第21話 推しのタイプ。
小さな画面を、三人でおしくらまんじゅうかくやというぎゅうぎゅうさで覗き込み、きりの良いところまで進めると、やけに上機嫌な様子の桐原陽太がぱっと顔を上げた。
「なるほど!」
続く言葉を待ってみるが、桐原陽太はニコニコとするだけで、他の言葉を吐き出す様子はない。
……いや、なるほどって何だよ。
「……それ、感想?」
「ん? ああ、うん! 面白いね!」
ニコニコとしたまま、桐原陽太が言った。
ほう、どうやら、話が分かるタイプのようだな。
私はうんうんと頷いて、さらに細かい話を聞こうと話を振る。
「どんな、ところが……?」
桐原陽太は、「そうだなあ」と短い間逡巡して、すぐにまた笑顔を浮かべる。
「まず何より、参考になるところかな」
曇りなき眼を前に、私は首を傾げた。
あまり気にしていなかったが、そういえば柊木悠真も参考になる、とか勉強になる、といった言い方をしていた。
一体乙女ゲームの何を、何の参考にしようと言うのか……。場合によっては、現実に持ち出すと、確実に痛々しさを感じさせることになると思うんだけど、大丈夫か?
私の訝し気な視線に気が付いたのか、桐原陽太は頬をかきながら、へへへとどこか照れくさそうに笑った。
「ほら、人気者の男の子が出てきたでしょ。その立ち居振る舞いとか。オレ、嫌われがちだから……」
皆まで言うな。
唐突に、私の作った無駄な設定のせいで苦しむ幼児の姿を突き付けられて、血涙を流したいような気持ちになった。
馬鹿野郎、無駄に明るく暗い設定を話すな。泣いてしまうだろう。私が。
罪悪感を覚えながらも、にこりと憐みの微笑みを向け、話を逸らしにかかる。これ以上自分の罪と真正面から向き合うつもりはさらさらないのだ。
ただでさえ毎日死にたくなっているというのに、これ以上追い詰められる必要はないだろう、流石に。
「……悠真は? どういうところが、気に入った?」
話しを振られた柊木悠真は、ぽっと頬を染めた。
それから、ちらちらと此方を上目遣いで伺ってくる。
「えっと……その。……ちよちゃんの、好きなタイプの人がわかるから……」
……?
一瞬脳内が海底に迷い込んでしまったような感覚に陥った。
ど、どういうことなんだ……? 私の好きなキャラ傾向を知ることの、何が一体そんなに楽しいというのだろうか……。
わからない。全くわからないのである。
しかし、目前の柊木悠真は何かを期待するような、縋るような眼差しをこちらに向けている。
ま、まずい! なんかリアクションを期待されてるっぽい!
柊木悠真は、大人びているとはいえ、現在まだたった六歳男の子だ。小学校に入学さえしていない小さな子供が、期待の眼差しを向けてきているというのに、「ちょっと言っていることの意味がわからないっすね」などと言い放つのは、流石に良心が咎めた。
すう……と思いっきり息を吸い込んで、私は思考の海に身を投じる。
落ち着け……灰色の脳細胞を活動させるんだ……大丈夫、私ならやれるはずだ。どんな漫画や小説からだって、言動の些細な違和感から、微かに匂わされた恋愛感情に気が付いてきたじゃないか。そう……私は名探偵、橘千代なのだ。
「ちよちゃん?」
不思議そうな表情を浮かべか始めた柊木悠真に「しっ!」と鋭く静止をかけて、私は思考を巡らせる。
柊木悠真は、もっと沢山の乙女ゲームをプレイしたいと言ってきた……。そして私の好きなキャラ傾向を知るのが面白いと思っている……。
私ははっとして顔を上げた。
そうか! 謎は全て解けた!
同時に、昂る感情のまま、ガシリと柊木悠真の両手を掴む。
「ち、ちよちゃん……?」
顔を赤くした柊木悠真が、戸惑ったような声を上げる。
いいんだ……私には全て、わかっている……。素晴らしいことじゃないか……。
そう。つまり柊木悠真は――乙女ゲーマーとして次の段階に進もうとしているのだ。すなわち……布教される側から、布教する側に!
ある程度の作品をこなしていると、友人の好みのキャラ傾向が掴めるようになってくる。すると何ができるようになるかと言うと……友人好みの作品を選んで勧められるようになるのだ。
自分の想像通りに友人が沼落ちしていく過程を見る愉しみは、何物にも代えがたい。つまり柊木悠真は、より多くの乙女ゲームをプレイすることで、私の知らない、私好みの作品を布教する側に立とうとしているのだ。
ふ、ふふふふ……。柊木悠真、恐ろしい子……! まだ乙女ゲーマーとしてひよっこの癖に、既に布教する愉しみに気が付いているとは。
しかし、これはそれだけ乙女ゲームという沼に、柊木悠真がずぶずぶになっているということでもある。流石私の分身である。素晴らしい才能だ。
「……嬉しい」
柊木悠真が乙女ゲーマーとして育ってくれて、本当に嬉しい限りだ。感無量と言っていい。
私は興奮から頬に熱が集まってきているのを感じながら、できる限りの力を使って柊木悠真に微笑みかける。
動け、私の表情筋! 新しい乙女ゲーマーの成長を祝福せず、何が中堅乙女ゲーマーだと言うのか!
柊木悠真は、私の興奮に呼応するかのように、更に顔を赤くしながら、うつむいて何かぼそぼそと言い始めた。
「ちよちゃんが、ボクの努力を喜んでくれてる……! ボクがちよちゃんが好きな人になろうとしていることを、喜んでくれてるんだ……!」
ああ、新たな乙女ゲーマーをこの手で作り上げる愉悦は、何物にも勝る……! ん? いやでも待てよ、コイツ私の分身みたいなものだし、これは潜在的にあったものを呼び起こしただけなんじゃないか?
というより、柊木悠真が私の分身である限り、これを布教と呼んでもいいものなのだろうか。いや、でもこの世界においては柊木悠真も一に過ぎないわけで……。
喜びに浸っているうちに、何だかよくわからなくなってきてしまった。
まあいい。斜陽ジャンルである界隈に、数字を増やせるのなら、相手が人間であろうと鏡であろうと妖怪であろうと、なんでもいいのだ。
そう結論づけると同時に、柊木悠真の手を握りっぱなしだったことに気が付いて、手を離した。
おっとすまん、手汗とか、擦り付けてたりしないよな?
「あっ……」
「ごめん、嬉しくて……。手……掴んだままだった」
「ううん、全然! むしろ、もっと掴んでてもらってもかまわないのに! ちよちゃんの手、あったかくて大好きなんだ」
ふわりとした笑みを向けられて、涙が出そうになった。弱冠六歳にして、既に気遣いができるなんて……。
「……悠真、優しい」
「優しい? ボクが? 『優しくて常識的?』」
テンション爆上がりおばさん相手にも気を使ってもらってすまないな……と思っていたが、柊木悠真が急に刺してきた。おい、急にオタクを弄るんじゃない。私の好きなキャラ傾向を喧伝して回るなと何度言えば……。あれ、言ってないっけ?
しかし、こんな風に軽口をたたかれるとは、柊木悠真も随分と私に慣れたものである。初めて会った時の人形のような顔を思い出すと、なんとなく自分の罪が薄れたように錯覚されて、私は心が軽くなるまま、うんうんと頷いた。
「……いいなあ」
ふと、黙って私と柊木悠真の会話を見守っていた桐原陽太が、声を上げた。
「ね、おねーちゃん。オレも、おねーちゃんの好きな人のタイプ知りたいなあ」
くい、と袖を引かれ、桐原陽太が顔を覗き込んでくる。
私は顔の近さに吐き気を催しながら、何とか胃液を飲み下してそっと頷く。
「はい。……この人が、好き」
そうして、桐原陽太にゲーム機とソフトを持たせ、パッケージに移っている推しを指さした。
つまりは……知りたければプレイしろと。そういうことである。
私と柊木悠真の乙女ゲーム談議に入りたいのなら、仕方がない。貸してやろう。
「……ありがとう」
一瞬言葉を詰まらせた桐原陽太が、お礼を告げてくる。
きっと、ゲーム機ごと貸し出す私の男気に感激したのだろう。
うんうん、構わないよ。布教は大事だからね。




