第88話 世界の終わりは健康な食生活から!
柊木梓馬をけしかけることで、柊木悠真を、世界を滅ぼす方向に誘導する。そう決めた私、橘千代(中学一年生)の朝は早い。
朝五時。眠い目をこすりながら、私は早々に着替えて家を飛び出す。勿論、向かっている先は柊木悠真の家だ。それ以外にない。
陰鬱な空気を放つ屋敷のカーテンを開け放って、昨日のうちに買って来た食材で朝食を作る。
世界を滅ぼすためには、まずは十分な気力と体力がいるだろうからね!
しばらくすると、柊木悠真があくびをこぼしながらリビングにやってくる。借りているキッチンからは、リビングの様子が見えるし、逆もまた然りである。
「おはよう……千代ちゃん」
柊木悠真が微笑みながら告げる。そうして私は膝から崩れ落ちる。
ま、松丸芳次――!
松丸芳次さんは乙女ゲームにおいて、何故か紫のキャラを担当することが多かったせいで、軽率に柊木悠真のCVとして想像してしまっていた。
彼に対しては、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいである。柊木悠真が喋るたびに、罪悪感と羞恥心で吐きそうになる。
演技が……演技が上手いから! いかにも貴女に心を許しています的な声音を出されて本当に胃が痛む!
「わ、千代ちゃん、大丈夫? 無理しないで」
なんか最近柊木悠真に病弱だと勘違いされている気がしないでもないが、まあ大枠で言うと間違っていないので訂正はしていない。
いつも吐きそうだしね、私。
実際黒歴史のせいで、いつも具合悪いしね。
「大丈夫……」
微笑みかけながら、なんとか立ち上がる。
早く世界を滅ばせるように、もっと頑張らねば! 松丸芳次のためにも!
攻略対象たちが喋るたびに、気合が入るのだから、良いのか悪いのか。私自身にも判断がつかない。
「今日の朝食はなあに?」
柊木悠真が、キラキラした瞳で尋ねてくる。
だからそのグッドエンド顔やめてくれないかな。私はバッドエンド(世界の終末)にしか興味ないから、嫌になるんだよね。
「今日は、フレンチトースト」
「本当? やったあ、ボク、千代ちゃんの作るフレンチトースト、大好き!」
ああ、そのちょっと幼い感じの喋り方、本当にきつい。松丸くんにショタ喋りを強制させているような心地になる。誰も言ってないのに、どこからか「へえ……そういう趣味なんだ」という幻聴すら聞こえてくる気がする。
違うんです! この人、なんか勝手にキャラ変したし、私は松丸くんが喋るなんて思わずに作ったんです、本当です!
心の中で絶叫しながら、私はそっと柊木悠真から目を逸らす。一刻も早くこの世界を滅ぼさねば、救われぬ。
「……ボク、幸せだなあ」
うっとりとした表情の柊木悠真が、カウンターで頬杖を突きながら、私の顔を見つめてくる。
いや、キミが幸せを感じている時、私は絶望のどん底にいるからね。申し訳ないけど、もう一回幸せじゃなくなってもらう気でいるからね、私。
自己中心的な心情を悟られないように、私は微笑んで柊木悠真に目線を返した。
そうしているうちに、リビングのドアがガチャリと開き……顰め面をした成人男性……柊木梓馬が姿を現した。
私、歓喜である。
「おはようございます」
にっこり笑って話しかけるけれど、忌々しそうな表情を浮かべた柊木梓馬は、私を無視して食卓に着き、新聞を読み始めた。
はーい、今日も綺麗なシカトありがとうございまーす!
私は含み笑いを浮かべながら、食事の準備を再開する。
ああ、あの情が一切感じられない目を向けられるの、安心する……!
勘違いしないでほしいのだが、私はMではない。どSを謳い文句にした乙女ゲームは避けてきたし、そういう煽りのシチュエーションCDだって買ったことはなかった。某吸血鬼ゲーとかね。
けれど、こと柊木梓馬に関して言えば、彼が酷い人間であればあるほど良いと思うのだ。
だって、その方が確実に世界を滅ぼしてくれると思えるからね……!
この世界においての私の好感度は、これが基準になってしまった。我ながら歪んでいるとは思うものの、私と同じ状況に陥ったことのある人間だけが、私に石を投げられると思う。
「父さん、千代ちゃんにそういう態度をとるのは……」
柊木悠真は、そんな私の心情を知らず、父の態度に眉をしかめて文句を言おうとしている。それを視線で黙らせて、ふるふると首を振って見せると、柊木悠真は納得がいかなそうな表情を浮かべて唇を尖らせた。
柊木梓馬の人でなしチェッカーを奪わないでもらっていいかな、キミ。
簡単に世界を滅ぼしてくれそう感を感じ取れる今の環境は、私の精神衛生上非常によろしいのだ。それを取り上げないでいただきたい。
けれど、そんな私の態度に、柊木悠真はますます唇を尖らせた。
「もう、千代ちゃんはちょっとお人好し過ぎると思う」
……?
ハッ、いけない、いけない。ちょっと自分の実像とはかけ離れた言葉をかけられて思わず思考が完全に停止してしまった。
え、今なんて言った? もしかして、今一瞬自分に都合の悪い幻覚見てた?
私はこの世界に生まれ落ちてから、自分のため以外に行動したことは恐らく一度もない。世界を滅ぼせば、この世界の全てが無になる。全ての人間の存在がなかったことになる。
それを承知の上で、それでもかまわぬと奔走してきた。それなのに、何故か心の優しいタイプのヒロインが言われるようなセリフを吐かれて、驚きすぎてぶっちゃけ一瞬呼吸が止まった。
私は困惑しながら、とりあえず柊木悠真の幻想を打ち砕こうと、口を開く。
「そんなこと、ない」
「そんなことあるよ! わざわざ早起きしてご飯を作りに来てくれている千代ちゃんに対して、ウチの父さんの態度と言ったら……。それなのに、千代ちゃんは怒るどころか、いつも笑って許してくれる。優しいよ、千代ちゃんは。本当に……昔から、ずっと」
少なくともこの世界に生まれ落ちてからは、世界を滅ぼすことばかり考えているんですが……。
っていうかこの家に入り浸っているのは、隙あらば君の父親に早く世界を滅ぼすように吹き込むために来ているんですが……。
優しいどころか、この世界の住民からすれば、魔王的立ち位置の人間になるのではないだろうか。いや、冗談でなく。
「キミがずっとそんなんだから、ボクは心配で……」
「大丈夫。心配、しないで」
寧ろ私が君の光堕ちを心配しているよ。
もっとやる気だそうぜ。やる気ってあれね、世界を滅ぼす気ね。
「千代ちゃん……」
うるうるとした瞳を向けられて、思わず後ずさる。なんとなくわかってきたのだけれど、どうにも柊木悠真は現実が見えていないようである。
なんかこの子、強烈な思い込みフィルターかかってるよな……。やっぱり、幼少期の云々のせいなんだろうか。だとしたら私のせいだね、へへ。本当に申し訳ないと思っている。




