第23話 私の幸せ、どこ行った。
「ボク、自分のゲーム機が欲しい……!」
一大決心をしたように、拳を握り、ついでに立ち上がりながら柊木悠真がそう宣言をしたのは、小学校に入学してからしばらく経ったある日のことだった。
私ははっとした。
それは、そうだろう。
柊木悠真は、乙女ゲーマーとして実に優秀に育ちつつあった。今では、私も柊木悠真の好きなキャラ傾向が理解できる程度にはゲームの本数もこなしている。
柊木悠真は、どうにもクール系で口数が少なく、何を考えているかわかりづらいが、実は優しいタイプのキャラが好きなようだ。なかなかいい好みをしている。
「そう……だよ、ね。悠真も……自分のゲーム機、欲しいよね……!」
私は力強く頷く。
始めたての頃は、借りるままにゲームをプレイするものでもいいだろう。しかし、ある程度経てば乙女ゲーマーとしての自我が目覚め始めるのは当然のこと。
それに……私もそろそろいちいちゲーム機ごと貸しだして、好きなゲームを好きなタイミングでできないことに、耐えられなくなってきたしね!
そうと決まれば、話は早い。柊木悠真に、自分のゲーム機を、持ってもらおう。
私は決心するが、向かいの席に座っていた桐原陽太が首を傾げる。
「でも、悠真の家のお父さんって厳しくて、ゲーム機なんて買ってもらえないって言ってなかったっけ?」
そうだった。
乙女ゲームを始めてからの柊木悠真は、前にもまして言動が大人びてきていた。だから、最近はもう何の違和感もなく会話をしていたせいで、現在ピッカピカの小学一年生の幼子であるという事実を忘れがちになっていた。
子供と言うのは、金銭的な部分においては非常に不自由だ。アラサーから子供に戻って最も面倒だったのは、自分でお金を稼いで自由に使えないことだったというのに、間抜けにもそれを忘れていた。
「うん……」
しょんぼりと肩を落とした柊木悠真が、蚊の鳴くような声で返事をする。
いかにも哀れなその姿は、私の罪悪感を刺激するのには十分だった。
な、なんとかしなければ……!
これがもし、乙女ゲームに関わりのないことであれば、正直「すまんな」と思いながらスルーしていたかもしれない。わが身が一番かわいいのだ。言わせるな。
しかし、これが乙女ゲームの布教のためとなれば、話は別だ。
乙女ゲームは、人生。そして私は、乙女ゲームを愛する者……。そう、乙女ゲーマーなのだから。
「……どうにか、できないかな……」
私は呟きながら、考え込む。やる気はあるのだが、いかんせん、良いアイディアが浮かんでこない。
カチ、コチと時計の針が進む音が響いた後、急に立ち上がった桐原陽太が、言い放った。
「――オレが、なんとかするよ……!」
その姿は、今まで見た中で、一等頼もしく見えた。
心情のせいか、後光が差していたようにすら思えた。
桐原陽太が姿を消した。
いや、これが正確な表現なのかは甚だ疑問なのだが、とにかく桐原陽太はあの乙女ゲーム獲得宣言を境に、我が家にその姿を見せなくなった。
正直に言って、かなり心情的にはプラスに働いていた。黒歴史の体現をしたような顔面を拝まずに済むのは精神衛生上非常によろしかったのだ。
しかし、そんな私の晴れやかな気持ちとは裏腹に、柊木悠真が表情を曇らせるようになっていた。
「陽太、どうしたんだろうね……」
しょんぼりを肩を落とす柊木悠真の前で、私は気楽に返す。
「悠真のゲーム機、なんとか……しようとして、くれてる?」
「そう……なのかな。だとしたら、申し訳ないなあ。家が、普通の家だったら、陽太に頑張ってもらわなくても、良かったのかもしれないのに」
ぼそりと呟かれた言葉に、胸の下あたりがきゅっと締め付けられたような痛みを訴える。身に覚えがある痛みだ。そう、これは……良心の呵責!
私の無駄な設定のおかげで幼児を不幸にして、本当にすまないと思っている。超ごめん。必ずこの世界を亡きものとして、お前の不幸も無かったことにしてあげるからね。
罪悪感を訴えてくる胃に突き動かされるようにして、私は柊木悠真の両手を自分の両手で包み込むようにして握る。そうして、じっとそのヴァイオレットの瞳を見つめながら、唱える。
「悠真は、悪くない」
慰めでもなんでもなく、本当に何にも悪くないのだから困った。
何故ならこの世の罪は全て私に起因しているからだ。どうして? ここが地獄の底なのか?
死んだ目をする私に気が付いているのかいないのか、柊木悠真は「千代ちゃん……」と声を震わせながら立ち上がると、ぐいと袖で目元を拭い、にっこりと笑った。
「今更な話だったよね、ごめん。それより、陽太のことだよね!」
笑顔を見せた柊木悠真に、私は曖昧に微笑み返す。
桐原陽太のことは、別に気にしてないんだけどな……。来なければ来ないで、穏やかなだけなんだけどな……。
心の中ではそう思いつつも、流石に非人道的な思想過ぎるので、口には出さない。
汚い事実は全て隠ぺいする……。それが大人のやり方なんだよ、少年。
「陽太がボクの為に動いてくれていて、来られないのなら、無理しないでって言わなきゃ。そもそもは、ボクの願い事なんだから、ボクが自分で叶えるべきだったんだ」
柊木悠真の瞳が、澄んだ光を宿している。それは、晴れやかで健康的な光で……黒幕には相応しくない光だ。
ゾッ……っと、背筋を怖気が走った。
非常にまずい。
前提として、私は決してこの世界の滅びを諦めてなどいない。つまり、私は柊木悠真をバッドエンドの世界線に導かなければいけないのだ。
だというのに、こんな綺麗な瞳をされていては、目標は遥か彼方であると言わざるを得ない。なんという恐ろしい話だ。
私は慌てて柊木悠真をバッドエンドの世界線に引き戻そうと、猫なで声を上げる。
「でも……悠真には、どうしようもない。そんなに、頑張らなくて、いい……」
まさに悪魔の囁きである。
あっ、どこからか「この人でなし」と罵る声が聞こえる気がする……!
え? 子供の可能性を潰すような言動をして罪悪感はわかないんですかって? うるせえうるせえ、背に腹は代えられんのだ。
しかし、そんな私の気持ちとは裏腹に、柊木悠真は一層輝く笑顔を浮かべた。
「千代ちゃん、ボクのこと心配してくれてるんだね……! 嬉しい……。でも、大丈夫だよ、だってボク、『優しくて常識的』な人になりたいから!」
顔面の作りも相まって発光しているのでは? という錯覚さえ抱きそうになる笑顔を前にして、私は時が止まったように動きを止めた。衝撃の事実に気が付いてしまったからだった。
友人としての好感度をかせいでしまったことにより、私に好かれようとして真人間になろうとしている……?
あれ、もしかして私の好きなキャラ傾向のせいで、私の幸福が遠ざかっているのでは?
足元がぐらぐらと揺れているような気がする。
今にも地面が割れて、地の底まで引きずり込まれるんじゃないだろうか、と錯覚するほどの、圧倒的絶望感。それを前に、私は金魚よろしく口をぱくぱくとさせて、空気を肺に取り込むことしかできなかった。