第74話 水瀬彗斗:悪魔の消し方
柊木悠真は、魔法使いなのかもしれない。
そんな子供じみた妄想を、思わず口にしてしまうほど鮮やかに、悠真は彗斗を助けてくれた。
最初は半信半疑、というよりは、妄言を言っているのだと思いながら、彗斗は悠真の手を取った。
彼の勇気に敬意を表しただけのことだった。
ただ一方で、心のどこかで期待をしていたのも、事実だった。
悠真には、有無を言わせず人を頷かせてしまうような、不思議な迫力があったからだ。
最初の変化は、すぐに訪れた。
彗斗が目を覚ますたびに目にするものが、人の倒れている姿から、悠真に変わったのだ。
「おはよう」
にっこりと笑う悠真にハッとして、両手を見る。
しかしそれは、血に汚れてはいなかった。
「……おはよう、柊木」
呆然としながら挨拶を返すと、悠真はおかしそうに目を細めた。
「やだな、堅苦しい呼び方はやめて、悠真って呼んでよ」
「ああ……それで、お前はどうしてここにいるんだ?」
「あはは、結局呼んでくれないんだ? 良いよ。彗斗くんに名前で呼んでもらえるように、俺頑張るから! ……それで、えっと。どうして俺がここにいるか、だっけ? それなら簡単だよ。……言ったでしょう? キミの中の悪魔を消してあげるって」
その時初めて、彗斗は悠真が至って本気で言っていたのだと気がついた。
そうして、有言実行、とばかりに目の前にいる悠真を、まじまじと見つめる。
怪我はしていなさそうだ。
「……一体、どうやって?」
「勿論、話し合いで」
彗斗は眉を寄せた。
話し合いでどうにかなる相手だと思っているのだろうか。
彗斗が知る限り、悪魔……翠斗は話し合いでどうにかなるような存在ではない。そうじゃなければどうして、彼の前に血の海ができる羽目になったというのだろうか。
「話し合いでどうにかなるものか……とでも言いたげな顔だね?」
眉間に皺をうっすらと寄せただけの彗斗の表情を、悠真は正確に読み取っていたらしい。
急に顔を覗き込まれて、彗斗は慌てて飛び退く。
「あのね、彗斗くんは少し、勘違いをしているみたいだ」
「勘違い?」
「彗斗くん。信じがたいかもしれないけれど、翠斗くん……キミが悪魔と呼ぶ彼は、キミの敵じゃない」
「……は?」
一体何を言い出すのだろうか。
彗斗は冷たい瞳を悠真に向ける。
敵じゃない? あの悪魔が? そんなわけがないだろう。
俺がどれだけ、酷い目に遭ってきたと思っているんだ。どれだけ……恐れられてきたと。
悠真は、彗斗の視線を物ともせず、淡々と続ける。
「彼は、いわばキミの防衛本能のようなもの。つまり……彼はキミを、守っているつもりでいる」
「はあ? 守るだと? 逆だろう。奴のせいで色んな人間に目をつけられて、危険に晒されているようなものだ」
「うーん、そうだね。結果的にはそうなってしまっている。けれど、実際彼はキミの為に動いているつもりなんだよ」
「何を根拠にそんなことが……。……まさか、話したのか⁉︎」
ハッとして尋ねると、悠真は当然だとでも言うように、軽く頷いた。
「翠斗くんは、キミを守ることこそが自分の存在意義だと考えている。ただ、人との関わりの薄さと、過剰な防衛本能で、やることが極端になってしまっているみたい。だから、その辺の塩梅を教えてあげさえすれば、彼は『悪魔』じゃなくなる」
「それが、お前の言っていた……」
「そう、これが、俺の悪魔の消し方」
彗斗は内心関心していた。
当てずっぽうに言っているわけではなく、実際にどうするべきなのか、悠真の中では明確に考えられていたのだ。
「だが、危険じゃないのか。奴の暴力性については、誰よりも俺が知っている」
「その辺はね、どうとでもなるよ。大事なのは、彼をいかに納得させるかってところ」
さらりと言い切った悠真に、彗斗は目を見開く。
年上も年下も関係なく、悪魔の餌食になってきた。
その中には、悠真なんか目じゃないような、体格の良いものや、柄の悪い連中がいくらでもいた。
そんな彼らでさえ、悪魔を止めることはできなかったと言うのに。
小さな少年が、それを「どうとでもなる」と言うのだ。
一体彼は、何者なのだろうか。
彗斗がチラリと視線を見上げると、悠真と目が合う。自然と微笑みかけられて、彗斗の肩から力が抜けた。
悠真が何者なのかは、問題じゃない。
大事なのは、彼が彗斗の味方であると言ってくれたことだ。
「何か、考えがあるのか」
「うん。地道に教えるよ。キミが困っていること、やり方を変える必要があること。その提案」
「そうか。……そうか」
さらりとした悠真の言葉に、彗斗は大きく息を吐き出した。
悠真は、力んでいる様子も、恐れを抱いている様子も、何かを誤魔化そうとしている様子もなく、至って普通の顔をしていた。
その姿が、彗斗にとっては心強かった。
「お前は……魔法使いみたいだな」
気が抜けたせいか、彗斗の口から考えていたことが滑り落ちる。
悠真はきょとんとした後、声をあげて笑った。
そうして改めて彗斗は、悠真と握手を交わした。
今度は心からの願いを込めて、彼の手を取ったのだ。
その時下した判断は、間違っていなかったと彗斗は思う。
実際に、何度か悠真と顔を合わせているうちに、悪魔はすっかり大人しくなったのだから。