第42話 桐原陽太:特別な人たち
陽太を長年苛み続けていた問題は、柊木悠真という名の圧倒的力を前にあっという間に収束した。
あの後……。
悲しげに涙を流し続ける千代を送り届けて、空っぽになった屋敷の中で、陽太はふっと体から力を抜いて倒れ込んだ。
がらんとした屋敷の中で、冷たい床板の感触を噛み締めながら、思ったのだ。
ああ、自分は今、自由なのだ、と。
すると、胸がすうっと軽くなるような感覚がして、なんだか色々な物事が、以前よりよく見えるような、そんな心地がした。
不思議なことだと思いながらも、陽太の胸の中には、千代の姿が浮かんでいた。
自分の身に起こったことなど気にもせずに、ひたすらに悠真の心配をしていた少女。
泣いて震えながら、前を見据えていた小さな少女。
心底悲しそうに、分かり合えない苦しみに苛まれていた少女。
その全ての姿が、陽太にとっては信じがたく……だからこそ、きらめいて見えた。
純粋で、透明な……得難い人。
彼女を守ろうとする悠真の気持ちが、今の陽太にはよくわかった。
「おねーちゃん……」
千代の姿を空に描きながら、陽太は目を閉じた。
自覚はなかったが、随分と疲れ果てていたらしい。自然と睡魔に襲われ、瞼がぐんと重くなった。
陽太は微睡んでいた。
久しぶりに、夢の中で、例の女に人を見た。
女性は今日もほろほろと涙を流している。その手がゆっくりと陽太の頭に触れ、さらさらと撫ぜる。
陽太は顔を上げた。
『……でもね、私、後悔はしていないの。ごめんなさいね、あなたをこんなことに、巻き込んでしまったのに、本当に身勝手だわ』
その顔は微笑んでいて……。そこで陽太は気が付いた。
今まで彼女の周囲を漂っていた靄が、光に当たって霧散していくのを。
疑問に思うより先に、女性が口を開く。
『だけどね、陽太。覚えていて。あなたにも、きっと――』
光が増し、その顔が露わになる。
陽太によく似た面差しの、美貌の女性が、煌めく笑顔を浮かべていた。
『きっと、何にかえても悔いることのないくらい、特別な人が、きっと現れるはずよ』
陽太は久しぶりに見た女性の――母親の顔に、微笑みかける。
母が言っていることが、陽太にもよく、理解できたからだ。
『そういう人に出会ったなら、大切にしなさい。そうすればきっと、あなたは幸せになれるはずよ』
母の言葉に陽太が頷くと、彼女は安心したように目を瞑った。
その顔が急速に遠ざかって……陽太は目を覚ました。
夢の中のものだったはずの優しい手が、陽太の頭を撫でていた。
「あれ、陽太、起きたの?」
悠真の声がする。
陽太が視線を上げると、優しい表情の悠真と、いつも通りの千代の顔が、視界に収まった。
二人の顔を見つめながら、陽太は夢の中で聞いた母の言葉を、繰り返し胸の中で唱える。
安心してよ、母さん。
オレもちゃんと、見つけたから。
大切にするべき、特別な人たちを――。