地下牢
ウェルグリーゼが目を覚ますと、湿った空気が肌を撫でた。
燭台の上で揺らめく蝋燭だけが周囲を照らしているため部屋の中は薄暗く、数メートル先に何があるかすら確かめることは容易ではない。
恐らくは地下牢のような場所なのだろう。
手足には枷が嵌められているが、鉄製の拘束具と肌の間には綿状の緩衝材が当てられており、その細かな配慮が異常な状況とのコントラストを生み、一層不気味さを醸し出していた。
「目が覚めたかい?」
声がする方を見ると、背の高い男らしきシルエットが、蝋燭の光に合わせ形を変える。
「すまないね、いきなり攫うことになってしまって。僕としても、こんな事はやりたくなかったんだ。だけど、それしか方法が無かったんだ。分かってほしい」
男の口調はとても優しく柔らかだが、独り言のようでもあり、相手からの反論を想定するものでは無かった。
「何を言ってるの………分かったわ、お金目当ての誘拐ね?図星でしょう?そう、それなら私を攫ったのは正解ね。私はカステア侯爵家の一人娘ウェルグリーゼ。名前くらい聞いたことがあるでしょう?ジェベル王国きっての大貴族よ。身代金ならお父様に頼めば幾らでも手に入るわ。貴方が見たこともないような眼が眩むほどの大金よ。けれど、それはあくまで私が傷一つない状態で帰れたらの話。逃げる気はないけど、この状態じゃお父様に手紙ひとつ書くことが出来ないわ。この枷を外して頂戴。私の手紙を持って屋敷に使いを出せば、お父様ならきっと私の身を案じてすぐに取引に応じるんだから」
ウェルグリーゼは言い終えると、余裕を示すかのようにぎこちない笑みを浮かべた。
それが自らの恐怖を紛らわせるための虚勢であることは明らかであったが、反面、金銭目的の相手に対して有効な提案であることも事実であった。
「ふふっ、怯えてるのね」
暗闇の中からもう一つの声が聞こえる。
先ほどの優しい男の声とは異なる、どこか中性的で、酷薄で、獲物をなぶるような粘度の高い物言いが、ウェルグリーゼが心の奥底にしまいこんだ恐怖心を煽った。
「誰!?」
「ごめんなさい、驚かせちゃったわね。アタシはトート、こっちは弟のレーベ。よろしくね」
ウェルグリーゼは暗闇に目を凝らすが、闇に踊る影は一つであり、もう一人の姿を捉えることは出来ない。
「へえ、兄弟で誘拐業を営んでいるの、仲が良いのね。私はひとりっ子だから羨ましいわ。他にも兄弟がいるの?」
「なに、アタシ達に興味があるの?変わった子ね。答えてあげる。アタシとレーベ、二人だけよ」
トートと名乗った男が上機嫌で答えると、ウェルグリーゼは引き出した情報に安堵した。
(ここにいるのは二人だけで間違いなさそうね。こんな頭のおかしい兄弟に協力する人間なんて、他にいるはずがないもの。二人相手なら枷さえ外れれば、隙を見つけて逃げることだって出来るわ。それに兄弟なら下手に刺激しなければ私に気概は加えないはず。家族に自分の醜い所を見せられるはずがないもの)
ウェルグリーゼは拘束されながらも、背を丸め少しでも胸の膨らみを隠そうと試みる。
もしも、この場で純潔を奪われることになれば、身分卑しいならず者に犯された少女を喜んで娶る貴族は多くはないだろう。帝国の王子に嫁ぐことなど夢のまた夢となる。
地方には未だ、初夜を迎えたあとシーツについた血の染みによって結婚相手の処女性を示すという野蛮な風習が残っているというが、少なくともジェベル王国の貴族内ではそのような品のない因習は残っていない。
しかし、それが故に婚姻を前に操を破る貴族の令嬢も多く、誰々の身持ちが悪いといった生産性の無い噂は、常に社交界で最も買い手の多い商品となっている。
ましてや、年頃の貴族の令嬢が誘拐されたという噂が広まれば………そして、それがジェベル王国きっての美貌を誇るウェルグリーゼとなれば、当然誘拐犯により『味見』をされたのではという下卑た風説が広がるのは、想像に難くない。
自身の将来のためにも、カステア公爵家の名誉のためにも、早急に事態を解決し、この一件を闇に葬るほかウェルグリーゼに道はないのだ。
「それで、幾ら欲しいのかしら。すぐに解放してくれるなら、望みの額の倍を約束するわ。もちろん支払った後に貴方達の事を探しまわるなんて事もしない。お互い今日の事は忘れて、幸せに生きるのよ。この部屋は薄暗いから貴方の顔も見えないし、私も不思議な夢を見たと思って記憶から消すわ」
ウェルグリーゼは極力相手を刺激しないよう、都合の良い言葉を並べ立てる。
(きっとお父様は激怒してこいつ等を殺すに決まってる。でも、それを馬鹿正直に伝える必要はない。良い夢を見させて、無事に解放される事だけを優先すればいい)
自分自身に言い聞かせ、精神を落ち着かせる。
犯罪者を起こすような輩は何がきっかけで激高するかは分からない。誰もが理性により自らの行動を律することが出来るわけではないのだ。思考を巡らせ、失言を避ける、それだけで無事に帰ることが出来る確率は大幅に向上するはずだ。
「ああ、そうか、そうだったね。僕達の目的を伝えるのを忘れていたんだね。僕達の目的はお金なんかじゃないよ」
「えっ?」
思いもよらぬ言葉を聞き、背を冷たい汗がつたう。
「僕達の目的は『真実の美』を追い求めることなんだ。だから君のその美しい顔を切り刻む必要がある。それだけなんだよ」
面白かった、これからも読みたい、AI先生による絵が可愛いと思った方は是非、☆評価、ブックマーク、感想等をお願いいたします!!
基本毎日投稿する予定ですので、完結までお付き合い頂ければ幸いです。
申し訳ありません、2話で終わらせるつもりでしたが、もう1話だけ続きます………こういう展開が好きでついつい長くなってしまうんですよね………。




