第49話 蓮実玲児:熱
蓮実玲児の記憶は、己が身に残る熱から始まった。
己が身を焦がすような、腹の底から湧くような、震えが止まらないような、熱から。
ぼやけた視界の中で、玲児の顔を覗き込む瞳があった。
煌々と輝くその瞳は、笑っている。
顰めた面をしようと努めているのは分かったが、それでも誤魔化せない愉悦の色が、瞳には滲んでいたのだ。
笑っている。
笑っている。
何か、面白いことが起きている。
そうか、これは……この熱は、面白いことなのだ、と玲児はその時、確かに学んだ。
「グッ」
喉が鳴ってしまった。
その事実に思わず舌打ちをしてから、玲児は自分を殴り飛ばした男……生物学上、自分の父親にあたる男を見上げた。
「なんだ、その目は」
感情のこもらない声で父は呟き、その腕がぬっと伸び、玲児の襟首を掴んだ。そのまま腕が徐々に上がっていき、そのうち玲児の爪先が地面から浮いた。
自然、玲児の首が閉まり、息苦しさに足先が躍るように動く。
「親に向かってなんて目をする」
苦しむ玲児の姿は視界に映っているはずなのに、父はその様子を意に介さず、淡々と言葉を口にするばかりだ。
「ハッ……ガキに向かって、なんて態度だよ」
ペッ、と唾を吐きかけた玲児に、冷静を装っていた表情は怒りに染まる。
次の瞬間には、左頬が熱を持って、再び玲児は地面に投げ出された。
熱い。
熱を持った頬に手を当てると、同時に激しい痛みが口の中に感じられた。どうやら、口の中を切ってしまったようだった。
じわり、と口内を鉄の味が支配して、玲児はそれを地面に吐き捨てた。
赤い。
吐き出した血の色が視界を支配するように、徐々に広がっていく。
真っ赤な世界の中で、父親が再び手を振り上げた。
蓮児は望まれて生まれた子供ではなかったらしい。
父親は何度も、母親に騙されたのだと蓮児に語って聞かせたし、母親もまた、父親に騙されたのだと言った。
父も母も、全く気が合わなそうだから、蓮児は常々「早く別れりゃいいのに」と思ったものだ。しかしどうにも父の仕事の都合上、世間体とやらが惜しいらしく、また母も父から搾り取れる金が惜しいようだった。
二人は全く好きなものも嫌いなものも違っていたが、一つだけ共通して好んでいることがあった。それこそが、玲児を痛めつけることだった。
ストレスの解消にぴったりらしいその行為を、両親は何かと正当性をこじつけて行った。
「これはあんたの為なのよ。あんたが将来困らないように、教育してやっているの」
「悪い子は、殴って言うことを聞かせるしかないだろう?」
「どうしてそんなに口が悪いの? 私だってこんなことしたくなんてないのに」
「その目が気に食わないんだ。私を見つめるその反抗的な目が」
「嫌な目。どうしてあんたはそうなの?」
「何故言うことを聞けない」
「あんたなんか、産むんじゃなかった」
「お前さえいなければ」
降り注ぐ否定の言葉と暴力に、玲児はなす術もなく苛まれた。
通常であれば、ポッキリと心が折れ、心身ともに屈服してもおかしくないような環境だったが、玲児は違った。
声がする。
声が、聞こえる。
「許すな」
そうだ、許してはならない。
俺を害するものを、決して許してはならない。
「排除しろ」
勝手に産んでおいて、いざ要らなくなったらこの扱いだァ?
ふざけるな、要らねえのは俺じゃない、お前らだろ。
「燃やせ」
ああ、そうだ。
俺の中に燻るこの怒りで、いつかこいつらを燃やし尽くす。
それは彼の心を守ろうとする防衛本能だったのかもしれないし、彼の中に巣食う謎の力だったのかもしれない。
玲児にとっては、どうでもいいことだった。
ただ本能の命じるまま、彼は何もかもを燃やそうとし、そして、能力が覚醒した。
玲児の体を中心に、炎が巻き起こり、彼の気に食わないもの全てを燃やし尽くそうと、その勢いは増していく。
いつものごとく、玲児を殴りつけていた父親は、彼の目の前で尻餅をつきながら、逃げ出していた。
豪華の中で、その熱を感じながら、玲児は笑い声を上げた。
「アハハハハハハ! いいぞ、燃えろ、もっと燃えろ!」
その日から、玲児の生活は変化し始めた。