第86話 百田七緒:スペック
七緒の王子様が、橘千代という名の少女だということは、全てが終わった後でわかったことだった。
命を救われ、世界で一番特別な存在になった人の名前を、今更知ったことが、なんだかおかしかった。
事件を知った七緒の両親は、滂沱の涙を流しながら、幼い少女相手に深く深く頭を下げ、その後、彼女の両親に対しても頭を下げた。
事件に巻き込んでしまって申し訳ない、ということ。そして、そんな中でも、七緒を守ろうと立ち回ってもらえたことに対する感謝の念を丁寧に伝えた。
対して千代の両親は、眉を落として言った。
「こういう子なんです。いくら言ったところで、誰かの為に頑張ってしまう……。これは、天性のサガです。誇りに思う気持ちももちろんあります。けれど、親としては……他人より自分を大切にしてほしいと思ってしまうことがあります。いやあ、でも、今回は流石に肝が冷えましたね。うちの子を守ってくれる騎士がいてくれて、本当に良かった」
七緒の両親は、涙を流しながら、今後何かあった際には、命に代えても必ず力になる、今後は自分たちにも一緒に千代を守らせてほしい、と千代の両親に迫った。その勢いは、千代の両親が、幾度かの遠慮をかき消されて頷くほどの迫力であった。
それから、七緒は千代と、家族ぐるみで付き合うようになった。
頻繁に顔を合わせるようになった千代は、七緒より年上だった為、七緒は親しみを込めて、彼女を「ちぃ姉」と呼ぶことにした。
「ちぃ姉」
と初めて呼んだ時、彼女は目を見開いて、七緒の瞳を凝視してきた。嫌がられたのだろうか、と不安になってじっと見つめ返すと、いくらか逡巡したのちに、小さく頷いた。
何か気になることがあったようだが、七緒の気持ちを優先して、受け入れてくれることにしたらしい。優しい千代らしい、と七緒は思った。
何度か橘家を訪ねていると、誘拐犯から助けてくれた少年と鉢合った。
少年は、柊木悠真といい、千代の幼馴染らしかった。初対面の一瞬だけ、冷たい視線を向けられたが、千代と一緒に誘拐されていた子供が七緒であると気がつくと、優しく頭を撫でてくれた。
「ねえ、悠にぃ」
「ん?どうしたの、ナナくん」
「どうして、僕たちが誘拐されたことに、気がついたの?」
「ああ、それはね。ボクたちがいつも千代ちゃんを見守っているからだよ」
「見守ってる……?」
千代がお手洗いに立った際に、七緒が気になっていたことを尋ねると、悠真は微笑んで答えた。
しかし、どうにも要領を得ない回答に、七緒の頭は疑問符を浮かべる。
すると、悠真はくるくると空中で指を回し始めた。すると、いくらも経たないうちに、その指に闇がまとわりつき始めた。
「これがボクの能力なんだけどね。力を打ち込んだ人を覗き見ることができる」
「……なに、それ。能力って、そういうこともできるの?」
「人によってはね」
七緒にとっては、初耳の内容だった。
そもそも、能力と言うのは、あってないようなもの。例えば、火の能力を持っている人間がいたとして、せいぜいできるのは指先に小さな火を灯すことくらいのはずだ。
悠真が言うような、強力な能力だなんてものは、聞いたことがなかった。
「ナナくん、聞いてる?」
「へ?」
唐突に、悠真に声をかけられて、七緒ははっとした。
「もう、ナナくんが聞いてきたんでしょう? どうして千代ちゃんのピンチに気が付いたのかって」
軽く頬を膨らませて見せる悠真に、七緒は「ごめん」と謝りながら、小さく首を傾げた。
「でも、それは悠にぃの能力を使ったってことでしょう?」
「えっとね。正確には違うんだ。千代ちゃんにも、プライバシーってものがあるからね。着替えとか、トイレとか、お風呂の時を覗いちゃったら、申し訳ないし。基本的には、覗き見ないようにしてる。でも今回は、非常事態だったから、状況の確認の為にちょっと見ただけだよ」
プライバシーを語るのであれば、のぞき見をしている時点でアウトなのでは……と七緒は感じたが、話の腰を折るのも野暮だと思って黙って頷く。
「まず、千代ちゃんには陽太の加護がある。だから、千代ちゃんが危険な時には陽太が気付いてくれて――」
「待って、悠にぃ。その、加護って何?」
悠真は、一瞬きょとんとしたあと、「ああ」と得心いったように手を打ち、指をくるりと振った。
すると、闇が集まり、ミニチュアサイズの人の形を取っていく。
その顔に、見覚えがあった七緒は、じっと見つめ、それからあっと声を上げた。
「これ、あの時助けに来てくれたお兄さんの一人?」
「そう、そう。ナナくん、記憶力が良いね」
悠真は微笑んで、再び口を開いた。
「陽太は、光の能力を持っているんだけど……。その中の一つの力に、加護を与えるというものがあるんだ。加護を与えることにより、相手の状態と位置を把握できるようになる。だから、千代ちゃんに危険があるときは、陽太にそれが伝わる」
「なに、そのとんでも能力……」
「あはは、便利だよねえ。それで、陽太がボクに千代ちゃんが危険だって連絡してくれて、すぐに助けにいけたわけ。たまたま玲児くんたちと会っていたところだったから、一緒に連れて行けって言われて、根負けしちゃった。時間も勿体なかったしね。それですぐに道を作って、千代ちゃんのところに向かったって感じかな」
悠真の言葉に、七緒は思い出す。あの時、救出に現れた悠真が、闇から急に現れたことを。恐らくあれも、彼の能力なのだろう。
「だけど、陽太の能力には、少し欠点があって。状態が変化してからしか、それを察知できないんだ」
「つまり……危険を未然に防ぐっていうよりは、危険に遭ったら駆けつけられる警報機みたいな感じ……?」
「うん、そうだね。千代ちゃんが泣く前に、助けてあげられたらよかったんだけど……」
悲し気に目を伏せながら、悠真は手遊びするように、闇を操って、千代の姿を作る。
その顔を微笑ませて、小さく笑った。
くるり、くるりと空中を舞うように動いている悠真の指先を見つめながら、七緒はゾッとした。
この世界で、能力に対する規制というものは、殆どない。それは、能力が基本的に無害なものであると認識されているからだ。
けれど、悠真や陽太のような、悪用することが簡単にできるような能力が、もっと存在するのなら――。
「大丈夫だよ」
まるで、七緒の思考を呼んだような悠真の言葉に、七緒は顔を上げる。
悠真は、妖しく光るヴァイオレットの瞳を細めて、こてりと首を倒した。
「ボクたちは、大切な人を守る為に、力を使うんだ。だってそれが、彼女の理想だからね」
「……理想?」
「そう。優しい千代ちゃんが、誰かに手を差し伸べずにはいられないように……。ボクは、千代ちゃんが隣に望んでくれる理想を目指さずにはいられないんだ」
そうでなければ。一体どうしていたというのだろうか。
そんな疑問が一瞬頭を過ったけれど、無意味な疑問だと感じた七緒は、軽く頭を振って、その考えを頭から追い出したのだった。




