闇夜に踊る
カツカツという硬質な足音が扉の前で止まり、部屋の中で古書に目を通していた男は、深夜の来訪者を出迎えるべく本を閉じた。
建付けの悪いドアが悲鳴のような音を上げ、ゆっくりと開くと、長身の男が無遠慮に部屋に入る。
「久しぶりね。またこんな薄暗い地下室に閉じ籠ってるの?こんな所にいると、気分が滅入るわよ。それに時代に取り残されちゃう」
男は部屋の主に視線を送ることなく、独り言のように話し始める。
年の頃は30といったところだろうか。背は並みの成人男性よりも頭一つぶん高く、その肢体は迸る生命力を詰め込んだかのように瑞々しい張りのある筋肉に覆われ、その上に肌に張り付くような不思議な素材の衣服を纏っている。
腹部が大きく空いた奇抜なデザインに目を奪われそうになるが、より目を引くのは黒と青を基調とした夜光蝶のような毒々しい化粧と、顔に無数に打たれた鋲であった。
「これはこれは懐かしい顔だね。数十年か、数百年か、久々に会う友に対して言う言葉にしては、いささか礼を欠くのではないかな。それに、表には何人か見張りがいたはずだが………」
およそ真っ当な人間とは思えない訪問者に対し、窘めるような口調で問いかけるのは、仕立ての良いローブに身を包んだ初老の紳士であった。
綺麗にまとめられた銀色の髪に美しく整えられた髭、鋭い眼光を和らげるようにつけられたミスリル製の片眼鏡は、その紳士の富貴と厳格さを表していた。
「あら、あの木偶って貴方のお手製だったの?つまらないことしか言わないし、あんまりにも不細工なものだから、全部壊しちゃったわ」
男は悪びれることもなく言い放つと、壁を埋め尽くすように収納されている古書を何冊か抜き出し、無造作に頁を繰る。
「気軽に言うべき言葉ではないね。君にとっては意味のない存在であっても、私にとっては全て敬意を払うべき尊い命なのだよ」
「あれが敬意の成れの果てなのだとしたら、貴方から敬意を向けられるのは御免こうむりたいわね」
「………これ以上はやめておこう。君が口さがないのは、今に始まった事ではないからね」
「あら、お言葉ね。でも元気そうで何よりだわ」
男は古書に飽きたのか、それとも最初から興味がなかったのか、元あった場所とは別の位置に本を戻すと、紳士が腰かけている椅子のアームレストに寄りかかった。
「ああ、この身体はなかなかに調子がいい。弟君は息災かい?」
「ええ、もちろん。やっと目覚めたんだもの、弟もアタシも最高にエンジョイしてるわ」
「羨ましいね、私はたったいま死んだ私のことで胸を痛めていたところだよ」
「災難ね。貴方を殺せるなんて、どんなやつ?」
男は『死んだ私』という奇妙な言い回しを気にする様子もなく、週末の予定を聞くような気軽さで問いかける。
「さてね、彼からの手紙にはただ一言『私の旅路は間違っていなかった』と記してあっただけさ。私にとっては、彼が満足の内に死ねたことが知れただけで、十分だけれどね」
「相変わらずね。感覚も記憶も共有できるんでしょ?」
「可能さ、容易にね。しかし、彼の感動も、彼の苦悩も、その全ては彼だけの物だ。私が無遠慮に覗き込むことは許されないさ。私が神でもない限りね」
「一段と皮肉が上手くなったわね」
男が堪えきれず噴き出すと、部屋の主は僅かに眉を顰める。
「ごめんなさい、怒らせる気はないのよ。そうそう、知ってる?ジェベル王国に神託の勇者が現れたの」
「情報が早いね。相手は君かい?」
「冗談はやめてよ、それならココにはいないわ。今回の犠牲者はアルベラちゃんよ。子羊にしては少し薹が立っちゃってるけど、華があるから適当な英雄譚を作り上げるにはもってこいのお相手ね」
「アルベラが………彼女は目覚めたばかりだろう、運が悪かったね。幻体でなければ、神の走狗と相対してもひけを取らないだろうに」
紳士は髭を二度三度と触りながら、深いため息をつく。
「ふふっ、この話の面白いところはここからよ。その神託の勇者はアルベラちゃんを封印して、新たに自分の国を作ったの」
「………待ってくれ、私の聞き間違いでなければ、『封印』と聞こえたのだが」
「自分の耳に自信を持つことね。アルベラちゃんは封印され、神託の勇者はこの世界に残った。案外貴方を殺したのも、神託の勇者かも知れないわよ。どう、楽しいことになってきたでしょう?」
「ふはっ………はははははははははっ!!そうか、エクリウス、君は人が悪い、つまりはそういう事だったのだね!!………あぁ、そうだ、君の旅路は間違っていなかった、私達は全ては今この時のために生きてきたのだ!!ならば、私が取るべき選択はただ一つだろうね………。トート、感謝するよ。君の言う通り、地下に閉じ籠っていては知り得ない話だ。私も陽の光のもとに出よう。そして彼が見た夢の行方を、この目でしかと見届けよう」
「お役に立てたようで何よりね。それじゃ、互いに新しい世界でまた会いましょう、ダムドちゃん」
ダムドと呼ばれた紳士が再び声をかけようとすると、既にトートの姿はなく、香水の甘い匂いだけが残っていた。
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次回はミナト達のお話です