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第94話 柊木梓馬:重なる

 梓馬は、体調を崩していた。原因ははっきりしていた。


 ……千代の言葉と、悠真と並んだ姿がぐるぐると脳内を回って、寝付けない日が続いたからだ。


「……クソッ」


 思わず悪態をつく。誰かに会う気力がわかず、家政婦にもしばらく休みを取らせたので、面倒を見てくれる人も、今はいない。


 そういえば、昔彼女が風邪で寝込んだ俺の看病をしてくれたことがあった。


『どうして自分を大切にしてくれないのかな! ちょっと目を離すと、すぐに食事も睡眠も忘れてるじゃない』


 ぷりぷりと文句を言いながらも、面倒を見てくれる彼女の姿は、未だに忘れられない。


 過去に想いを馳せていると、控えめなノック音がし、それから数秒遅れてガチャリとドアが開いた。


 部屋に入って来た千代の顔を見るなり、梓馬は舌打ちをこぼした。


「出ていけ」


 冷たく言い放った梓馬を無視して、千代は手にしていた物を、梓馬のベッドサイドテーブルに置く。


 そうして、そのまま当然のように梓馬の看病を始めた。


「やめろ……」


 唸るような声で、梓馬は千代に言う。


 千代は返事をせずに、桶の中に泳がせたタオルを絞り、梓馬の額に載せた。梓馬が拒絶して頭を振ると、ぱさりとわずかな音を立ててタオルは額から落ちた。


「……私が気に食わないのは、いいです。けど……」


 千代が、ようやく口を開いた。


「自分のことは、大切にしてください」


 また、同じだ。この子供は、妻と同じことを言う。


「黙れ……!」


 それ以上、妻を連想させるようなことを言われるのに耐えられない。そう考えた梓馬は威圧するような声音で千代を制した。


 すると、千代は心得たと言わんばかりに頷き、立ち上がると部屋を出て行った。


 流石に大人から威圧されて、恐れをなしたのだろう。


 梓馬はそう思って、目を閉じた。けれど、すぐにまたガチャリと音がして、再び千代が部屋の中へと入って来た。


 何を考えているんだ、この小娘……!


 梓馬は歯噛みするが、生憎体に力が入らない。威圧にも屈しないというにならば、今の梓馬にできることは、ほとんどなさそうだった。


 千代は、小さな鍋を手にしていた。一人用の、小さな土鍋だ。


 ベッドサイトテーブルに鍋を置いた千代は、その蓋を開ける。すると、ほわりと湯気がこぼれ出て、食欲をそそる匂いが部屋に満たされた。


「どうぞ」


 千代が、お椀に注いだお粥にレンゲを差し込んで、梓馬の方に渡そうとする。けれど、梓馬が寝た状態のままだと気が付くと、すぐに立ち上がり、梓馬の体を起こす手伝いをした。


「やめろ、触るな」


 梓馬が暴れようと、千代は気にも留めなかった。


 体を起こされ、改めてお粥の入った椀を手渡されても、梓馬はそれを口にしようとはしない。見かねた千代が、手を伸ばした時、ノックもなしに部屋の扉が開いた。


「千代ちゃん、ここにいたんだ!」


 扉から、ひょっこりと顔を出したのは、悠真だった。その姿を認めて、梓馬の体に力が入る。


 悠真は、一瞬梓馬に冷めた視線を投げてから、千代にすり寄るように近づいた。


「千代ちゃん、父さんの世話なんてしなくていいんだよ」


 千代の両手をぎゅっと握って迫る悠真に、千代は少し腰を引く。


「でも……悠真のお父さんでしょ」

「千代ちゃん、ボクの為に……! でも、本当にいいんだよ。だって、この人が父親らしいことをしてくれたことなんて、今までに一度もなかったしね」


 悠真の言葉が、病床の梓馬を貫いた。


 それも当然の話で、全く持って否定のできない言い分ではあったのだが、それでも多少のショックを受けている自分に気が付いて、梓馬は驚いた。


 憎んでいるはずの息子に言われた言葉で、俺がショックを受けているのか……?


 梓馬は困惑して、自身の口元に手を当てた。


 そんな梓馬の様子を知ってか知らずか、千代と悠真の会話は進んでいく。


「それでも……悠真は、お父さんの影響、受けるでしょ」

「……千代ちゃんには、叶わないなあ。……父さん、どうせ自分じゃ食べないだろうから、ボクが食べさせるよ。せっかく千代ちゃんが作ってくれた料理を無駄にするなんて、それこそ許せないしね」


 悠真のその言葉と共に、梓馬の手の中から椀が消えた。そうして、強引にレンゲが彼の口の中にねじ込まれる。ふがっという間抜けな声が梓馬から漏れて、悠真は意外そうに眉を持ち上げた。


「父さんって、機械じゃなかったんだね」


 悠真の言葉に、何を馬鹿なことを、と顔を上げた梓馬だったが、悠真の顔に梓馬を馬鹿にする色はない。ただただ単純で純粋な感想であることがうかがえて、梓馬はそっと口を閉じた。


 梓馬は、悠真が生まれてからずっと、彼に呪いをかけてきた。


 世界を滅ぼせ、そして孤独に死ねと。


 その言葉ばかりを繰り返す父と相対していたら、なるほど確かにそういう機械のようなものだと思われても仕方がないと思い直したのだ。


「……そんなわけはないだろう」


 梓馬の言葉に、悠真はふうんと鼻を鳴らした。


「……悠真、優しいね」


 不意に、千代がそう悠真に声をかけると、悠真はわかりやすく声音のトーンを上げた。


「えっ! ボク、優しい?」

「うん」

「ほんと?」

「うん。そのまま、お父さんに優しくしてあげてね」

「父親に優しい人の方が、千代ちゃんは好き?」

「うん」

「わかった! じゃあボク、父さんに優しくするよ!」


 我が息子ながら、このチョロさはなんなんだろうか。


 梓馬は複雑な思いをしながら、目の前で繰り広げれる会話を見守っていた。そしてそれが、やはり自分の過去の、妻に対する態度を彷彿とさせて、頭を抱えたくなった。


 ああ、やっぱりこいつ、俺の息子なんだな……。


 梓馬は唐突に、そう理解した。

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