二頭獅子のもとに
丘陵を埋め尽くしたのは、風に踊る無数の旗だった。
背後から差す陽光を受け、そこに刻まれた紋様は眩いばかりの輝きを放つ。その威容は、眼下に広がる軍勢を冷然と見下ろしていた。
「あれは………二頭獅子………間違いない、二頭獅子だ!」
一人の兵士が、まるで救いの福音を授かったかのように、その名を叫んだ。
「二頭獅子だと!? まさか、そんなはずが………」
戦場を覆っていた狂騒が、一瞬にして凍りつく。
誰もが剣を振るう手を止め、風を孕んで悠然とたなびくその旗に目を奪われた。
二頭獅子。
その旗印の下で軍を指揮できるのは、ジェベル王国においてただ一人、国王のみ。
それは始祖ジェベル以来の断つべからざる血脈の証であり、二頭獅子の顕現は、兵が寄る辺とする正義の所在を何よりも雄弁に物語っていた。
「馬鹿な!!国王陛下は病床に臥せっておられるはずだ!!偽物だ!!ついに南部の恥知らずどもが、偽旗を掲げおったか!!」
兵たちの動揺を打ち消すべく、伝令が戦場を駆け、声を枯らし必死に自陣の正当性を叫び立てる。
しかし、兵たちの瞳に宿った戦意は、ジェベルの象徴を前に急速に萎んでいく。
「奸臣の策に乗せられるな!!」
不意に、幾重もの歳月を重ねた大木を思わせる、重厚な声が戦場に響き渡った。
拡声魔法により増幅されたその声の主は、北部軍の首領、ルグレイス公爵である。
「偽旗などという子供騙しを弄するなど、自らに正義も力もないと吐露したも同然。何より王が姿を見せぬのがその証左!!主なき旗に意味などない。始祖ジェベルより続く正統は我等にこそあらん!!」
齢七十を超える老貴族の檄は、奔流のような力強さと、周囲を焼き尽くさんばかりの怒気に満ちていた。
「ルグレイス公の言や良し!!王なき軍など恐るるに足らず!! 真に正統なる王を戴く我らの勝利は疑いようもない!!下らぬ小細工に怯むな!!眼前の敵を討ち果たし、丘の上の詐欺師どもに鉄槌を下すのだ!!」
檄に呼応し、地を揺らすような勝鬨が上がる。
それは不安を強引に塗りつぶそうとする、危うい熱狂であった。だが、一度火がついた軍勢は再び濁流となり、敵陣へと動き出す。
「クククッ………。耄碌した老人の妄言に惑わされ、たった一つの命を投げ出すとは。よほど命が軽いのか、あるいは、その頭の中身が軽いのか」
透き通るように美しく、同時に、剥き出しの神経を逆なでするような声音に、北部軍の動きが目に見えて鈍る。
金の王冠を思わせる艶やかな髪をなびかせ、両軍を見下ろす美貌の青年。彼は巧みな手綱さばきで馬をいなすと、凛とした声を戦場に放った。
「ジェベルの民よ!!目と耳、そして己の矜持に基づき、真実を見極めたいと欲する者よ!!真なる王の御前である!!ジェベル王国宰相、サーダイン伯クライスの名により命ずる!!始祖ジェベルの末裔たらんと自負する者は、首を垂れよ!!」
日輪を背に現れたのは、一人の少女だった。
ルグレイス公の激昂すら焼き尽くすような、猛々しくも美しい深紅の髪。
兵士達が『病床の王』に代わって目撃したのは、『真なる王』エルフリーデの凛烈たる姿であった。




