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第33話 桐原陽太:日常

 優しい顔をした女性が、ぽろぽろと涙を流しながら、告げる。


『ごめんね……。ごめんね……』


 桐原陽太は、それに「泣かないで」と手を伸ばそうとするが、体が動かないことに気が付いて、断念せざるを得なかった。


 どうして、泣いているの?


 尋ねようとした言葉も、発せられることはない。


 ただ、悲し気な女性の泣き声だけが、その場に響いていた。


 泣かないで。謝らないで。オレなら、大丈夫だから。


 伝わらない想いにもどかしさを感じ始めた頃、女性がふと、口元を綻ばせる。


『……でもね、私、後悔はしていないの。ごめんなさいね、あなたをこんなことに、巻き込んでしまったのに、本当に身勝手だわ』


 陽太は、不思議な心地がしながら、その顔を眺める。


 ヘンなの。ちょっと前まで、あんなに悲しそうに泣いていたのに、どうしてこんな風に、笑えるんだろう。


『だけどね、陽太。覚えていて。あなたにも、きっと――』


 女性の笑顔を見つめていると、その顔が白く眩んだ。


 ああ、またか。


 冷静に思いながら、陽太はゆっくりと目を開けた。


「……また、この夢か……」


 一人、呟いた部屋の中で、鳥の鳴く声だけが聞こえた。




 桐原陽太という存在は、生まれてきてはならなかったらしい。


 陽太がそれを事実として受け止めたのは、いつのことだっただろうか。ついこの間のことだった気もするし、もう随分と昔の様な気もする。


 日々の繰り返しに、自分の時間感覚が、とうに狂ってしまったことに、彼はそこでやっと気が付いた。


 まるで、自嘲した声が聞こえたかのような、タイミングだった。


 急に玄関の方からガタガタと音が聞こえて、陽太の肩がびくりと跳ねる。


 足音が近づくと、心臓の音がどっどっ、と大きく響く。自然と手が震えた。


 ノックの一つもなしに、扉が開いた。能面の様に無表情な人物……いや、妖怪が顔を出して、ぼつりと言う。


「買い出しだ」


 視線を合わせることもない相手に、陽太もか細い声を漏らす。


「……はい」


 よかった。と陽太は思った。


 気まぐれにやって来た妖怪連中に囲まれて、暴力をふるわれることには慣れた。けれど、慣れたからといって、何度も同じ目に遭いたくはなかった。


 二週に一度、買い出しに連れ出される為にやってくる妖怪にすら、怯えなければいけない。そんな生活が情けなくて、陽太はぼんやりと考える。


 どうして自分の人生は、こうなのだろう。


 何がいけなかったというのだろう。


 その答えを示すのは、いつも彼を囲んで笑う連中だった。


『お前は、生まれてきたのが間違ってたんだよ』


 悪意に歪んだ口元が、ぽっかりと開く。その口から呪詛の言葉を浴びせられた記憶が、陽太の中から自尊心を奪っていった。


『気持ち悪いやつ』

『親なしの癖に、いつもニヤニヤ笑ってやがる』

『こいつ、光の能力をつかうらしい。ああ、恐ろしい、恐ろしい』

『どうしてこんな奴が、まだ里にいるんだ?』

『いつか親と同じように、きっと道を踏み外すに決まっているのに』

『早く消えちまえ』


 耳の奥にこだまする言葉に、陽太は軽く首を振る。


 今は、あの妖怪の言葉に従って、買い出しに行かなくてはいけない。こびりついた呪いを反芻することに、意味などないのだ。


 陽太はゆっくりと立ち上がり、既に歩き出している妖怪の後を慌てて追った。


 先行していた妖怪が、陽太を振り返ることはなかった。




 二週に一度の買い出しは、陽太にとって息抜きの時間であり、また自分の孤独を実感させられるタイミングでもあった。


 買い出しは、基本、自分ひとりでしてはいけないことになっている。


 曰く、好き勝手に買い物させて、栄養の偏った食事になるといけないとかなんとか。もっともらしいことを口にしてはいるけれど、ただ単に、両親の残した遺産は、陽太の思い通りになるものではないのだという現実を、突き付けたいだけに思えた。


 買い出しだ、と連れ出されては、毎度監視役の妖怪に置いて行かれた。単なる嫌がらせだ。陽太がそのまま帰って来ないとは思っていないのだろう。


「……いや、帰って来なくてもいいと思ってるのか」


 実際、帰って来た陽太を、興味もなさそうに一瞥するか、「帰って来なけりゃいいいのに」と吐き捨てるだけなのだから、事実そうなのだろう。


 自分たちが捨てたのだということになると、外聞が悪いのか。どのような事情があるのかは、陽太にはわからない。けれど、妖怪たちが、あわよくば、陽太を捨てたがっているのだ、と言うことは、純然たる事実のように思えた。


 毎回毎回、置き去りにされる度に、必死に家へと帰る道を探しながら、陽太はいつも迷った。


 このまま、家には帰らずに、どこかへ逃げてしまった方が良いんじゃないだろうか。


 ぼんやりと考えながら、結局『帰る場所がない』恐怖に圧されて、陽太はいつも必死に帰ろうとしてしまう。そんな自分が滑稽でならなかった。


 白々しく「忘れていた」と言い続ける監視役の妖怪に、腹の立つこともあった。けれど、一方で、その瞬間だけ訪れる、一人だけの時間を切望している自分に、陽太は気が付いていた。


 見知らぬ土地で、自分に無関心な人の群れの中でだけ、陽太は息ができる気がした。


 自分のことを知っている存在がいないというのは、なんと素晴らしい事なのかと思った。里では、陽太を知らぬものはいない。存在してはならぬ光属性持ちで、半妖で、誰の目にもつく目障りな生き物だったからだ。


 けれど、人の群れの中では、陽太は存在してはいないかのように透明になった。


 誰も陽太を気にかけないし、誰も陽太に目を向けない。


 人間は、素晴らしい。


 いつしか陽太は、そんな風に考えるようになった。


 監視役に置いて行かれる度、陽太は少しずつ地理を覚え、息抜きすることを覚えていった。

 人間は陽太を気にしない。だからこそ、陽太は好きな場所に赴き、好きに過ごせた。


 一等気に入ったのは、本屋だった。


 本屋は、陽太の知らない物事の詰まった宝庫だった。文字を学び、本を読み、陽太は自分の知らない「普通」を学んだ。


 普通、親子は一緒に過ごすものらしい。


 普通、家族は大切に想いあうらしい。


 普通、友達という存在がいるらしい。


 普通、同じ種族同士は、助け合って生きるらしい。


 普通、人間は妖怪を恐れるものらしい。


 普通、普通、普通、普通。


 陽太は愕然とした。


 そのどれもが、自分にとっては遠い夢のようなものでしかなかったからだ。


 しかしだからこそ、陽太はそれらに焦がれる自分を否定できなかった。


 普通になれたらいいのに。オレも、どこかの誰かと同じように、普通に……。


 そう考えた瞬間、自嘲が漏れた。


「どこかの誰かって、誰だよ」


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