ジャッカルの変心8
学院での生活は、思っていたより快適だった。
貴族は上下関係にすごく厳しくて、言葉遣いひとつ間違えただけで、首が飛ぶこともあると聞いていたのに、学院に通う貴族たちは案外気さくだったのだ。
中にはお高くとまって、あからさまに俺たちを見下してくる奴もいたけど。
ほとんどの奴は接し方がフラットで、驚いた。
噂で聞くほど、貴族は上下関係にうるさくないのか?
「うるさいよ。でも、魔法使いは実力至上主義だからねぇ」
同学年の同い年であるリッチ・ラーテル――俺らが留年したせいで、のちには学年が一つ上となる、ラーテル領主の息子に聞いてみると、そういう答えが返ってきた。
めんどくさがりで、いつもだらけているリッチだけど、心なしか俺たちには優しい。尋ねると、貴族の常識とか、魔法のこととか、いろいろ教えてくれる。多分、ルタ町での出来事を知っているから、俺たちに同情していて、それで少し親切なんだと思う。
「まだ格付けが終わっていないからね。まともな頭の持ち主なら、今は誰にでも丁寧に接しておくべきだって分かっているんだよ。お前も気を付けな。格上貴族と対等だって勘違いしていると、あとで痛い目を見るかもしれない」
「分かった。気を付けとくわ、リッチ……リッチさん? ラーテル卿?」
「俺のことは好きに呼んでいいよ。めんどくさいし、どうせ俺が最下位だし」
魔法使いの格は、その人の保有する魔力量によってほぼ決まる。
魔力量が多ければ多いほど、強力な魔法を使えたり、魔法の連続使用ができたりして、悪魔との戦いに有利だからだ。自分の魔力をどれだけ使いこなせるかっていうのも大事だけど、それは練習すれば上達することだから、あんまり重要視されていない。
学院では半年に一度、学内の魔法使いの格付けランキングが公表される。
魔力量は生涯で変わらないから、そこで公表された格付けが、学院に通っている間も、学院を卒業した後も、そのまま魔法使いの上下関係になる。貴賤は関係ない。
魔法使いの世界は完全なる実力至上主義――魔力至上主義なのだ。
そのおかげもあって、俺は貴族だらけの学院に馴染むことができた。
俺の魔力量は中くらいで、格付けが公表されたあと、年上の貴族に『ジャッカルさん』と呼ばれるようになったのは、すごく変な感じがしたけど。
そのうち、そういうもんだって慣れた。
自分が最下位だと予想していたリッチは、マジで最下位だった。
実際はすげぇ強いんだけどな。
俺が出せないような魔法をあっさり出すし、魔力切れを起こしているところを見たことがない。自分で保有する魔力量は少ないけど、扱える魔力量は多い、そういう特異体質だから、実力と格付けのランクが見合っていないらしい。よく分かんないけど。
ところで、俺たちが入学した時、学院トップの魔法使いは、マシュー・ソレノドンという四年生の貴族だった。一年生の時からトップの座に君臨し続けている、名門貴族の天才魔法使い。……なんだけど、最初の格付けで、ライオネルはそいつよりも魔力量が多いと判定された。入学してわずか半年で、ライオネルは学院トップの魔法使いになっていた。
貴族の誰もが、平民のライオネルを恐れ敬っている状況――。
「あいつ、すげぇな」
うすうす感じてはいた。
ルタ町にやって来た魔法使いに、いきなり魔法を使えるのは異常だ、という話を聞いた時から、ライオネルは『特別』なんだろうなって思っていた。
けど、想像はしていたけど、魔法使いの格付けランキングって形で、本当にあいつが特別なんだってことを見せつけられると、心がざわざわした。同郷の友達が、急に雲の上の存在になってしまったようで、なんとなく気まずいし、もやもやする。
比べても仕方ないんだけどな。なんであいつが『特別』で、俺は『特別』じゃないんだろうって、納得いかない気持ちになる。世の中は不公平だ。
「元からすごい奴だろ」
貴族に囲まれるライオネルを眺めながら、ダクトベアがぽつりと言った。
公表された格付けで、俺とライオネルの中間くらいの順位だったダクトベア。
その順位は、平民魔法使いとしては結構すごいらしい。
でもライオネルの前では、かすんで見えてしまう結果だから、きっとダクトベアも胸にもやもやした気持ちを抱えていると思ったんだけど、
「あいつは元からすごいし、強いよ。俺らが勉強したり、遊んだりしている間、母親のためにずっとひとりで働いていたんだから。すごくないわけないだろ」
「……それもそうか」
静かにそう言われて、確かにそうだなって妙に納得してしまった。
そうだ。魔力で一番になるより、もっとずっとすごいことを、ライオネルはこれまでやってきた。ひとりで家族を支えるなんて、俺には真似できない。
あいつの魔力は、神様からのプレゼントなのかもな。
小さい頃から苦労しているライオネルを、神様がかわいそうに思って、これからは楽に生きられるようにって、特別な魔法の力を授けたのかも。
……なんてことを、マジで信じていた時期もあった。
もしそうだとしたら、神様はかなり意地悪だと思う。
格付けランキングの公表によって、保有する魔力量が学内で一番だと認知されるようになったライオネル。
だけどあいつは、魔法使いとして優れているかっていうと、すごく微妙だった。
魔法の授業の成績は散々。
なぜかって、ライオネルは攻撃魔法がほとんど使えなかったのだ。
人によって、魔法にも得意不得意はあるものだけど。
ライオネルの場合は、物を燃やすための炎は出せないけど、攻撃を防ぐための炎なら出せる。氷のつぶてを放つことはできないけど、人や物をちょっと凍らせることならできる。悪魔を殺す魔法は使えないけど、収納魔法、近距離の移動魔法、防護結界の魔法、解毒魔法、そういった高度な魔法の数々は使える。
その魔法が不得意だっていうより、攻撃や破壊のために、魔力を使えないんじゃないかって感じだった。攻撃魔法だけ使えないという魔法使いは、これまで例がないらしい。
臆病者だとか、欠陥品の魔法使いだとか言われていて、少しかわいそうだった。
ま、白魔法を覚えてからは、そんなこともなくなったけど。
誹謗中傷をささやいていた連中は、ライオネルの白魔法――すさまじい威力で広範囲を覆う、まばゆい白魔法を目の当たりにすると、一瞬で口をつぐんだ。
魔法で攻撃できないという欠点が判明してもなお、ライオネルは格付けのトップに居座り続ける、最強の魔法使いだった。あいつは、誰の目から見ても特別な魔法使いだった。
* * *
三年生にもなると、学院を卒業した後のことを考えるようになる。
学院に通う貴族の多くは、卒業したら親の仕事を手伝うらしいけど、俺はそうはいかないからな。子供の頃は、親父の鍛冶屋を継ぐ気でいたけど、親父は俺に肝心なことをなんにも教えないまま死んじまったし、魔法使いが鍛冶屋になるのは普通じゃない。
家業を継ぐ以外の、魔法使いの主な就職先は軍か商人ギルドだ。
兵隊になってトルシュナーを守るか、商人ギルドの護衛として働くか。
その二つの選択肢なら、俺は兵隊になろうと思っていた。けど、三年生になってしばらく経った頃、ライオネルが悪魔を退治する民間組織を立ち上げて、
「ジャッカルも一緒にやらないか?」
そう誘われた。
「兵隊が一番に守っているのは貴族だ。悪魔が現れても、平民の救助は後回しになる。ルタ町のときも、兵隊が来た時はすでに手遅れの状態だっただろう? 俺は兵隊になって、自分の無力さを痛感させられるのは嫌だ。俺は、俺の村の人たちを守れるような、そういう仕事をしたい」
……。
そう言われて、心が揺さぶられた。
その言葉に、共感しないでいるのは無理だった。
できたばかりの組織に入るより、兵隊になったほうが安泰だってことは分かり切っていたけど、俺はその誘いを断ることができなかった。だって、俺はよく知っている。
「そうだな」
俺たちが本当に困っている時に、兵隊や魔法使いは助けに来てくれないって。
ガキの頃、俺は兵隊に憧れていた。兵隊が『悪者をぶっ殺す正義のヒーロー』だと思っていたからだ。けど現実の兵隊は、助けてほしいタイミングで来てくれるわけじゃない。
兵隊になれば、救助に向かったのに助けられなくて、後悔することもあるだろう。そのことは、なんとなく想像はついていた。でも兵隊と、貴族の私設騎士団以外に、トルシュナーの人々を悪魔から守れる組織はない。だから俺は、兵隊になろうと思ったんだけど。
「俺も仲間に入れてくれ」
身近な人々を守れる組織を、ライオネルが立ち上げたっていうなら俺も参加しよう。先行きが不透明でも、安定した生活を手放すことになっても、それは取り組む価値がある。
つーわけで、俺は兵隊になるのはやめた。
学院を卒業したあとは、ライオネルたちと仕事をすることにした。
組織を立ち上げたあいつの目的が、本当は別のところにあるっていうのは、なんとなく察していたけど、それでも別に構わなかった。
『自分の村の人たちを守る仕事をしたい』という建前の裏に、『ルーナを探したい』という本音が隠れていたとしても、ダクトベアが舵を取っているなら、変な方向には進まないだろうし。本音を隠せ、建前を大事にしろってライオネルに言い聞かせる、ダクトベアの姿が目に浮かぶようだぜ……。
実は、二年生になった頃から、ライオネルは少しおかしくなっていた。
ルーナを探して、悪魔との交戦の場に行きたがったり、捕まえた悪魔と話をしようとしたり、黒の領域への行くための方法を調べ出したり。天才の考えることは、凡人には理解できないんだなって、みんなに引かれていた。
それでも周りが見えていないのか、ライオネルは黙々とルーナ探しを続け、
「こんにちわぁ。あたし、ルーナ。あなたのことを食べにきたわぁ」
「ライオネル、久しぶり! 会いたかったよ!」
「わたしのために死んでちょうだい」
「あの、覚えているかな? 昔、ルタ町で会ったルーナなんだけど……」
やがて、偽物のルーナが大量に発生した。
悪魔はライオネルを油断させて殺すために、きちがい女たちはライオネルの気を引くために。
本物の『ルーナ』とは、似ても似つかない『ルーナ』が、ライオネルの前に次から次へと現れるようになり、
「待て! それは白の人間だ、殺しはまずい!」
キレたライオネルをなだめるダクトベアが、すごく大変そうだった。
ま、仕方ないよな。好きな人が現れたと聞いて駆け付けたら、ぜんぜんちがう奴が待っていて、ルーナのふりして自分に近付いてくるんだから。そりゃ怒って当然。
つーか、現れるルーナはみんな偽物だって、学べばいいのに。
『ルーナが来た』って聞いた瞬間、その一瞬だけ、毎回ライオネルは、期待するように目を輝かせる。それを見ると、俺まで心が痛くなってくる。
人間でも悪魔でも、私欲のために残酷なことをする奴はいるもんだな。
悪魔を好きになるって気持ちは、正直理解できない。けど、だからってその『好き』の気持ちを、もてあそんでいいわけじゃない。魔力に恵まれたせいで、悪魔にも女にも注目されてしまった、かわいそうなライオネル。
「まさに禍福はあざなえる縄のごとし、って感じだな」
「? カフク? あざなえる?」
「良いことと悪いことは、より合わせた縄のように交互にやって来るって意味だ」
「へぇ、さすがダクトベア。物知りだな」
* * *
最初の仕事の依頼主は、ラーテル侯爵だった。
リッチの伝手で仕事をもらい、ラーテル領に潜伏している悪魔どもを殺した。ライオネルの鉄壁の防御魔法があるし、学院を卒業するときに白魔法を使うための武器をもらっていたから、そう難しい仕事ではなかった。
俺の武器は棍棒だ。剣、槍、弓、籠手、斧……どれでも選べたけど、貴族のほとんどが剣を選んでいて、剣は選びにくかったし、俺は正義のヒーローって柄じゃないからな。
『守りたいから殺す』っていうより、『悪魔が憎いから殺す』ってスタンスだ。
そんな俺には、棍棒がちょうどいい。
* * *
それから二年ほど、いろんな貴族から依頼を受けて、専属にならないかという申し出を断りつつ、活動を続けた。悪魔は次から次へと現れて、どれだけ倒しても世界が平和になったような実感は得られなかった。先行きは常に不透明。
この仕事に終わりはあるのか?
悪魔を倒し続けることに、意味はあるのか?
最初は、悪魔をぶっ殺すことが『正しい』ことだと思っていたから、そのために着き進めていたけど、ぜんぜんゴールが見えなくて、そのうち信念が揺らいできた。
もちろんこれは、意義のある仕事だと思う。
けど、俺ひとりにできることは限られているわけで。
俺が悪魔を倒しても、倒さなくても、この世界はさほど変わらない。それなら俺の限られた命の時間、別のことに使ったほうがいいんじゃないかって、そういう思考が頭の隅にちらつき始めた。
俺のやっていることは、本当に意味があるんだろうか?
そんな時だった。
サンガ村に、ルーナが現れたのは。