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第83話 百田七緒:どうして

 学校からの帰り道。


 普段と何ら変わらない通学路の中に、異質な存在が紛れ込んでいた。


 妙に派手な柄のワンピースに、顔を覆いつくすほど大きなサングラスをかけたその女性は、そっけないコンクリートジャングルの中で、明らかに浮いていた。


 七緒は何となく嫌な予感がして、少しその女性から距離を置いて道を通ろうとする。


 ちらりとその女性の様子を伺おうとすると、何故かその女性は七緒のすぐそばに立っていた。


 どうして……もっと遠い場所にいたはずなのに……!


 内心驚きながらも、七緒は目を逸らしつつ歩き続けようとした。


「ナナくぅん……」


 ねっとりとした声色が、七緒の鼓膜を震わせた。


 ピタリ、と体の動きが止まって、油の切れた機械の様なぎこちなさで振り向くと、吐息が伝わる距離に顔があった。


「ひっ……!」


 恐怖に喉が引きつれて、心臓がドクドクと鳴る。


 七緒の恐れに気付く様子もなく、女性の口角がにたりとあがった。


「ナナくん、お家に帰りましょうね……」


 伸びてきた手は存外力強く、七緒の決死の抵抗は、ほとんど意味をなさなかった。


 レースのついたハンカチで口元を覆われると、急激に視界が白んでいく。


 ぼんやりとした意識の中で、遠くから少女の悲鳴が聞こえた気がした。





 地面が揺れる感覚で、七緒は目を覚ました。


 しかし、目を開くより先に、柔らかい声が七緒の耳に届く。


「まだ……寝てて」


 その言葉に、七緒の脳内を、つい先ほどの光景――見知らぬ女性に車に連れ込まれたシーンが駆け巡る。


 同時に、心臓がどくりと音を立てた。


 たった今、自分が危険な状態にあることを、七緒は正しく認識したのだ。


 同時に、明らかに誘拐犯とは違う声の主が気になって、薄らと目を開ける。


 七緒の近くに、少女が転がされていた。


 艶のある黒髪の下には、この状況をどう思っているのか、伺い知ることが困難な冷たい無表情がある。


 七緒は驚いた。


 少女が七緒と同じ、誘拐された子供だということは、縛られた手からも理解できた。だというのに、少女は無表情を崩さず、至って平静を保っているように見えたからだ。


 七緒がもっと注意深く少女を観察しようとすると、遠くから粘着質な声が聞こえてきた。


「あらぁ……。ナナくんったら、寝坊助さんなのねぇ……」


 ぞっとした。


 それは、七緒が誘拐される前に聞いた女性の声に他ならなかった。つまり……。


 誘拐犯が、この部屋の中にいるんだ!


「でもぉ……そろそろおはようの時間よ……ナナくぅん……。お姉さんと、楽しい時間を過ごしましょうねぇ……」


 うっすらと開けた視界の中に、ぷっくりとした手が映る。


 ……もう駄目だ!


 七緒は悲鳴を飲み込みながら、固く目を閉じた。


 ……しかし、七緒の体を襲ったのは、想像とは少し違った衝撃だった。


 トスッと音を立てて、七緒の体の上に、何かが乗ったのだ。肺を圧し潰されて、息が詰まった。


 七緒は警戒しながら、再び少しだけ瞼を持ち上げる。


 側に転がされていたはずの、例の少女の顔が、七緒の目と鼻の先にあった。驚きにもれかける声を、ぐっと耐えて、七緒は強く目を瞑った。


 殆ど同時に、女性の狂ったような叫び声が、部屋の中に響いて、少女越しに七緒の体に衝撃が走る。それだけでは飽き足らず、何かが伸し掛かってくるような、重い衝撃が七緒を襲って、小さく息が漏れた。


 何度か強制的に体を揺すられていると、七緒の頬に、水滴が降ってきた。


 水滴の先を見上げると、それは少女の瞳からこぼれてきたものだとわかった。


 泣いている。


 冷たいと感じるほどの完璧な無表情だった少女の顔が、微かに歪んでいた。苦痛の声が、その小さな唇から僅かに漏れる。


 少女の背中越しに、悪鬼と見紛うほどの、恐ろしい形相をした女性の顔が見えた。その手が、少女の髪を引っ張り、華奢な背中を殴りつけ、罵詈雑言を吐き捨てている。


 けれど少女は、七緒から離れたくない、とでもいうように、七緒の体の上からどこうとはしなかった。


 殆ど体当たりをするような勢いで、何度七緒から引き離されても、七緒の上に覆いかぶさってくる。


 その瞬間、七緒は理解した。少女が自分を、守ってくれているのだと。あの女性……誘拐犯の手を、七緒に近づけまいとしているのだと。


 どうして、と七緒は思った。


 少女は、七緒にとって、見知らぬ少女でしかなかった。誘拐などという、異常事態にいながら、全く面識のない七緒を、どうして少女が守ろうとしてくれるのか、理解できなかったのだ。


 少女と目が合った。苦痛に細められていた瞳が、少しだけなだらかな線になる。恐らく、少女は微笑んでいた。


 少女はぐっと七緒に顔を近づけると、優しい声で囁く。


「ごめん……ね。もうちょっと、寝てて」


 ごめんって、何?


 どうして君が、謝るの?


 どうして君は僕を守ろうとしてくれるの?


 七緒は混乱した。自分の身の回りに起こっていることが、その理由が、何ひとつ理解できなかった。


 けれど、一つだけわかったことがあった。このままでは、いけないということだ。


 七緒は震える喉を引き絞って、何とか声を上げた。


「だめ……だめだよ、どうしておばさんは、お姉さんをいじめるの⁉ ボクたち、何にもしてないよ! お家に帰してよ!」


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