第1話 地獄の始まり。
軽やかな気持ちで謳歌していた転生ライフに陰りが差したのは、忘れもしない。幼稚園の年中組にあがってしばらく経った頃。通っていた園の砂場でのことだった。
すみれ組に所属していた私は、ベイビーとさほど変わらないおチビちゃんたちに、鬼のように慕われていた。
結婚なんかはしていなかったといっても、前世ではアラサーだった。だからこそ、おチビちゃんに囲まれた空間の中では、自然と年上として振舞っていた。恐らくそのせいだろう。子供というのは賢いもので、自然と私が面倒を見る側の人間であることを理解して、自分からかまってもらいに来るのである。
その日も、おちびちゃん達に両側から腕をぐいぐいと引かれ、己の意思とは関係なしに、砂場の方へと向かっていた。どうやら今日は、砂遊びに付き合わされるらしい。気分は捕らわれた宇宙人である。
キミ達、なんか力強いよね……。お子様の強い意志に勝てる気がまったくせん。
ずるずると、半ば引きずられながら歩く私は、諦めのため息を吐いた。
普段は子供であふれかえっている砂場が、その日はやけに空いていて、ポツリと一人、男の子が座り込んでいるのが見えた。
珍しいものだな、と思った瞬間に、私の腕をガッツリ抱え込んでくれていた少女が、ひそめた声を上げた。
「やだー、ゆうまくんいる……」
え、今この子、ヤダとか言った? 子供の率直すぎる物言い、あまりに残酷過ぎない?
ぎょっとして目を見開く。その瞳が、あまりにも雄弁に非難の色を滲ませていたのだろうか。私の視線を受けて、言い訳をするように少女……リカちゃんは頬を膨らませた。
「リカだけがやだって言ってるんじゃないよ、みんなゆうまくんのこと、こわいって言うもん!」
ね! とリカちゃんが目くばせすると、周囲にいた少年少女がうんうんと頷く。
「ゆうまくん、目がこわいの」
「お顔がね、変わらないの」
「おこったり泣いたりぜんぜんしないんだもん!」
「へ、へえー……。そうなんだ……。わかった、わかったよー。もういいよー」
わいわい、と各々の主張をしているのを、なんとか押しとどめる。
うーん、この子たちを前にして、人間の多様性や、他人に寛容であるべきであるという道徳的持論を語るのは簡単だ。でも、彼らにそれを理解できるかというと、そんなことはないだろう。
そして私自身も、彼らがそれを理解できるように話せる自信は、全くない!
つまり現状、私ができることと言えば、行動で示すことくらい……。なのだけれど、それが上手くいくとも限らない。
下手こいて、私までおチビちゃんたちの輪から弾き出される……ことくらいなら、別に良い。しかし、さっきの言動でも思ったが、子供の正直さ、もの知らず故の残酷さというのは、大人の想像を軽く超えてくる。下手をすると、暴力という名の排斥行為を受ける可能性があるというのは、否定しきれないように思えた。
しかもあの子たち、意外と結構力強いからな……暴力沙汰とかになったら、私のヒョロガリ貧弱ボディじゃ太刀打ちできないよ。自慢じゃないけど、子供たちに小突かれでもしたら、何の抵抗もなく地面に倒れ伏す自信がある。本当に全く自慢できることじゃなくて辛い。
どうするべきか悩んでいると、こちらがあまりにも騒々しかったからだろうか。砂場にいた少年が、くるりと体を翻した。さらりとした黒髪が揺れて、その顔が露わになる。
おチビちゃんたちの発言から察するに、表情の乏しい子なんだろうな。
そう思いながら、何とはなしに彼の顔に目を向けた。
瞬間、世界の時間が止まってしまったような錯覚を受けた。
最初に目についたのは、透明度の高い、ヴァイオレットの瞳だった。光が差していないせいか、虚ろに揺れている。陶器のような滑らかな肌も、陽の光を吸収しているようで、どこか無機質な印象を与えた。
少女たちの言っていたように、その顔には、薄らとすら感情が浮かんでいなかった。若干垂れた目元といい、下がり気味の眉といい、穏やかな印象を与える要素を持ったはずのパーツを、その完全な無表情が冷たく見せていた。
全体的に、幸の薄そうな顔、と言ったらわかりやすいだろうか。今にも消えてしまいそうな儚げな印象を与える美少年が、そこにはいたのだ。
スッと通った綺麗な鼻筋、描いたようにはっきりとした二重。そのどれもが、作り物のように整っており、そのすべてが、何もかも、思い描いていた通りだった。
そう、全部が出来すぎていて、完成されたパーツを丁寧に並べたようなその顔立ちは……私の想像した通りだったのだ。
そうして、想像をそのまんま現実に反映した顔をした少年が、ゆっくりと唇を開く。
「うるさい。ちかよらないで」
その聞き覚え、もとい、考え覚えのある言葉を耳にし、雷に体を打たれたような衝撃が走った。
そうしてわかった。わかってしまったのだ。思い知らされてしまったのである。
――いやここ、自作乙女ゲームの世界では……?
虚ろな瞳を揺らす少年を前にして、私はそっと口元を押さえ、絶叫を飲み込んだ。
――何の拷問だよ!