第75話 水瀬慧斗:不理解
そうして、すっかり慧斗が悠真を信頼した頃、悠真はこんなことを言い出した。
「慧斗くん、会ってほしい人がいるんだ」
「会ってほしい人?」
「うん」
「しかし俺は……お世辞にも評判が良いとは言えないが、大丈夫なのか?」
悠真は最早慧斗の恩人だ。
彼がお願いしたいと言うのなら、慧斗に否やはない。
しかし、その『会ってほしい人』とやらが、本当に慧斗と会いたいのかは、甚だ御門だった。
「あはは、それなら大丈夫だよ。だって相手は君と同じか、それ以上に悪い噂が付きまとう人だからね!」
爽やかに告げられて、慧斗は思わず絶句した。
この少年は、この麗しい顔で一体何を言い出したのかと。
「……悠真、俺のことが嫌いだったのか?」
少し気落ちしながら慧斗が尋ねると、悠真は不思議そうな顔で首を横に振った。
何故そんなことを尋ねられるのか、心底理解できない、とでも言いたげな表情を見て、慧斗は大きく息を吐き出す。
どうやら悠真には、悪意はないらいしい。
「……では何故、そんな人物に会ってほしいと言うんだ?」
「ああ! なるほど、その人に会うのが心配なんだね。大丈夫、噂されているほど怖い人じゃないよ。それに、会う時はボクも同行するし」
ようやく慧斗の心情を読み取ってくれたらしい悠真が、安心させるように慧斗の背中を軽く叩いた。
「多分ね、キミと彼は……と言うより、翠斗くんと彼は少し似てる。だから慧斗くんも、彼を通して、翠斗くんのことを、少し知れるんじゃないかと思うんだ」
「似ている? 翠斗とその人物が?」
「うん。キミはずっと、翠斗くんが『得体の知れない悪魔』だと恐れていたよね。それは、彼が何を考えて行動しているのか、彼がどういう人物なのか、わからないことが原因なんじゃないかと思う。だから、彼のことを知ることが、キミを生きやすくしてくれるきっかけになるんじゃないかなって」
「悠真……」
慧斗は胸が熱くなるのを感じていた。
慧斗に、今までの人生で出来た友人はたったの三人だ。
思い出の中の少女と、不思議で優しい千代。それから、どこかミステリアスな雰囲気をもつ悠真。
しかしその少ない友人たちに、本当に恵まれたと、慧斗は思う。
千代も悠真も、他人の事ばかり考えて、心配してくれる、善良な人たちだ。
「わかった、悠真がそう言うなら、その人物に会わせてもらおう」
「本当? わあ、ありがとう、慧斗くん! きっと二人は、いい友達になれるよ!」
悠真は自分のことのように喜んで、悠真に抱き着いてきた。
少しだけ、慧斗もその人物に会うのが楽しみになっていた。
……のだが、しかし。
悠真に呼び出された祭りの会場で、慧斗は不快さに眉を顰めていた。
サプライズ的に千代に会えたのは、良かった。けれど、同行してくれると言っていた悠真は現れない上に、引き合わされた人物が、非常に不愉快な人物だったのだ。
彼の名は、蓮実玲児。なるほど、悠真が言っていた通り、非常に悪名高い不良だった。
気に食わないことがあれば、暴れまわり、一に暴力、二に暴力。しかも最悪なことに、持っている能力は火。
相対した不良の顔を焼いたとか、そんな恐ろしい噂まであるような男だった。
ちらりと一度、千代の家で顔を合わせたことがあった。
その時は、それが噂の蓮実玲児だとはわからなかったのだが、特徴的なオッドアイも相まって、改めて顔を合わせてみると、何故最初に会った時にその正体に気が付かなかったのか、不思議なほどだった。
彼の第一印象は、野蛮そうな男。
改めて見てみても、野蛮で軽薄そうな、いかにも慧斗の苦手なタイプの男だった。
「何故悠真は、こんな奴と引き合わせようなどと……」
もし翠斗が蓮実玲児と似ているというのが本当ならば、翠斗に対する嫌悪感は、寧ろ膨れ上がりそうなものである。
しかしそれは、恐らく悠真の意図したことではない。
「何だァ? 何か言ったかよ?」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる玲児から、慧斗は顔をそむける。
厭らしい笑みだ、と慧斗は思った。
口元が笑っているだけで、その目元は一ミリも笑ってなどいなかった。むしろ、底冷えするような冷たい瞳で、冷静に慧斗を観察しているのが分かった。
「……一体俺に、何を求めているんだ?」
「お前、バカじゃねェみてーだな」
「馬鹿はお前だろう」
「面倒くせェな……。おい、それより出せよ」
「出せ……? 何のことだ」
玲児が一体何を言っているのか理解できず、慧斗は首を傾げる。
「決まってんだろォ? もう一人の方だよ」
一瞬、慧斗の息が止まった。
「……何故それを、知っている? ……悠真か? もしくは、千代?」
「はァ? お前、覚えてねェのかよ。会っただろ、千代の家で」
その言葉に、慧斗はハッとした。
確かに千代の家で彼と遭遇したあと、気が付くと千代の家で眠っていた。
恐らく、あの時翠斗が出てきて、玲児に会ったのだろう。そして、その時玲児は気が付いたのだ。
慧斗の中に、何かがいると。
「……何故、翠斗に会おうとするんだ」
「はァ? ……そういや、何でだろうな」
てっきり、強い人間とやりあいたいだとか、そういった野蛮な答えが返ってくるものだと思っていたのだが。意外にも、返って来たのは、不思議そうな、気の抜けた声だった。
「自分でも、わからないものなのか?」
「そりゃ、そうだろ。いくら自分のことったって、全部理解してるような奴なんて、そんなにいねェだろ」
「……そういうものなのか?」
「そういうもんだろ」
慧斗は、自分の中の翠斗が理解できないのが、怖かった。しかし、それは誰にとっても起こりうる現象なのかもしれない。
慧斗においては、その規模が少し、大きいだけで。