第77話 水瀬慧斗:己を知る
千代を家に送り届けると、黙りこくっていた玲児が口を開いた。
「……お前、アレ、何なンだよ」
「あれ?」
一体何を言われているのかわからない、と言いたげに首を傾げる悠真を見て、玲児は乱暴に頭を掻きながら、言葉を重ねる。
「とぼけンな。能力だよ、能力」
「ああ、なんだ。そんなこと」
つまらなさそうな顔をして、悠真は軽く頷く。
「詳しいことはあまり知らないけれど、一族で引き継いできた力らしいよ?」
「詳しくは知らないって、お前の力だろう」
他人事のような言い草に、たまらず慧斗も口を挟んでしまった。
悠真はちらりと慧斗に視線を投げると、一切の表情を捨てて小首を傾げる。
「だって、ボクには必要のない知識だったから」
慧斗は肌が粟立つのを感じた。
その瞬間、慧斗は確かに悠真に怪物の姿を重ね見たのだった。
「何言ってンだ、てめェ……」
玲児にも、悠真の言動は理解できなかったようで、真意を探ろうと、その表情をじっと睨みつけている。
悠真はしばらく不思議そうにしていたが、おもむろに口を開いた。
「ボクの力は、命を吸って強大になっていく闇の力。そしてボクは、遠いご先祖様の願いを叶えるために、傀儡と化した一族の末裔。だから彼らには、ボクの意志が必要とされていない」
何てことはないように言い放たれた、簡潔な内容だったが、かみ砕くのには時間がかかった。
そもそも、命を吸う能力というもの自体が、慧斗と玲児にとっては、初めて聞くものだったのだ。
「まあ、能力なんて、ボクが望んで手にしたものでもないんだし、気にしないでよ。ボクは『常識的で優しい』人になろうって決めてるし」
「つまりお前は、望まない能力を大人どもに押し付けられてるってワケェ?」
明るい声を出した悠真に、被せるようにして、玲児が尋ねた。
話の流れを断ち切るような疑問だったが、それが、玲児にとって最も重要な問いだったのだろう。
「そうだね。ボクの命はその為にあると言われていたから」
「で、お前はそれを受け入れてる良い子チャンってコトかァ?」
悠真の返答に、玲児の瞳が冷ややかになる。
悠真は、間髪入れずにかぶりを振った。
「まさか。ボクには千代ちゃんがいるからね」
「千代……?」
突如出てきた千代の名前に、慧斗と玲児は眉を寄せた。
そんな二人を横目に、先ほどまでの淡々とした様子をかなぐり捨てて、悠真は笑みを浮かべた。
「千代ちゃんは、ボクの存在を尊んでくれた。ボクの能力も、一族も、関係ない。ただの柊木悠真として、そのまま受け入れてくれた。だからボクは、ボクを必要としない人たちの事なんて、考える必要はないんだと気が付いたんだ!」
悠真の話には、心当たりがあった。
そうだ。あの日……西日が差す黄金色の図書館の中で、千代は必死に慧斗に語り掛けてくれた。
慧斗はおかしくないのだと。必死に生きてきただけだと。そう言ってくれた。
そうして、優しく慧斗を抱きしめてくれた。
そこまで考えて、慧斗は、ああ、と腑に落ちた。
悠真が言っていたのは、こういうことなのだ。
悠真は、千代に救われたのだ。柊木悠真という存在を受容されることで、生来自分を取り巻いていた柵から、解き放たれた。
慧斗だって、そうだった。彼女の腕の中に包まれた時、自分の在り方を、初めて肯定されたと思えた。息がしやすかった。
つまり千代は、そういう人なのだ。
寂しい子供たちを受け入れて、認めてくれる……。だから悠真は、彼女を傷つけないで欲しいと慧斗に願いに来たのだ。
「そうか……」
その声は、慧斗のすぐ横から聞こえた。
慧斗が視線を向けると、目を伏せた玲児の姿が見えた。
その表情には険がない。ひょっとすると、彼にも心当たりがあったのかもしれない。
「お前、俺とダチになりてェとか言ってたよなァ?」
「うん! 何、何? もしかして、その気になった?」
「あァ。お前、思ったより根性あるみてェだし、たまになら相手してやるよ」
「本当に? やったあ、嬉しいな」
悠真は喜んで、玲児に握手を求める。
玲児はその手をはたき落としながら、しかしほんのりと口角を上げていた。
悠真と別れると、慧斗と玲児は二人きりになってしまった。
慧斗にとって、悠真は友人だ。そして、玲児にとっても、悠真は友人となった。
しかし、だからといって芋ずる式に慧斗と玲児が友人となるわけではない。
「……では、俺はここで」
気まずさを感じてそう口にした慧斗に対して、玲児は片眉を持ち上げて見せた。
「待てよ。そもそも、俺は今日、お前に会いに来てンだよ。勝手に帰るンじゃねェ」
横柄な物言いにうんざりしながら、慧斗はため息を吐く。
「何様だ、貴様」
「俺様、玲児様だろォ?」
どういう神経をしていれば、こんな物言いができるのだろうか。
「はあ、仕方がない。少しなら時間をとってやる」
「おー。そりゃ、ありがたいこって」
慧斗は嘆息しながら、玲児の後をついて歩いた。
玲児がやって来たのは、近くにある公園だった。入口の近くにあるベンチに腰を下ろすと、慧斗にも座るよう、目線で促してくる。
大人しくしたがって腰を落とす。少し肌寒かった。
「先に言っておくが、翠斗を出せ、などと言われても、俺にはどうすることも出来ないぞ」
「ア? 何でだよ」
「俺に翠斗はコントロールできない。あれは、制御不可能の怪物だ」
「ンなワケねーだろ」
玲児は何故か、確信に満ちた物言いをしていた。
玲児は不快感に眉をひそめる。
一体、お前に何がわかると言うんだ。
瞳が如実にその心情を語っていたのだろうか。玲児は、当然のような顔をしながら、言葉を続けた。
「だってアイツ、お前が危ない時に出てくるじゃねェか」
「……は?」
慧斗はピタリと動きを止める。
耳から入って来た情報を、脳が処理するのに、何秒かのラグが発生していた。
俺が危ない時に出てくる……?
同時に、悠真の言葉が、脳内を駆け巡る。
『翠斗くん……キミが悪魔と呼ぶ彼は、キミの敵じゃない』
『彼は、いわばキミの防衛本能のようなもの。つまり……彼はキミを、守っているつもりでいる』
翠斗は、慧斗を守る為にここにいる。
「気付いてなかったのかよ。アイツも浮かばれねェな」
「……どうして、そう思ったんだ」
「ア? 俺がヤッてやろうとした瞬間に、察知して出てくンだろォ、アイツ」
「察知……そうか、害意……いや、敵意を……? それとも、俺が傷つきそうなタイミングで……?」
慧斗は左手で口元を覆い、ぶつぶつと呟く。
そうだ。思い返してみると、いつもそうだった。
慧斗が傷つきそうなタイミングで、慧斗になり替わっていた。
「どうして……」
「ア?」
「どうして、暴力で解決しようとするんだ」
それは、悠真に『翠斗は慧斗を守っているつもりでいる』と聞いた時から、ずっと慧斗の中に燻っていた疑問だった。
それは、悠真の言葉を、いまいち信じきれなかった理由でもあった。
どうして、俺を守ると言いながら、俺を傷つけるんだ。どうして、何もかもを暴力で収めようとするんだ。
その答えは、予想外のところからもたらされた。
「ンなの、それ以外のやり方を知らねェからだろ」
玲児の言葉に、慧斗は勢いよく顔を上げた。
わかりきったことを何故聞くのか、とでも言いたげなその表情を見て、慧斗は悟った。
ああ、そうか。こういうことか。
悠真、君はこうなることを望んでいたのか。
「……蓮実玲児」
「ンだよ」
「謝罪しよう。貴様に対して、礼儀に欠ける振る舞いをしていた。すまなかった」
「ア? ……気色悪ィな。何が望みだァ?」
「察しが良いな。……俺と……いや、俺達とも、友人になってくれないか」
玲児は少しだけ目を見開いて、それからニヤリと笑った。
「俺も、お前らには興味があるからなァ?」
これが第一歩だ。
いつか慧斗は、己を知るのだ。
蓮実玲児という男を介して。
すっかり暗くなった空を見上げて、慧斗は笑みをこぼした。
こんなにすっきりとした心地になるのは、久方振りのことだった。




