散させた。何だかんだいっても、人見知りする仁にとって“彼”が同じ中学に通ってくれることは、心強かったのだ。
そして入学式当日。少し裾の余る詰襟を着込んだ“彼”と共に通学路を歩く仁は、どうして麻生東中学校に行くことを頑なに拒んだのかという、数日前に何度も繰り返した質問をした。返答には期待していなかったが、意外にも答えは返された。
……ただし、仁の今後の平穏を奪う代償として。
「だって、東には仁いないじゃん。そんな学校行ったってつまんねぇの、目に見えるし」
何故か、冷や水を浴びせられたかのような寒気がはしった。そしてじわじわと、先日の嫌な予感が胸を占め寄せてくる。
言われた対象が自分でなければ、笑い飛ばしていただろう。無いものねだりの子どもと一緒、いくつの子どもが言う台詞だと。
けれどもそうではないと、反射的に感じ取る。
忘却したはずの、先日の双眸が脳裏に過ぎった。ホラービデオでも、サスペンスドラマでも味わったことのない、今まで知ることの無かった恐怖が心を蝕んでいく。黒い制服に袖を通した内側で、二の腕が鳥肌を立てているのが分かる。
仁と同じ学校に通えることが嬉しいと、邪気のない笑みを浮かべる隣りの存在が、得体の知れないものに思えた。いつの間にか握られていた相手の掌から伝わる熱が、とても高く感じる。その理由が、過度の緊張による自身の体温の低下によるものだと全く気付かず、振り払うことさえ忘れ、ただ導かれるままに歩を進ませた。
幸か不幸か、仁は“彼”と同じクラスとなったが、社交性のあるその親友のおかげで、狭い空間内で孤立するという状況は免れた。違う小学校出身者が集まり、そこに物珍しさを覚えるためか、入学して然程経っていない今のところはまだ、何処を歩いていても不穏な空気を感じないでいられた。
……表向きは。
静かな授業中とは一転、休み時間になると賑やかになり、幾つか人の塊ができるというのは、中学校でも変わらないらしい。中でも一際騒がしいグループの中心源には“彼”がいて、仁はそれを傍で眺めている。話を振られると縦か横かに首を振り、ときどき言葉を加える。それは小学校にいた頃と変わらぬ光景に見えるだろうが、仁は似て否なるものだと認識していた。
“彼”が仁に注ぐ視線。クラスメイトに向けるからかい混じりの柔和な眼差しに、今か今かと餌に喰らい付こうとする獣のような色がちらつく。それを感じる度に、背筋がゾッとした。
小学生という境界線を越えていなかった数週間前とは違い、今の仁は“彼”――――鳥羽恭士の気配に敏感になり、目を見て話せなくなっていた。
以前投稿した『麻生学院大付属高校一年一組』をベースにした物語です。
『十番:杉林仁』、『三十八番:山岡敏』が今作の対象となりますが、そちらを拝見される場合はネタバレとなりますのでご注意ください。