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星の加護クズおじさんプロレスラーになりたい

作者: たのすけ

 冬美(三十八才)と夏緒(十二才)と春子(九才)が出ていった。冬美とは籍は入っていなかったし、夏緒、春子とは血のつながりはなかった。それでも九年もの長きにわたりタノスケは三人を家族同然に、いや、家族以上に愛していたし、心からかけがえのない存在だと思っていた。そして、日々のささやかな幸せを宝のように感じながら一つ屋根の下、仲良く暮らしてきたのだった。

 それなのに、無残無慈悲無情にも一家は崩壊してしまった。

 その全ての因はタノスケ(四十四才)にある。

 〝どうぶつの星〟の下に生を受け、その加護を受けているタノスケは動物が大好きであり、ゆえに、経済的には障害児施設で働く冬美の稼ぎに完全に依存して一切働かないというコバンザメムーブを繰り出し。家事子育ての面では懸命に立ち動く冬美の姿を自身は寛ぎながら好ましい目で眺めるだけというキリギリスムーブを繰り出し。性的には、自身の無駄に旺盛で持て余している性欲を頻繁に冬美へとぶつけ、しかしテクニックは皆無なためにシンプルなピストン運動に終始し

「どうしてそんなに……飽きないの?」

 との、戸惑いの言葉を思わず冬美に言わせてしまうほどに単調なキツツキムーブを繰り出し。まさに〝一人生きもの大図鑑状態〟だったが、それら各種生き物ムーブは、問題ではあるが、家族崩壊の因としてはそれほど比重を占めていなかった。

 ほとんど全ての比重を占める因は、マッチングアプリを頻回駆使したタノスケの色乞食ムーブであった。色乞食とは色欲に狂った人間という一動物のことであるが、冬美から何度やめるように懇願されてもこの醜悪な生き物ムーブをタノスケはまったくやめられなかった。そして、この汚液にまみれた汚らわしい生き物ムーブが一番冬美を傷つけたのだった。

 そしてある日、冬美は夏緒と春子を連れ、家を出ていった。

 身から出たサビ方式で一人ぼっちになったタノスケは、それからというものラブ足りない極欠乏の日々を何とか生きていた。いや、生きているともいえない日々だった。どこまでも堕落していく生活の中でタノスケの心身はボロボロ、生気はほとんど失われていた。確実に死に向かっていたのだ。

 そんな時、偶然ある作家の著作群にであった。その作家というのは私小説書きとして知られる西村賢太で、タノスケの心には彼の言葉が心に染みた。書かれていることに納得共感してそれが心に染みてくるというよりも、書かれていないことが言葉の形を持つ前の状態で心に染みてくるという感じだった。

 読みながら、タノスケは西村賢太の生き様に希望を見た。西村賢太は〝歿後弟子ぼつごでし〟という、当初は誰にも見向きもされず、誰の胸にも届かなかった五文字に、何があろうとも不屈の姿勢でもって圧倒的熱量の血を注ぎ続け、そのたった五文字に驚異的な貫通力を持たせたのだった。

 タノスケはこの手法だと思った。今の自分では、言ってみても決して冬美と夏緒と春子の胸には届かぬが、しかしどうしても言いたい、言わねばならぬ、胸に秘めたる〝ある五文字〟。その五文字に西村賢太と同じ、我が熱と血を注ぎ続けるという手法を用いて全身全霊の貫通力を持たせ、その上でいつの日か三人に向け、必ず言うのだ。それを必ず実現させるのだ。命にかえても実現させるのだ。

 その決意を持つことができると、タノスケの心は一転、希望の光に照らされ始めたのだった。

 しかし、ここに問題があった。どうすれば、一体何をすれば、その伝えたい五文字に我が熱と血を注ぐことができるのか。それがまるで見当つかず、大問題だったのである。

 まさか四十過ぎまで文盲同然に生きてきてこれから西村賢太と同じ私小説家を目指すなぞいうわけにはいかない。もっと他の方法で、それはもっと他の簡単な方法でという意味ではなく、自分に合っている他の方法でという意味だが、その方法でこの心に秘めたる五文字に我が言葉に熱と血を注ぐのだ。それは残りの人生を棒に振ってでも必ずやってのけなければならないことなのだ。

 そうしてタノスケ熱く息巻いた。取るべき方法は皆目見当がつかなかったが、何かいい方法はないかと睥睨し色々探す、そんな鼻息だけは異常に荒い日々を送り始めたのだった。

 そんな時だった。タノスケは全く偶然に、とあるプロレス団体の興行に行った。そして、その興行のメインイベントで、その団体の看板レスラーがちょっと聞くととんでもない野望をリングの上で言い放ったのだった。タノスケはその言葉に何とも抗しがたい貫通力を感じた。そして、慌ててそのレスラーのことを調べると、そのレスラーは障害を持ったお姉さんにも支えられるかたちで戦い続けているレスラーであり、年齢はタノスケと同じだった。ふいにタノスケは冬美に言った数々の酷い言葉を思い出した。それは、冬美が職場で深い深い愛情をもって育てている障害児たちの価値を毀損するような言葉だった。

 激しい後悔に体は震え、涙は止まらなかった。

 細かく言えば他にも色々あるのだが、簡単に言うとそんなことがあり、それをキッカケにタノスケは今までの人生で一度も持ったことのないほどの強固な意志を持ち、後日そのプロレス団体の門を叩いたのだった。

 年齢も四十四になり、格闘技経験なし、運動神経を褒められたこともなし、しかもアル中、ニコチン依存、運動不足で腰肩はいつも痛く、腹は醜く出放題、加齢臭もプンプンプンのプンプンプン。そして何より冬美たちが出ていった後に癌が判明、二度の手術を受け、三ヶ月の入院のすえ何とか退院はしたがまだ治療も続いている状況で、体力は老人レベルに低下している。

 しかし、それでも、こんな状態だが、それでも私小説家を目指すよりは遙かに自分に合っている道だろうと、何故だかそう思い、門を叩いたのだった。


 んで、プロレスラーになるための第一歩として示されたのは、スクワット二百回だった。

 プロレスラーは厳しいの練習の後にスクワット五百から千回を清々しい顔でやり、その後ジャンピングスクワット五十回を二から四セット、これまた清々しくやる。それを毎日やるのである。最低限そのくらいの体力がなければプロテストに受からないとのことだ。

 んで、その体力を身につけるための第一歩が、まずはゆっくりでいいからフルスクワット二百回できるようになることだったのだ。それができる体力がつけば、受け身や技の練習に入れるとのことだった。

 で、何十年かぶりにタノスケはスクワットをやった。五回で、もうダメだ、と思った。しかし、人生至上最強固な意志を持って望んでいるタノスケはそこでは挫けず、八回やった。そこで挫け、次の日、筋肉痛になった。

 体力低下、運動不足もあるが、この結果はあまりにも酷いと自分でも思った。そして、鏡を見ながら、スクワットの練習と同時に、この腹をどうにかしないとなと、自身の妊娠十四ヶ月目くらいの腹をポンと叩いたのだった。

 こうして、タノスケは鉄の意志に支えられたダイエットを開始、そして毎日毎食、鉄の意志で食事を制限し始めた。

 しかし、数日が経った頃、まさかのことが起こるようになったのだった。

 まさかの、腰抜かすほど驚愕、まったく不可思議、理解不能、オカルト怪奇現象とでも呼びたくなることが頻発するようになったのである。

 それは、タノスケにはまったく身に覚えがないのだが、気づいたらコンビニ弁当やコンビニラーメンを食べ終わっているという事件が頻発るようになったのである。

 目の前に転がる、透明容器の残骸。これに、タノスケは全開に目を大きく見開き驚愕した。腹の中心から全身に広がる得も言われぬ満足感、それに口中に残る化学調味料と食品添加物の芳しい香り、どちらもまったく身に覚えのないものだった。

 このまったく身に覚えのない、明らかに人智を超えた現象に、目ん玉飛び出るほどの表情でタノスケは驚愕したというのである。

 なぜタノスケの身にこんな不思議なことが起こるようになったのか。この現象のメカニズムは何なのか? 人智に秘せられた無数の因果の結実なのか? それとも何らかシンプルに超越者の意志が働いた結果なのだろうか? 分からない。考えれば考えるほどタノスケには分からない。

 しかし、何とかしなければならない。プロレスラーとしての第一歩を踏み出すために、是非とも何とかせねばならない。

 だからタノスケは勇敢に考え続けた。

━━ううむ。もしかしたら、これは一種の心霊現象の可能性もあるな。参考のためにゴーストバスターズシリーズでも見直そうかな……いや、もしかしたらそういう類いの現象ではなく、人間が関与している可能性もあるぞ。知らぬ間にどこかのマッドサイエンティストの実験に巻き込まれちまったのかもしれねえ。うむ、そんな気がする。いや、でも待てよ、もしかしたらこれはワンチャン、映画〝君の名は〟方式でもって誰かの魂が僕の中に入り込み悪さをしているって可能性もあるぜ。だとしたらヤバいぜこれは。知らぬ間に僕のオッパイが揉まれている可能性もあるってことだぜ……。いや、でも待てよ、その魂が可愛い女のものだったら……アリだな。アリ寄りのアリだな━━

 このようにしてタノスケは、まったく自分のあずかり知らぬ領域から突如、巨壁が目の前に出現し、我が進むべき一本道が塞がれ、立ち止まりを強制されているような状況に陥った(と自分ではそう思っている)わけだが、しかしその顔は、以前の、プロレスに出会う前とは明らかに違うものだった。

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