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ジャッカルの変心7

……。

あれ? なんでだろう。


人面蛇に狙われて、噛みつかれると思ったんだけど。


いくら経っても、正面から何かがぶつかってくる感触はない。背中には、誰かが動いているなって振動が伝わってくるのに、前からは何も来ない。


俺はまだ、生きている。あたりには相変わらず、誰かの悲鳴や人面蛇が這いずる音が響いているというのに……。どうして? 不思議でたまらない。


確かめてみよう。


そう決めて、俺はおそるおそる、顔を隠していた腕をどけてみた。

そしたら、


「うわあぁぁぁっ!」


すぐ目の前に――俺の顔から五センチも離れていないところに、白目をかっぴらいた恐ろしい化け物の顔があって、思わず仰け反りながら叫んでしまった。


やっぱりダメだ! 食べられる!


……ところが、またしばらく経っても、一向に何も起こらない。

どうなっているんだ?


びくびくしながら縮こまっていた俺は、ゆっくり目を開け、まずは自分の手足が無事なことを確認した。それから深呼吸をして、自分がちゃんと生きていることを確信して、落ち着いて考えてみようと自分に言い聞かせた。


心臓がばくばくして、指先が震えて、怖くてたまらない。

それでも生きている。だから、まだ大丈夫。


そっと顔を横に向けると、やっぱりすぐ近くに人面蛇がいた。


幻じゃない。目が合うと、襲いかかってくるような動作をする。けど俺の顔の十五センチ先くらいに見えない壁でもあるのか、そのあたりでビタンッと止まって、それ以上は近付いてこない。神父様の魔法か? 助かった……。


ところが、深呼吸して周りを見ると、人面蛇に捕まって必死で抵抗している人たちと、何が起きているのか分からないって顔で、ざわざわしている人たちがいる。


神父様の魔法で、全員が助かったわけではないらしい。

俺は運がよかったんだ。


そう自覚した途端、ぞわぞわとまた恐怖がこみ上げてきて、体が勝手に震え出す。


これは偶然だ。神父様が出した魔法の内側に、たまたま入っていたから俺は助かった。それだけ。それだけなんだ。


この魔法が消えたら最後、俺は死ぬだろう。目の前をうろつく人面蛇のどれかに食べられて、きっと死ぬ。この人面蛇を阻む魔法は、いつまで持ってくれるのか……。


「チッ。魔法使いが紛れていたか」


と、そのとき、女悪魔の舌打ちが聞こえてきた。顔を向けると、赤ちゃんを守るような位置に立つライオネルと、ライオネルを忌々しそうに見る女悪魔がいて、


「だが、無駄なあがきだね。《守りたまえ(シールド)》の維持には大量の魔力を使う。じき魔力が切れて、あんたの《守りたまえ(シールド)》は消える。あたしはその瞬間を待つだけさ」


そんなことを言っている。


なんでだ?

まるで、ライオネルがこの魔法を出しているような口ぶりだけど……、まさか。


そんなわけない。もしライオネルが魔法使いだったら、とっくにおばさんの病気を治して、もっといい仕事についているはずだ。だから、あり得ない。そう思うんだけど、


「お前、魔法使いだったの?」


「分からない」


気になってそっと尋ねてみると、ライオネルは俺に困った顔を向けた。


「なんだか急に、みんなを守れるような気がしたんだ。それで試しに、『守りたまえ』って言ってみたら、魔法が発動したみたいでこうなった。自分でも驚いている」


「マジか」


すげぇな。本当にこれ、ライオネルの魔法なのかよ。

驚いて驚いて、それから俺は、とてつもなく不安になった。


でもそれってつまり、この魔法を維持する方法とか、もう一度この魔法を出す方法とか、ぜんぜん分からないってことだよな。やばいじゃん。俺たちの命は、ライオネルの魔法にかかっているっていうのに。……こういう時に、やれることはただ一つ。


知り合いと身を寄せ合うと、俺は必死で祈った。


神様。世界に壁をつくり、人間と悪魔の住む世界を分けてくださった神様。悪魔に立ち向かうta

めの力を、人間に授けてくださった神様。


どうか、お願いします。

俺たちを助けてください。俺たちを悪魔から守ってください。


……。


その日の夜は、とても長くて苦しかった。


夜が更けていく間に、ライオネルの魔法の外にいる人たちは、みんな死んでしまった。


町の人たちがすぐそばで、助けを求めながら人面蛇に食べられていくのを、俺は見えないふり、聞こえないふりをして、やり過ごすしかなかった。助けようがなかったし、次は俺の番かもしれないし、怖くて、つらくて、頭ん中がぐちゃぐちゃだった。


一睡もできないまま、やがて東の空に朝日が昇った。


悪魔たちはまだ去らない。


太陽が地平線から遠ざかると、人面蛇たちは日陰に移動し始めた。とぐろを巻いて、こちらの様子をじっとうかがっている。期待したけど、諦めて帰ってくれそうな気配はない。


「あれはきっとマムシだ。暑いのは苦手なんだろうね」


人面蛇を見ながら、少し明るい声でライオネルがそう言った。


「この時期は夜行性だ。あいつら、もうすぐ寝るんじゃないかな」


そのとおりだった。


人面蛇はたくさんいて、交代で眠っていたから、俺たちが動けるような余裕はなかったけど。悪魔たちは本気で、ライオネルが力尽きるのをひたすら待つつもりらしい。


気が狂いそうだった。


俺はまだ、生きている。だけど、眠りたいのに眠れなくて頭が重たいし、暑くて喉が渇くのに食べ物も飲み物もないし、見えない魔法の壁に囲まれた狭い空間の中でしか動けないし、いつこの魔法が消えて、人面蛇に襲われるかも分からない。大きな不安と恐怖と空腹感で、胸や腹がきゅっと締め付けられて、おかしくなってしまいそうだった。


朝が過ぎ、太陽と共に気温が高くなり、昼がやって来る。


肩を寄せ合いながら、もう誰も、何も言わない。


この苦しい状態がまだ続くなら、もういっそ、人面蛇に食べられたほうがマシなんじゃないかって、そんな考えが頭の中でちらつく。今夜もここで、悪魔たちに囲まれて過ごさないといけないのか? いったいいつまで、ここでじっとしていればいいんだ?


神様。……神様!

どうか、俺たちを救ってください!


……祈ることにも、少し疲れてきた。


ずっと本気で祈り続けているのに、状況はぜんぜん変わっていない。こんなことになるなら、もっとちゃんと教会に通っていればよかったな。


そう後悔して、心がくじけ始めた、その時だった。

遠くで、パンッという発砲音がした。


あっ。


はっとして顔を上げると、青い空にえんじ色の旗が揺れている。

兵隊の旗だ。


それを見た瞬間、張り詰めていた心が少しゆるんで、体の奥底から熱いものがこみ上げてきた。


もう大丈夫。兵隊が、俺たちを助けに来てくれたんだ!


勝手に涙があふれて、流れていく。まだ人面蛇たちが目の前にいて、安心できる状況じゃないのに、助かった気になって緊張が解けてしまう。


よかった。これでやっと、眠れる……。

神様。ありがとうございます。



   * * *



その数日後、親父の死体が見つかった。


奇跡的なことだった。町の人のほとんどは、人面蛇に丸呑みにされ、死体も残っていない状態だったから。親父は家に向かう道中、人面蛇に遭遇して投げ飛ばされ、その衝撃で息絶えたため、人面蛇たちの腹におさまらず済んだらしい。


母さんとシュリガーラは、見つからなかった。

ライオネルのお母さんも、ダクトベアのお母さんも、見つからなかった。


兵隊に殺された人面蛇の腹からは、消化途中の肉片と、人骨が山のように出てきた。

……地獄のような光景だった。


これから、どうすればいいんだろう。


生き延びたけど、取り残されたのだと気付いて、俺は呆然とした。


それからしばらくは、死体を埋葬するための穴掘りや、がれきの撤去に没頭した。じっとしていると、悲しみや怒りや後悔、どうしようもない感情で胸がいっぱいになって、はち切れそうになるほど苦しくて、それを忘れるために、とにかく体を動かしていたかった。


多分、他のみんなも同じような気持ちで、黙々と作業に取り組んでいたと思う。


そうやって何日か過ごしていると、ある日、魔法使いが俺のところにやって来た。

兵士の一人で、大柄だけど物腰のやわらかい、薄い空色の髪の男の人。


なんでも、悪魔に遭遇すると、魔法が使えるようになることがあるらしい。ライオネルに魔法が発現していたから、他にも魔法が発現している人がいないか、念のため確認しているということだった。ふーん。


俺が魔法使いだったら……。


あの蛇の女悪魔を殺す。悪魔を根絶やしにする。

そんで、誰も悪魔に怯えず生きられる世界にする。


と、思わずそんな想像をした。


いいな、魔法が使えたら。やりたいことが何でもできる。俺に魔法が発現していたら、あの蛇の女悪魔を殺して、家族を助けられたかもしれないのに。……残念だ。


手を握れば魔力の有無が分かると言われ、俺はその人と握手した。


で、そんなわけないと思っていたのに、魔法の才能があると言われて、ライオネルとダクトベアと一緒に、王都の学院に通うことになった。


信じられなかった。


けど、その魔法使いの話によると、『魔法が発現する』ことと、『魔法が使える』ことは別らしい。魔法が発現しても、師がいなければ魔法を使えないのが普通。いきなり魔法を使えてしまった、ライオネルが異常なのだという。


悪魔に遭遇して、何もできなかった自分を責めることはないと慰められて、それで少しだけ気が楽になった。でも、あとで思い出して、やっぱり苦しくなる。


みんなを助けられる可能性があったのに、あのとき、俺は何もできなかったんだ。ただ怖がって、怯えて、ライオネルを頼ることしかできなかったんだ。くそっ。くそっ。



   * * *



およそ一か月後、王都での新しい生活が始まった。

そのとき、俺は十三歳、ライオネルとダクトベアは十二歳だった。


魔法使いは貴族ばっかりで、魔法の才能がある貴族の子供たちは、十歳~十五歳の間に学院へ入学する。平民の魔法使いが誕生した場合は、先輩魔法使いがマンツーマンで魔法のいろはを教えるのが基本。だけど、俺たちはちょうどいい年齢だからと、貴族だらけの学院に通って、魔法とその他もろもろの勉強をすることになり――。


めちゃくちゃ苦戦した。


学院は四年制だけど、俺たちは六年かけて卒業した。


貴族の家では、子供が小さい頃から家庭教師を雇って勉強させるのが普通らしい。俺たちも教会で、神父様に簡単な読み書きや計算は教わっていた。けどそれだけじゃ、学院の勉強についていけない。そう言われて、最初の一年は、学院に通うための学院に通った。


そんでその後、晴れて学院に入学し、一年生を二回やった。


マジで勉強したんだけどな。


さっぱり理解できなくて、あえなく留年。神父になるための勉強をしていて、俺たちより頭がいいはずのダクトベアも、なぜか進級試験に落ちていて、


「もしかして、俺たちに合わせて手を抜いたのか?」


不思議に思って、そう聞いたらマジで嫌そうな顔をされた。


「んなわけあるか。あのちっせぇ村の外に出りゃ、俺は凡人以下なんだよ」


「マジか」


学院に通っていると、衝撃的なことがたくさんあった。

俺たちは井の中の蛙だったのだ。


クシャラ村で一番足が速くて、それを自慢にしていた俺も、この学院では十番以内に入るかどうかって程度だし。悪魔のこと、魔法のこと、これまで知らなかったことが、さも当然のように語られているし。


上には上がいるってことを、世界は俺が思っていたより広いんだってことを、俺はこの学院でよく思い知らされた。


だけど、ライオネルはちがった。

あいつだけは特別だった。


村で一番頭がよかったわけでも、村で一番足が速かったわけでもないのに。家族の生活のために、遊びよりキノコ採りに精を出すような、貧しくて冴えない奴だったのに。


ライオネルは学院で、一番の魔法使いだった。

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