先王の務め
「くくく………くははははっ!!」
抑揚のない乾いた笑い声が、冷えた丘陵に響き渡る。
「なるほど、実によく出来た筋書きだ。北部貴族の不満を逸らすため、死人に口なしとばかりに詭弁を弄して戦意を削ごうというわけか。クライス、いかにもお前が考えそうな小賢しい策だな」
ルグレイス公爵は、その老いた眼光に侮蔑の火を灯した。
「だが明白となった。エルフリーデ殿下………いや今は陛下とお呼びした方が良いかな。貴殿は所詮、操り人形に過ぎぬ」
ルグレイス公爵の物言いにクライスが反論しようと前に歩み出るが、エルフリーデはそれを無言のうちに手で制し、続く言葉を待つ。
「大仰な口ぶりで何を語ったかと言えば、王家の過ちを美名で飾り立て、六代魔公の名を騙ることで事の本質を誤魔化しただけだ。諸悪の根源たるジグムンド3世は、重責を前にして逃亡を図った脱走兵といったところか………皆の者、彼奴等の詭弁に騙されるな!!正統なる王位が簒奪され、北部貴族が虐げられる未来になんら変わりはない!!騙され、奪われ、滅ぼされたくなくば、目の前の敵を打ち破るしかないのだ!!」
再び熱を帯びた老公の檄に、兵士たちが俄かに活気づく。
誰もが真実の在り処に心を揺らしながらも、戦場という極限にあっては、その身を温めるために怒りという安易な熱源に縋るしかないのだ。
「私は、もう逃げぬ」
不意に響いた、低く、掠れた、だが地を這うような重みを持つ声。
その一言が、ルグレイス公の心臓を直接掴んだかのように凍りつかせた。
北部軍の本陣へと続く人の波が、モーセの十戒の如く左右に割れる。その中央を、一頭の駿馬がゆっくりと歩を進めた。
跨っているのは、亡者のように青ざめた顔をした壮年の男。
手綱を握る指先は震え、今にも落馬しそうなほど疲弊し切っている。
だが彼は従者を伴うことなく、ただ一人で老公の前へと進み続ける。
「貴様は………ジグムンド3世、生きていたのか………」
先王は転がり落ちるように下馬すると、駆け寄ろうとする貴族達を制し、引きずるような足取りでルグレイス公の前に立つ。
「久しいな、ルグレイス公。こうして言葉を交わすのは、何年ぶりか」
「………敵軍の只中に、世間話をしに来たわけではあるまい。今すぐ貴様の首を撥ね、本陣の前に晒してもよいが、その蛮勇に免じて遺言を聞いてやろう」
「恩に着る。だが、もはや弁明など持たぬ。私はクラウディアを救えなかった」
ジグムンドの瞳に、深い後悔の影が落ちる。
「私に力があれば、知恵があれば、兄を超える王としての器があれば………結末は違っていただろう。しかし、あの場にいたのは傭兵上がりの才も胆力もない私だった。クラウディアに頼り、クラウディアを説得する術すら持ち合わせていなかった………いや、これも言い訳に過ぎまい」
彼は震える手で、自らの胸に触れた。
「私はクラウディアの思い描くジェベルの姿に、美しさを感じたのだ。彼女の生き方に魅了された。心の底から憧憬を抱いた。目を奪われ、心を奪われ、心酔していた。彼女の口にする神託に、私はただひれ伏す事しか出来なかった」
戦場に静寂が降り積もる。
ジグムンドはゆっくりと膝をつき、老公を見上げた。
「公よ、ここにいるのは最早王ではない一人の男。これが償いになるかは分からぬが、貴公にこの命預けよう」




