プロローグ
その人形のような顔を見た瞬間、私の体に電流が駆け巡るような衝撃が走った。
見覚えがあるわけでもなく、勿論知り合いでもないその顔は……しかし想像通りだったのだ。
だから私は、熱烈に思った。
この世界を滅ぼさねばならぬ、と……。
乙女ゲームと呼ばれるゲームを御存じだろうか?
恋愛シミュレーションゲームの一つに位置づけられるゲームで、主に女性をターゲットにして作られる、テキストを中心とした作品を指す。基本的にはマルチエンドの物が主で、途中で挟まれる選択肢によって迎えるエンディングが変わってくるのだ。勿論、作品によってはそれだけではなく、ミニゲームやパラメーターによっても結末が左右されることがあるのだが……。
いや、いや。細かいことはあんまり関係ない。すぐに語ろうとするのは乙女ゲーマー(乙女ゲームをメインにプレイするゲーマーを指す。基本的には乙女ゲームばかりプレイしているので、他のゲームは苦手な場合が多い)の悪い癖だ。
つまるところ、私が何を話したいのかというと、その乙女ゲームの世界に、何故か私がいる、という現状についての話だ。
私……橘千代は、ごくごく平凡な生活を送る五歳児……では全くなかった。何故なら前世のものと思われる記憶が、生まれた時からあったからだ。これはビックリ。いや、なんでだ。おぎゃあと産声を上げた瞬間、「え?」と思ったのを今でも覚えている。
え、私赤ん坊になってない?
現状の把握が上手くできずに、戸惑って泣き声を上げるのを止めたせいで、呼吸が止まったと勘違いされたのか、背中を結構な力で叩かれた。泣いた。
周囲を見回してみると、部屋の中が白一色らしいということはわかったのだが、それ以外の情報がどうにも得られない。視力がかなり弱いらしく、全てがぼんやりとして見える。しかしそれでも、聞こえてくる声から、そこそこの人数が部屋の中にいることが分かった。そして、話を盗み聞くことで、どうにかここが病院の出産現場であることを察することができた。
口からこぼれ出たおぎゃあという声、背中に触れる柔らかな感触と妙な浮遊感、そしてここが出産現場であるという事実……これらの情報を組み合わせると、必然、たどり着く答えがある。
なんてこった! 私、爆誕!
あまりの衝撃に言葉を失うと、再び背中を叩かれてしまった。泣いた。
てんやわんやの出産騒ぎが終わって、病院の保育器からコットへ移される頃になると、私も流石に自分の身に起こったことを理解し始めていた。
どうやら、私は赤ん坊として生まれなおしたらしい。自分が死ぬ間際のことは思い出せないが、連日連夜続く残業のせいで、意識が曖昧だったから、過労死でもしたんじゃないだろうか。正直、労働と睡眠を繰り返すばかりで、趣味だったゲームすらまともにプレイする余裕もない日々には、さほど思い入れはなかった。だからだろうか、比較的早い段階で自分が死んだことや、生まれ変わったのだろうという事実を受け入れられたのは。
ラッキー! さらばブラック企業! 赤子に戻るなんて、全人類の夢じゃん! 強くてニューゲーム、今度はホワイト企業に入って趣味をエンジョイできる日々を手に入れるぞ!
決意を胸に、私はコットの中で元気よく泣き声を上げたのだった。
そんな風に、物心がつくより先に前世の記憶を取り戻したおかげで、無事、異様に達観した、世にも不気味な赤子が出来上がった。全然無事じゃない。今世の母さんごめん。
幸い、両親がふわふわ天然系だったおかげで、うちの子ちょっと変わってるわねえ程度で済まされた。済んでしまった。
「うちの子、もしかしたら天才かもしれないわ。ちょっと変わったところがあるのも、知能が高いからかしらねえ」
「鳶が鷹を産むって、本当にあるんだねえ」
そんな風にほのぼの笑いあっている両親の姿に、私は安堵すると同時に戦慄した。
正気か? 幸運の壺とか買わされないように、監視しといたほうがいいかもしれないわ、ウチの両親。
別の不安は抱いたけれど、親から排除の対象にされる心配はなくなった私は、二度目の人生というアドバンテージを、存分に享受するのだった。
……その平和が、仮初のものとも知らずに。