第40話 桐原陽太:愛を見た日
三人並んで仲良く手枷を嵌められた陽太たちは、ようやく落ち着いた状態で、向き合うことができた。
さっそくと言うように投げられた、何故閉じ込められているのか、という悠真の問いに、陽太は唇を噛む。それを話すとなると、自分の出生についても語らなければならないと、わかっていたからだ。
けれど、逡巡は一瞬だった。だって千代は、陽太が何者でも構わないと言ってくれたし、悠真は陽太を守ると約束してくれたのだから。
「オレは、確かに半分は妖怪なんだ。けど、他の何よりも同族に疎まれている。この光の能力が、彼らにとっては忌むべきものだから……」
そうやって語り始めた陽太を、悠真は真剣な瞳で見据え、千代は……。
千代は、今にも死んでしまいそうなほど、苦しそうな顔をして聞いていた。
陽太は不思議な心地がして、語りながらも、ひたりと千代を見つめていた。
この子は、どうしてこんなに苦し気に、悲し気に、まるで自分の身に起こった話のように、オレの話を聞くのだろう。
だって、関係のない話だ。これはオレの過去で、千代には何の関係もない――終わった話だ。ただの、流れた時間の歴史に過ぎない。
それなのに、どうして。
そうしてキミが、そんなに苦しそうなんだ。
やがて千代は、大きくうなだれた。泣いているのか、その肩が小刻みに震えている。
時折小さく首を振って、「どうして……」「やめて」と漏らしながら、ついには自分の両手に顔を埋めてしまった。
「千代ちゃん……」
心配そうに眉を寄せた悠真が、吐息で千代の名前を呼んで、そっと手を握った。
千代は、はっと顔を上げて、悠真を視界に映す。きゅっと苦し気に眉を寄せた後、大丈夫だとでも言うように、ふるりと首を振った。
千代は、心底辛そうで、苦しそうで……。その姿は、下手したら、陽太よりも陽太の身に起きたことを悲しんでいるんじゃないか。なんて、くだらない妄想を陽太に抱かせるほどのものだった。
悠真は隣で、そんな千代をじっと見つめていた。陽太は、悠真が表情をしているのか気になって、その様子を観察する。
悠真は、目尻を下げて、口元に笑みを湛えていた。頬はうっすらと赤く染まり、瞳は少しだけ潤んでいるようにも見える。
それは、俯き咽び泣いている千代とは、正反対と言っていい顔だった。
見ている人間が、自然と「ああ、この人は視線の先にいる人のことが大切なのだな」と思わされてしまうその表情には、どこか見覚えがあった。
一体、どこでこんな表情を見たのだろうかと、陽太は記憶を巡らせる。
そして、はたと気がつく。そうだ、これは……乙女ゲームで見てきた、「愛しい人を見つめる顔」というやつだ。
そうか、悠真は、千代のことを愛しているのだ、と。
陽太はその時初めて、本当の意味でそれを理解した気がした。
それと同時に、思った。
悠真が愛おしそうに見つめている千代の姿は。
陽太以上に、陽太の身の上に起こったことを悲しみ、嘆いてくれているその姿は。
自分にとっても眩く……。胸に何か、あたたかな光が差し込むような、妙な感覚がして。
陽太はその感覚の名前が知りたいと、そう強く願った。
「それで、これからのことなんだけど……やっぱり、ちゃんと戦った方がいいと思うんだ」
話しが一段落つくと、悠真は早速というようにそう提案してきた。
陽太は驚愕する。
先ほども同じことを言っていたが、手枷をつけられた状態で再び言い出すとは思っていなかったのだ。
陽太は真っ先に無理だと苦言を呈した。
妖怪たちは陽太にとって、目の前に聳え立つ、大きな大きな壁だった。
殴られ、蹴られ、踏み躙られた数多の記憶が、陽太の心を縛り付けていたのだ。
そんな無茶なことはできない、と思った。
陽太一人だけのことなら、別に良い。いつもと同じことの繰り返しだ。
けれど、今は悠真も、千代もいるのだ。もし二人が、自分がされてきたように言葉や暴力に晒されてしまったら――。
そんなことは、耐えられない。あってはならないのだ。二人を陽太の問題に巻き込むことなど。
けれど、千代は違った。
「……戦って、勝ち取ろう」
当然のようにそう言い放ったのだ。
陽太は驚いて千代を振り返った。
陽太の知る千代は、どこまでも優しい女の子だ。
ついさっきだって、陽太の過去に胸を痛めて、泣きながら震えていた。悠真が励まさなかったら、あのまま泣き続けていたかもしれない。
そのくらい、他人の心に寄り添って、自分の事のように受けとってしまう、優しい、優しい女の子……。
そんな千代が、「戦う」だなんてことを言うとは、思いもしなかったのだ。
戸惑う陽太とは裏腹に、千代は強い目をしていた。
陽太ははっと息を呑んで、吸い込まれるようにその瞳を見つめる。
自由にならなきゃ。
そう語りかけてくる瞳を前にして、陽太はぐらりと視界が歪んだ気がした。
自由……。陽太にとっては、あまりにも遠い言葉だった。
監視され、制御されて、今まで生きてきた。当然のことだと思っていた。
陽太は危険な存在だから、仕方がないのだと。生まれてきたことが間違いだったのだから、仕方がないのだと。そう言い聞かせてきた。
けれど、そうではないのだと、千代は言う。
陽太は自由になるべきだと、その資格があると。その為の協力なら、何も惜しむことはないと。
千代は、同世代の子供達と比べてみても、かなり小柄な少女だ。
転んだりでもしようものならば、ポッキリと腕が折れてしまうのではないだろうかと思ってしまうほど、彼女の手足は細く、弱々しい。
この世界では珍しい黒い髪も相まって、夜の闇に溶けて消えてしまうのではないか。そんな印象を抱いてしまうような、儚い容姿をしている。
けれど、時折彼女は、今のように強い光を宿した瞳をする。
そういう時の千代は、普段と百八十度違った印象を持った。
決して何者にも侵されず、どんな物事にも決して揺らがない。そうありありと語る、折れない光。
それはどこか、神聖ささえ感じさせられる、強い光で。
なんて眩いのだろうと、その姿が輝いて見えて、ああ、と思った。
特別な女の子。
陽太の常識を打ち砕いて、光り輝くものを見せてくれる、特別な女の子。
どうして、彼女の言葉は、こんなに綺麗だと思うんだろう。
どうして、何もかもが、こんなに違うんだろう。
「流石千代ちゃん! そうだよね、今のままじゃダメだ。戦って、陽太の自由を勝ち取らなきゃ」
「二人とも……」
悠真の言葉に、はっとして、無理やり視線を千代から引きはがした。
「それに、戦うって言っても、戦闘をしようってわけじゃないんだ。ボク達には、言葉がある。ボクと陽太が分かり合えたようには、いかないだろうけど。それでも、交渉はできるでしょう?」
なるほど、と思った。
千代から出るのには、あんまり過激な言葉に一瞬ビックリしてしまったけれど、つまり二人の言いたいことは、そういうことだったのだ。
「そっか。悠真の言う、『戦う』って言葉は、オレが妖怪のみんなと向き合わなきゃいけないって意味で言っていたんだ」
それは確かに、千代の瞳が雄弁に語っていた、「自由」をつかみ取ることに、繋がる。
流石は悠真である。千代との関りが長いだけあって、二人の意識は共通しているのだ。
「ふふん、ボク、『優しくて常識的』だから、ね!」
悠真がウインクをしながら、千代を振り返る。
おどけた様子の悠真に、陽太は思わず笑ってしまった。