第43話 ズットイッショニ、イタクナイヨ。
あっちい。
目を覚ました私は、自分の左右に張り付いている物体を蹴飛ばして距離を取った。
「……ちよちゃん」
「おねーちゃん……」
ほぼ同時に左右から聞こえた声にゾッとしながら、曖昧な意識の中で頭を働かせる。
今、蹴飛ばしたのはどうやら柊木悠真と桐原陽太だったようだ。
は? え? なんでこいつらがいるんだ……。
そうそう、おやつを食べていたら眠くなって……それで、母に昼寝をすると伝えてリビングを後にしたはずだ。
それなのに、どうして奴らが横で寝ているんだ……?
唸っていると、そっと部屋の扉が開いて、母が顔を覗かせた。
「あら、千代。起きてたの?」
にっこりと笑う母に、私は首を傾げたまま尋ねる。
「なんで……二人?」
「ああ、二人も眠たそうにしていたから……。お布団敷くのも面倒だし、小さいから三人でも問題なくベッドに並べるでしょう?」
私は頭を抱えた。
男女七歳にして席をおなじゅうせずっていうじゃないですか……! いやまだ七歳じゃねえや。だからか。
クソガキ共は並べておいても問題ないと思うもんな。
絶望感と納得感を同時に感じながら、私は思考を振り払うように頭を振る。
もう考えても仕方ねえや。とりあえずベッドを脱出しよう。
「あれ、ちよちゃん……?」
しかし、立ち上がったせいでベッドが軋んだせいか、どうやら柊木悠真が目を覚ましてしまったらしい。
腕を掴まれて、あえなく脱出は失敗した。
この貧弱クソボディがよ。
「……おはよう」
目が覚めたんなら離してもらっていいっすかね。
「うん、おはよう」
柊木悠真はふにゃりと笑み崩れた後、とろとろした、未だ夢を見ているような溶けた瞳で、とんでもないことを宣った。
「なんだか、新婚さんみたいだね」
SHINKONーーーー?
なんだっけ、それ。確かなんか、あの機械のパーツ的な何かの名称だっけな。
「あらやだー!」
脳死しかけた私の鼓膜を突き破るような勢いで、母の大声が響いた。
うるさい。寝室から一瞬にして工事現場に転移させられたのかと疑うほどの凄まじい声量。
耳を塞ぐ私にお構いなしに、母がおほほほと高い声を出して笑う。
「それじゃあ悠真くん、うちのお婿さんに来てくれるってことー?」
なんか母がとんでもないことを口走っているような気がするが、流石にそんな人権を無視した幻聴が、現実のものであるとは思い難いのできっと気のせいだろう。
「ボクが? ……ボクは、嬉しいけど……」
柊木悠真がなぜか頬を赤く染めているような気がするのも、きっと幻覚……いや、夢か。現実の私はまだ夢の中にいて、悪夢を見ているのだろう。そうに違いない。
そう思おうとした私の鼓膜を、母親の「きゃー!」という悲鳴が貫通してくる。
いやうるさ。流石にこれは目が覚めているかもしれない。
眉を寄せる私を無視して、母は妙に盛り上がっている。
「悠真がおねーちゃんのお婿さんになったら、オレはどうなるの?」
「陽太も一緒に暮らそうよ。だって、ボクたち家族でしょう?」
「そっか! じゃあ、オレも悠真がお婿さんになるの、賛成!」
おい、これがもし夢でも幻聴でもないとしたら、地獄のような会話をしているということでは?
冷や汗が止まらなくなってきた私は、慌てて首を横に振る。
「悠真、お婿さん、こない」
途端に、うるうると瞳を潤ませた柊木悠真が、掴まれたままだった腕をギュッと握ってきた。
「ちよちゃん……ボクのこと、嫌い?」
子供を泣かせている。
それも、他でもない私が不幸にした子供を、私が泣かせている。
純然たる事実が罪悪感となって胃を刺激していた。
やばい。ただでさえこちらの都合で不幸な幼少期を強いている柊木悠真を、これ以上苦しめて許されるのだろうか。
それに、所詮は子供の言うことだ。きっと大人になる頃には忘れているような戯言に、強硬な姿勢をとることの、なんと大人気ないことか。
私は全身から冷や汗を垂れ流しながら、どうにかして笑みを形作ろうと口角を引き上げる。
い、痛え……! サボってきたせいで衰え切った表情筋が、悲鳴をあげている……!
耐えろ、耐えるんだ私の表情筋……! 私ならできる、できるはずなんだ!
「ソ、ソンナコトナイヨ!」
死ぬほどカタコトの日本語になってしまった。これなら何も言わなかったほうがマシなのでは? という気すらする。
しかし、そんな私の心配を他所に、柊木悠真はにっこりと笑って見せた。
「本当? じゃあ、ボクがお婿さんになってもいいよね」
話が飛躍しすぎじゃないだろうか、と言う気もするが、多分ここで「それとこれとは別の話では?」などといっても、堂々巡りになる気もする。
致し方ない。所詮はガキだ。記憶なんてすぐに失うだろう。
「ソウデスネ!」
ここは適当にうなづいておこう。
私はガキのままごとに腹を立てるほど狭量じゃない。そういう人間としての器の広さを見せつけておこう。
耐えろ、耐えるんだ千代。
お前は大人……。目の前のガキを泣かせるくらいなら、舌を噛んで耐えるのが大人ってもんだろ、なあ!
「やだー! そしたら、悠真くんと陽太くんもうちの子になるってこと!」
「そうなりますね」
「まあ、まあ! 嬉しいわー! そうなったら、おばさんとも遊んでくれる?」
「オレ、おばさんのこと好き! だから、一緒に遊ぶ!」
「ボクも、おばさまのこと大好きです。家族になれたら、嬉しいです」
「やだ、もう。千代のおかげで夢が広がるわー!」
なんか妙に盛り上がってるんだけど、もしかして母、本気にしてないだろうな。
私は己の地獄を舌を噛みながら我慢しているというのに、なぜ母はそんなに楽しそうなんだ。
恨めしさすら感じる。
しかし、もし母が本気で言っているのだとしたら危険だ。ここは一丁釘を刺しておこう。
「大人にならないと、わからない……」
ガキの言うことだからな? わかってるよなあ?
私の声に圧を感じたのか、母がすっと目を逸らした。
「でもボクは、大人になってもずっと一緒にいたいよ……」
柊木悠真が掴んでいた腕を離して、すっと私の手を取った。指の間に他人の指がさし込まれる違和感に、背筋がぞくりと粟立つ。
咄嗟に手を引いて、己が手を救出した。
大丈夫か、私の手……! 可哀想に、気持ち悪かったな!
労わっていると、はたと気がついた。
視線……ッ! 凄まじい視線に晒されている……ッ!
チラリと視線を上げると、今にも泣きそうな柊木悠真と目が合った。
違うんだよ……。あの、カップルがするような手の繋ぎ方されたから、つい鳥肌が立っちゃったんだよ……。別に、触られること自体が嫌なわけではないんだよ……。
私は誤魔化すように笑みを浮かべながら、ポンポンと柊木悠真の手を叩く。気持ち的には猛獣を落ち着かせる調教師だ。
よーしよしよし、泣くなよ。私はガキの涙に弱いんだ。
すると、今度は背後からくいと服の裾を引かれた。
「おねーちゃんは、ずっと一緒にいたくないの?」
桐原陽太のまん丸とした瞳が、こちらをじっと見上げている。
いたくないですねえ!
クソデカ声が出そうになるのをなんとか押し留めながら、私は逡巡する。
クールになれ、私。
ずっと一緒になんて、絶対に、全く、これっぽっちもいたくはない。けれど、少なくとも高校に入るまでは、柊木悠真と友好関係を築いていきたい。
つまり……やはり私に残された道は、柊木悠真の機嫌を取る道オンリー!
ぐやじい……! 私に力さえあれば、こんなガキ共の機嫌を取る必要もなかっただろうに……!
私に、世界を滅ぼす力さえあれば……!
悔しさに歯噛みしながら、私はなんとか口を開く。
「ズットイッショニ、イタイヨ……」
笑えよ。私は魂を売り渡したオタクだ。
「嬉しい……! ずっと一緒に生きていこうね」
「三人でずっと一緒……!」
なんて恐ろしい言葉の羅列なんだろうか……。
私はあまりの恐怖にそのまま意識が遠のいていくのを感じた。
こちらで一区切りとなります。
と、同時に書き溜めていた分を大分消化してしまったので、週末(土曜、日曜)更新に切り替えさせていただきます。
更新頻度は下がりますが、今後もお付き合いいただけると幸いです。
また、今までにブックマーク、評価、リアクション、感想等をいただいた方々、大変ありがとうございました。モチベーションになっております。
この場を借りて御礼させていただきます。本当にありがとうございました。これから先もお楽しみいただけるよう、精進して参ります。