第22話 推しカプと推しキャラは違うと言っている。
結論から言えば、布教は大成功した。
「凄くよかったよ!」
ニコニコとした桐原陽太が、そんな風に言いながらゲームを返却してきたのだ。
いつものように、三人でおやつを食べている最中のことだったので、私は少し面食らった。
そんな様子に気が付いているのかいないのか、桐原陽太は語り始める。
「最初は、その……ごめん。正直、ちょっと抵抗があったんだ。おねーちゃんと一緒にやるならまだしも、ひとりでやるのは……。女の子がやるものなんじゃいかなっていう気持ちもあって」
その気持ちはわからないでもない。少女漫画だって、読むのに抵抗のある男性は多いだろう。
画面が華やかでキラキラしているからね。そういったものは女性的であると判断されやすい。あと、恋愛がメインの物語も、基本的には女性向けだとされがちだ。ラブコメみたいなのは、男女関係なく見られるから、謎だけれど。
赤べこのように頷いている私の横で、柊木悠真が首を傾げている。彼にはそういった抵抗はなかったようだ。素晴らしい。このまま英才教育を続けよう。
「でも、読み進めているうちに想像とは全然違う話が広がっていって……。熱くなって、手に汗握りながら応援してて……。気が付けば夢中になって読み進めてた!」
私は思わず拍手をしたくなるのを堪えながら、脳内でスタンディングオベーションを繰り出していた。
狙い通りである。
桐原陽太には、糖度が低く、その上でシナリオの完成度の高いものを選んで押し付けたのだ。
そう、糖度――。乙女ゲーム界隈には、糖度と呼ばれる共通概念がある。これはいわゆる、恋愛要素の甘さ……濃さといってもいいだろうか。どの程度恋愛要素が濃く描かれているか、という指標を示す言葉である。
糖度が低い、という作品だと、所謂甘い言葉を言われることが少なかったり、キスシーンなんかが描かれていなかったりする。逆に、糖度が高い作品だと、甘い言葉を言われるシーンやキスシーンが多く、場合によっては夜を匂わせるシーンがあったりするわけだ。
桐原陽太に貸し出したのは、部活物の乙女ゲームだ。共に本気で部活動に取り組む中で心を通わせていくうちに惹かれあう……。という内容で、基本的には部活動でのサクセスストーリーが中心に描かれる。
乙女ゲームは最終的に「愛」や「恋」が描かれれば良いのであって、必ずしもそれが物語の軸に添えられているわけではない。そして、深い信頼関係から恋愛感情に発展していく……という展開は、どんなジャンルの物語にもつきものだ。
男の子が初めてプレイする乙女ゲームとして、とっつきやすいものに違いない。
私は内心ニヤリと笑いながら、桐原陽太に言葉をかける。
「面白かった……でしょ?」
桐原陽太は、晴れやかな表情で頷いた。
私は内心どや顔をかました。
「……良かった。私、お気に入りのシーン、あって……」
ほっとしながら、気分の昂るままに感想を話し合おうと口を開く。身振り手振りを交えながら、熱くお気に入りシーンについて語ると、目前の桐原陽太は、ニコニコとしながら両手で頬杖をついて、うんうんと同意するように頷いてくれた。
それで更に興が乗って、熱が上がる。
「……オレ、悠真の気持ち、わかったなあ」
ふと、桐原陽太がそんな風に言い出し、私は何の話かと、首を傾げた。
「おねーちゃんが、こんなに沢山お喋りしてくれるの、初めて聞いた。こんな風にお喋りできるんなら、オレももっと沢山乙女ゲームがやりたいなあ」
つまり、乙女ゲームをプレイした後に友人と語り合う楽しさを思い知ったということか。
そうだろう、そうだろう。流石私の分身だ。
私はすっかり気分を良くして、他に勧められる作品は何かと考え始めた。しかし、そんな浮足立った気分を地の底まで落としたのは、先ほどまで私の気分を上昇させてくれた、桐原陽太本人だった。
「おねーちゃんは、将来このキャラみたいな人と結婚したいの?」
お前は何もわかっていない。
一瞬、血管がブチ切れてしまいそうなほどの激昂が全身を支配しかけたが、私は慌てて首を振って、その感情を振り払う。
いやいや、桐原陽太は、まだ何も知らないんだから、そう思われても仕方がないだろう。ここはきっちりと説明をしなければならない。落ち着け、私。
乙女ゲームをプレイするのって、どんなオタクが多いかご存じだろうか? 答えは、『男女の恋愛もの』を見るのが好きなタイプのオタクである。俗にいうNLオタクというやつだ。
一般的に、夢女子と呼ばれるオタクがいる。自分、あるいは自分が作ったオリジナルキャラクターと、ある作品においてのキャラクターを恋愛関係にさせたり、家族や友人にさせたりなど……。様々な人間関係を構築させることを好むオタクのことである。その中でも特に、自分とキャラクターの恋愛を夢見るタイプの夢女子が、乙女ゲームのプレイヤーには多いと思われているように思う。
桐原陽太が言ったのも、そういうことだ。私自身と、乙女ゲームの攻略対象との恋愛を想像して楽しんでいる、と思ったのだろう。
勿論、そういった楽しみ方ができるのも、乙女ゲームの良い点だ。シチュエーションCDと呼ばれる、キャラクターが、聞いている人間に対して言葉を投げかけているような気分で聞けるCDなんかが、関連作品として発売されることもある。夢女子としての活動を楽しめるジャンルであることは間違いないだろう。
しかし、実際に乙女ゲーマーと関わってみると、想像していたより夢女子は少ない。
そう。前述した通り、乙女ゲーマーの多くは、男女の恋愛ものを第三者目線で見ているのが好きなタイプのオタクなのだ。ヒロインを自分の分身ではなく、一キャラクターとして見ているのである。
少女漫画を読むのと同じ感覚、と言えばわかりやすいだろうか。ヒロインと攻略対象との恋愛模様を、背後霊のごとき立ち位置で楽しんでいて、自分自身が攻略対象と恋愛したいわけではない。そういうタイプのオタクが、体感的には多いのだ。
私の場合は、推しカプがあまりにもくっ付かなさ過ぎて乙女ゲームにハマったタイプだった。少女漫画の当て馬キャラ、少年漫画の脇カプや結ばれなさそうなライン……。所謂マイナーカプを推しにしがちなタイプのオタクだったのである。
長々と語ったが、決して夢女子を否定したいわけではない。それは素晴らしい楽しみ方の一つである。ただ、乙女ゲームを、夢女子でないと楽しめないジャンルであると、誤解して欲しくないのだ。夢女子も、男女カプ厨も、一緒に楽しめる間口の広いジャンルなのだと、わかってほしいのだ。
そういった内容を、たどたどしくも何とか語り終えると、桐原陽太はなるほどと頷いた。
「そっか……。じゃあ、おねーちゃんにとって好きなキャラは、好きなタイプっていうより、『人間としての好み』ってこと?」
賢いな。その通りだ。そして、推しキャラと推しカプはまた別の話だ。
頷いて見せる。
「悠真、それでいいの?」
何故か桐原陽太が柊木悠真に話を振る。
悠真も尋ねられた意図がわからないのか、首を傾げながら口を開いた。
「ボクは、ちよちゃんに好きになってもらえれば何でもいいけど……」
柊木悠真の言葉で、私はやっと桐原陽太の言葉の意図が掴めた。
こ、こいつ……! もしかして柊木悠真が私に恋愛感情を寄せているなんていう悪魔的発想に至っていたというのか……⁉
なんたることだ。とても私の分身とは思えぬ恐ろしい暴言である。
そんなことは決して起こってはならぬことだ。たとえ世界が滅んでも。いや、実際に滅ぼす気しかないんだけど。
しかし、柊木悠真の言うように、彼の好意はあくまで生まれて初めてできた友人に対するそれだ。見当違いもいいところである。もっと言ってやってくれ、柊木悠真。
「人として好きになってもらえれば、ずっと一緒にいられるでしょ……?」
あれ待てよ、これ一生友人付き合いをさせられるのでは……?
一瞬怖気が走ったが、普通、年齢を重ねていけば、友人関係なんてものは変化してしかるべきだ。その上、柊木悠真には、将来出会うことを宿命づけられたヒロインの存在がある。高校に入りさえすれば、幼少期の友人のことなど忘れてくれるに違いない。そうだと言ってくれ。
私は天に祈りながら、慌てて口を開く。
「悠真、これ、悠真には貸してなかった。……やる?」
返却されたゲーム機とソフトを柊木悠真に流すことで、私は会話を強制的に打ち切ったのだった。