第1章: 新たなる日常
春の終わり、桜の花びらが舞う季節に、天音レイナは静かに目を覚ました。長い眠りから解き放たれたその瞬間、彼女は病室の天井を見つめ、ぼんやりとした意識の中で、自分がどこにいるのかを考えた。周囲には見知らぬ景色が広がり、彼女は何かを忘れているような気がしたが、それが何かは思い出せなかった。
病室の窓際には、一体の美しいビスクドールが静かに佇んでいた。そのドールは、まるでレイナの目覚めを待っていたかのように、優雅でどこか哀しげな表情を浮かべている。長い黒髪には淡いピンク色のリボンが結ばれ、その下には片目を隠すように繊細なレースがかかっていた。レイナは、そのビスクドールに目を留め、かすかな記憶の残滓を感じ取った。
「この人形、どこかで…?」
しかし、思い出そうとするほどに、その記憶は霞んでいく。レイナは、そっとそのドールに手を伸ばし、ふわりと持ち上げた。その瞬間、心の中にぽっかりと空いた空白が埋まるような感覚がした。何か大切なものを取り戻したような、そんな安心感が胸に広がった。
「お目覚めですか?」
不意に響いた声に、レイナははっとして振り向いた。病室のドアの向こうから、看護師が微笑みながら入ってきた。
「長い間、眠っていたんですよ。よく頑張りましたね」
看護師の優しい言葉に、レイナはただ頷くだけで精一杯だった。どれほどの時間が経ったのか、なぜ自分がここにいるのか、すべてが不確かだったが、今はそのことを考える余裕もなかった。
「少しずつ、日常に戻っていきましょうね。ご家族も、あなたの回復をずっと待っていましたよ」
看護師はそう言って、レイナの手を優しく包み込んだ。その温もりが、彼女の心に再び生きる力を吹き込んだようだった。
日が経つにつれて、レイナは少しずつ日常を取り戻していった。家族と再会し、日々の生活に戻る中で、彼女は高校生としての新たな生活を始めることとなった。しかし、日常に戻るほどに、病室で見たビスクドールのことが頭から離れなかった。レイナは、そのドールを「セレスティア」と名付け、いつもそばに置くようになった。
ある夜、レイナは奇妙な夢を見た。夢の中で彼女は広大な星空の下、無限に続く銀河の川を眺めていた。その川の向こうから、微かに声が聞こえてきた。振り返ると、そこにはセレスティアが立っていた。しかし、現実のものとは違い、夢の中のセレスティアは片目を隠しておらず、優雅な笑みを浮かべていた。
「レイナ、あなたには使命があります」
セレスティアの声は柔らかく、それでいてどこか神秘的だった。
「使命…?」
レイナが尋ねると、セレスティアは頷いた。そして「天気輪」という言葉を告げた。
「天気輪には、あなたの未来が隠されています。そこで、あなたは自分自身と向き合い、答えを見つけるでしょう」
レイナはその言葉の意味を理解できなかったが、胸の奥に強い引力を感じた。それはまるで、運命に導かれるような感覚だった。
夢から覚めた後も、その光景は鮮明にレイナの心に残った。彼女は、セレスティアが伝えようとしていることを知りたいと思うようになった。しかし、現実のセレスティアはただの人形であり、夢の中でのように話すことはなかった。
それから数日が経ち、レイナは学校での生活にも慣れてきた。友人たちとの日々の中で、ふとした瞬間に夢のことを思い出すことがあったが、それは一時的なものだった。しかし、その夜、再び同じ夢を見ることになるとは、彼女は想像していなかった。
再び広がる星空の下で、セレスティアは微笑んで立っていた。そして、彼女は言った。
「レイナ、あなたがすべてを知るときが来たら、私はあなたの力となりましょう。でもそのためには、私の片目を取り戻さなければならないのです」
その言葉を聞いた瞬間、レイナは夢の中であることを忘れ、必死にセレスティアに問いかけた。
「どうして片目を失ったの?それはどこにあるの?」
しかし、セレスティアは静かに微笑むだけで、それ以上は何も言わなかった。
夢から覚めたレイナは、心に刻まれたその言葉に強い不安と使命感を感じた。何かが始まろうとしている、そんな予感が彼女の心を掻き立てていた。そして、彼女は次第に、夢の中で語られた「天気輪」という言葉の意味を探る旅へと足を踏み出していくのだった。