英雄エラン
「奴隷商………ジェベルでは奴隷制は数十年前には廃止されはずじゃ………」
ミナトはあやふやな自身の記憶を整理するように、顎に手をあて考え込む。
この異世界において奴隷の存在は珍しいものではない。
特に一部の国では亜人種や他種族との『混ざり者』は人と見なされず、首輪や枷をつけられた状態で働かされていること目にすることも多いという。
しかし、そんな中でもジェベル王国は比較的人権意識が高く、少なくともミナトが転生した時点では既に奴隷制は廃されて久しい歴史上の汚点として認識されていた。
「表向きはねえ。だが、どんな制度にだって抜け道はある。そして、往々にして抜け道ってやつは権力者と金持ちに対してだけ都合よく姿を現すのさ。事実、公然と奴隷を侍らせている貴族や大商人は多い。貴族以外は知らないかもしれないが、存在しないはずの奴隷商だって国や領主に対して正当な手続きを踏めば………つまりは十分な付け届けを渡せば簡単に売買できるんだ。名目上は他国から流れてきた哀れな奴隷を、ジェベルの篤志家が解放してやるって形だけどね」
「それであの子を奴隷商から買い取ったわけ?」
「まさか。………若い頃の俺は今以上に無鉄砲でね。その奴隷商は盗賊よろしく、辺境の民家を襲っては金銭を略奪し、女子供を誘拐して回っていた。そんなことを続ける内に他国にはいられなくなって、ジェベルに商人然とした顔で入り込んできたわけだが、正義感と自尊心だけは旺盛だった俺は、悪辣な奴隷商の本拠地に殴り込んで、親玉から子分まで片っ端から切り伏せたのさ」
「んっ、ほぼヤクザ同士の抗争」
「抗争か、違いない。本来であれば正当な手続きを経て、摘発すべき案件だ。今の俺ならそうするじゃない。正義だなんだと理屈をつけようが、自分の都合で誰かを傷つければそれは犯罪者と変わらないからねえ。しかし、あの時の俺は悪人相手なら何をやっても許されると思ってたのさ。いや、むしろ何をやっても許される純粋な悪って奴を求めてたのかもねぇ」
ミナトにはエランの鬱屈とした気持ちが痛いほど理解できた。
病室という鳥籠の中から何とか抜け出たいと思った遠い日の記憶。
親や自分に優しくしてくれる全ての人への感謝を持ちながらも、心のどこかでその小さな鳥籠が壊れることを望み、自らの翼で大空へと飛び立つことを夢見ていたのだ。
親に決められたレールを逃れ、新たな道を切り拓こうとするエランの姿は、ミナトにとって寓話の主人公のような憧憬を抱かせた。
「親父殿には、余計なことをしてくれたやら、勇気と蛮勇は違うやら、くどくどと随分どやされたが結果的には協力を得られた。他国から無理矢理連れてこられた奴隷達は解放して国許に戻せたし、家族を殺されて身寄りがない場合は領内で職を斡旋した。始まりこそ無茶苦茶だったが、俺の英雄譚はとりあえずは上手く着地したなんだ………そんな事を思っていると、一人ポツンと行き場もなく佇んでいた子どもが目に入った。それがテオさ」
エランは過去を懐かしむように何もない天井を見上げる。
「控えめに言ってもテオはまともじゃなかった。どれだけ声をかけても、体を揺らしても、目の前で手を叩いても、何をやっても碌に反応しない。誰とも喋らず、食事を出してもほとんど口にせず、いつもぼんやりと遠くを見つめていた。奴隷解放で英雄気取りだった俺は、意地になったじゃない。英雄である俺様が救ってやったのに、泣くことも喜ぶこともなく、ただそこにいる生意気なガキが気に入らなかったのさ。本当にガキだったのは俺の方なんだがね」
手にしたコップが強く握られ、ミシリと音を立てる。
「そこからは根競べじゃない。毎日嫌がらせのように会いに行っては、無理矢理飯を食わせて、反応がなかろうがお構いなしに、俺が美しい貴族の御令嬢のためにとっておいた秘蔵の爆笑エピソードを嫌というほど聞かせた。あんまりにも臭いもんだから、時には風呂に入れもしたねぇ。英雄エラン様は、何が何でもテオに『助けてくれてありがとうございます、貴方のおかげで僕は幸せです』って言わせたかったのさ。助けられた以上、幸せは義務だ、そう本気で思ってたのさ。終わりの見えない根競べは数ヶ月に及んだ」
「暇にも程がある」
「暇だけは売るほどあったからからねぇ。………三カ月ほどすると、テオは少しずつ俺の声に反応するようになった。仮面みたいに固まっていた表情も少しずつ和らいで、俺の下手な冗談に時折笑うようになった。嬉しかったじゃない、英雄エランとしてではなく、一人の人間としてテオの役に立てたような気がしたんだ」
今日初めてエランの顔に純粋な笑みが浮かぶ。
たったそれだけの事が、はたから見れば主従でしかない2人の本当の関係性を、何よりも雄弁に物語っていた。
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基本毎日投稿する予定ですので、完結までお付き合い頂ければ幸いです。




