トラウマ
「あばっ………」
無数の楽器がめいめいに音楽を鳴らしたてるような無秩序な喧騒を、アルベラの唇から零れ落ちた吐息にも似た音が静める。
「あばっ?」
ミナトの手から伝えられる力が、もしくはミナトの手を通して示される神の奇跡が、アルベラを守る硬い外骨格を剥し、むき身の神経を露出させているかのように、先ほどまで神秘的な美しさすら誇っていた顔が恐怖と絶望により崩れていく。
「あばっばっばっばばば、だぁだだだだだだぁぁだあぁぁぁぁああああ………お¨う¨ん¨っ!!!!」
リオが糸鋸を引く仕草をすると、アルベラの嫋やかな肢体が死体へと変貌するが如く激しく痙攣し、艶やかな唇からは開きっぱなしの蛇口のように涎が流れ、魔石のような怪しい輝きを帯びた瞳は瞬時に築地に並べられたマグロ同然の石ころへと変わり果てた。
同時に尊厳とともに垂れ流される、様々な液体。
ツンとした刺激臭が千を超える観衆に何が起こったかを明確に告げていた。
「六大魔公が………アルベラが死んだっ!?」
「いや、生きている、見ろあの無様な姿を。手足をもがれた虫のように惨めに痙攣しているぞ!!」「なっ、何が起こってる!あの少年がやったのか!?」
「バカな、王国屈指の騎士達が傷すらつけられなかったんだぞ」
「痴れたこと、予め示し合わせた小芝居に決まっておる」
「あの姿が演技だというのか?」
「気持ち悪い……あんな痴態を見せるくらいなら、私なら自殺するわ………」
「ママ~、あれ何~?」
「しっ、見ちゃいけません!!」
「むしろ幻滅だよな………演技であってほしいというか」
「勝ったのか。仇は討てたのか。これで王国は救われるのか」
貴族、騎士、廷臣、神官、商人、市民、老若男女に至るまで、その場に居合わせた全ての人々が、眼前で繰り広げられる信じがたい光景を咀嚼すべく、絶え間なく疑問を口にし、互いに顔を見合わせる。
カツンッ………
杖をつく乾いた反響とともに、一人の老人がゆっくりと、けれども確かな足取りでミナトに近づいていく。
「老公、これ以上先には………」
衛兵が老人を止めようとするが、王はそれを制し、老人はとうとうミナトの前に跪き、涙を流した。
「おいっ、あの爺さん、もしかしてアデルゼンじゃないか!?元竜鱗級冒険者の!!」
「神槍のアデルゼン!?六大魔公の一人、不死公『常闇のダムド』が現れた際、神託の騎士デュゼルと共に退けたという、あのアデルゼンか!?」
ミナトは思わず冷たい石肌に膝をつき、祈りを捧げるように首を垂れる老人の手を取る。
「貴方様を待っておりました………ようやく、ようやく真なる勇者にお会いすることができた。デュゼルはあくまで『神託の騎士』、この世界を覆う暗雲を一時的に払うだけの仮初の英雄。彼はずっと苦悩しておりました。自らに架せられた重すぎる荷に。デュゼルは死に、再び六大魔公が蘇り、我らはついぞ使命を果せなかったのかと悔いておりましたが、間に合ったのですな。あの世でデュゼルに良い報告が出来ます。貴方様こそが本物の英雄、世界を救う神託の勇者」
「そんな………ボクは神託の勇者じゃなんか………」
ミナトはそこまで言いかけ、足元に縋り付くように涙する老人の想いを否定しようとしていることに気づき、言い切れぬ気持ちとともに言葉を飲み込んだ。
「仰らずとも私には分かります。老いさらばえ、光を失いかけたとはいえ、心の瞳までは濁っておりませぬ。これを受け取ってくだされ」
アデルゼンは枯れ木のような腕を精一杯伸ばし、簡素な拵えの一振りの剣を差し出した。
「デュゼルが帯びていた剣です」
「そんな大事な物、受け取れません」
「いえ、我々は貴方様が来るまで預かっていただけのこと。デュゼルはいつも言っていました。神託の勇者にこの剣を託して欲しいと。そして、我々の想いも。どうか受け取ってください。そして彼を………デュゼルを英雄ではなく、一人の男として眠らせてやってください」
ミナトは一瞬の逡巡の後、剣を受け取ると、それを抜き放ち太陽のもとにかざす。
すると、先ほどまで血の雨を降らせていた赤黒い瘴気の隙間から一筋の光り差し込み、刀身に反射した光は広場を隈なく照らした。
「これで思い残す事はありません」
老人が深々と頭を下げると、ミナトはそれに応えるように一度だけ頷いた。
「神託の勇者だ」
「魔現れる時、神託の勇者現る………言い伝えは本当だったんじゃ!!」
「英雄の誕生だ!!神託の勇者ミナトよ、我々を、ジェベル王国を守り給え!!」
大広場に敷き詰められた石畳を砕かんばかりの大歓声がミナトを包み込んだ。
それはまるで、数百年歌い継がれるであろう英雄譚の始まりを告げる一小節のようであった。
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言い伝えは本当じゃたんだ婆をどうしても登場させたかったんですが、冷静になると要らなかった気がします