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ジャッカルの変心2

その瞬間、俺はいろいろ理解した。


ライオネルはこの村で、おばさんと二人きりで暮らしている。


父親は炭鉱夫として出稼ぎに行っていて、長らく帰ってきていない。仕送りは受け取っているらしいけど、村の中でも特に貧しい生活をしていることは、村の人間なら誰でも知っている。おばさんは体があんまり丈夫じゃなくて、普通の人みたいに働けないからだ。


代わりにライオネルが、キノコや山菜を採りに行ったり、村の人の畑の手伝いをしたり、教会で勉強を教えてもらうかたわら、こまごまと働いている。


で、今日も生活の足しにするために、ダクトベアを誘ってキノコ採りに出かけたってわけだ。もう戦争が始まっているとは知らずに。……タイミング悪いなぁ。


「俺、ライオネルを探してきますよ」


気付くと、考えるより先に口がそう動いていた。


村の近くには森がたくさんある。多分、いつもの西の森に行ったんだと思うけど、探してすぐ見つけられるとは限らないし、おばさんが探しに行ったら、ライオネルの家の避難準備をする人がいなくなることになって、それはかなりまずい。


俺たちはこれから、山を越えてルタ町に行くのだから。


長い旅になると聞いている。準備ができていなくて、旅の途中でライオネルやおばさんが困る姿は見たくない。おばさんは家にいて、早く避難準備をしたほうがいい。


「ありがとう」


なのに、おばさんは俺を見てほほ笑むと、ゆるく首を振った。


なんで?

俺は理解できなかった。絶対、俺に頼んだほうがいいのに。


「気持ちだけ受け取っておくわ。ジャッカルくんも忙しいでしょう?」


「平気ですよ」


少し後ろめたく思いながら、それでも俺はにかっと笑ってみせた。


「俺、足速いですし。ライオネルたちとキノコ採りしたこともありますし」


「村のみんなに、避難指示を伝えている途中じゃないの?」


「ライオネルも『村のみんな』の一人ですから」


あとで親父には怒られそうだけど。


未来の嫌な想像を振り払って、俺は自信があるふりをして横を向いた。そこにいるシュリガーラは、『私できる、やれるよ』と期待するような目で俺を見上げていた。


伝達役に任命されたのは俺だ。


本当は俺が村の西側の家を回って、戦争が始まったからすぐ避難すると伝えなきゃいけない。自分の役目を途中で放り出すのは、よくないことだ。


けど、虫嫌いのシュリガーラが森でライオネルたちを探すのは無理だし、この状況を見て見ぬふりするのは間違っている。伝達役には選ばれなかったけど、家を回って避難指示を伝えるのはシュリガーラでもできることだ。それなら、俺のやるべきことは。


「シュリ。残りの伝達、お前ひとりでできるよな?」


「任せて!」


聞くと、シュリガーラは嬉しそうに笑って大きくうなずいた。


自信のない返事が来るとは微塵も思っていなかったけど、ちゃんと予想通りの反応だったことに安心して、俺は決意を固めた。


「おばさん。俺、行ってきます」


「本当にいいの? ジャッカルくんもやることがあるんじゃ……」


「大丈夫ですって」


まだ心配そうにするおばさんに向かって、俺は肩をすくめてみせた。


「村のみんなに伝達しなかったって知られたら、親父に雷落とされるんで」


「……ありがとう」


ためらっているようだったけど、やがて、おばさんはよわよわしい声でそう言った。そしてようやく、自分の準備に取りかかる気になったのか、家の中に戻っていった。


俺はほっとして、シュリガーラと別れると全速力で西の森に向かった。


森の入り口は、多くの植物で混み合っている。


赤茶色になったクマイチゴの葉、小さな赤い実をたくさんつけているガマズミ、薄緑色のカラハナソウ。草木をかき分けながらしばらく進むと、左手に斜面が現れ、そこを登ると、まっすぐな赤いマツばかりが立ち並ぶ不思議な場所に出る。


その場所に行けば、焚きつけもキノコも簡単に手に入るのだと、以前ライオネルが話していた。だから、そこにいると思ったんだけど、人の姿は見つからなかった。


明るくて、視界を遮るものがマツの幹しかない見通しのいい場所だから、いればすぐ分かるはずなんだけど。もっと奥に行ったのか?


俺の知らない場所にいたらまずいな。


そう思いながらマツ林を駆け足で進んでいると、やがてボウルのようにくぼんだ地形のところに、金髪と赤毛の後ろ姿が見えた。よし! 当たりだ!


「おーい!」


ゆるやかな斜面を駆け下り、走りながら大きく手を振って呼びかける。


すると二人は、同時に振り向いて驚いたような顔をした。近くに黒髪の知らない女の子もいて、少し遅れて俺のほうを向くと、不思議そうに首をかしげている。


誰だ? いや、今はそれより、


「きん、きゅう、じたい!」


「ジャッカル。どうしたの?」


「この近くに悪魔が現れたから、今すぐ避難するんだってさ!」


ライオネルとダクトベアのそばに行くと、まずはそう伝えて、少し息を整えてから、


「二人が森に出かけたって聞いたから、村で一番足の速い俺が、こうしてお前らを呼びにきたってわけ。そっちの子は初めて見るけど、二人の友達?」


「そうだよ。呼びにきてくれてありがとう」


ん? マジで?


ライオネルに即答されて、俺は少し驚いた。

二人と一緒にいたのは、赤い目に黒い髪っていう印象的な女の子で、格好は村の子供っぽいけど、村の子供じゃないことははっきりしていた。


それなのに友達? いつ知り合ったの? つーか、どっから来たんだよ。


いろんな疑問が浮かんでくる。

でも今は、そういうことをゆっくり考えている場合じゃない。


「すぐに戻らないといけないね。ルーナはどうする?」


遊んでいる場合じゃないというような顔をして、ライオネルが女の子にそう聞いた。

その子はルーナというらしい。やっぱり、聞き覚えのない名前だ。


「一緒に行く」


少し考えるようなそぶりをしてから、ルーナはそう返事をした。


ま、そうだよな。

よく分かんないよそ者だけど、これから悪魔が来るかもしれないってときに、森に置き去りにするのかかわいそうだ。一緒に逃げたほうがいい。ライオネルがうなずいた。


「分かった。一緒に行こう」


急げ、急げ、急げ、急げ!


俺たちは四人で、一緒に走って森の外に向かった。


ルーナは走るのがあんまり得意じゃないみたいで、ちょっと油断するとすぐに遅れた。そのたびにライオネルが、合わせるように走る速度を落としていて、早くしろよって心の中では思ったけど、置いていくのは間違いだから俺もゆっくり走った。


女だし、ま、仕方ない。


「あれは何?」


ところが森を出ると、村の外れに兵隊の荷馬車が止まっているのを見て、ルーナが不思議そうに聞いてきた。余裕のある口ぶりで、それならもっと速く走れよってイラっとしたし、それくらい見て分かるだろって呆れた。


えんじに白い翼っていったら、兵隊のマークだって普通は分かるのに、

シュリガーラみたく、兵隊にまったく興味がないのか?


「兵隊の荷馬車だよ。悪魔の軍勢が迫っているって、教えにきてくれたんだ。おかげで村のみんなは、もう逃げる準備ができている。……お前も来るの?」


「うーん。どうしよう」


ま、ついて来るだろうなと思って聞いてみたら、予想外の返事をされた。


は? なんで悩むんだよ。変な奴。


引っかかったけど、無駄話をしている暇はない。ともかく一刻も早く、母さんたちのところに戻らなきゃとスピードアップして走っていると、


「何をのろのろしている!」


不意に怒鳴り声が聞こえてきた。


驚いて足を止めると、何列かに整列させられた村人たちが、顔を真っ赤にした偉そうな兵隊に怒られている。みんな荷物を持っていて、いつでも避難できるような状態だ。


どうも早く避難しろと急かされているらしい。


兵隊が村に来て、まだ一時間も経っていないのに。

ちゃんと準備しなきゃ、旅の途中で困るかもしれないのに。

……理不尽だ。


見ているうちに怒りがこみあげてきたけど、それを面と向かって口にする勇気も、怒鳴り散らしている兵隊のそばへ行く勇気も俺にはない。


どうする?


困って、俺はライオネルとダクトベアに目を向けた。すると二人もやっぱり、戸惑って立ちすくんでいた。だよな。今、あそこに入っていく勇気はないよな。


と、心の中でうなずいていると、偉そうな兵隊が急に俺たちのほうを見た。


見つかった! まずい、怒られるか!?

怖くなって焦ったけど、偉そうな兵隊はにやりと嫌な感じに笑って、


「見つけたぞ」


そう言っただけだった。


え? ……何が起きてんだ?


突然、兵隊たちがいっせいに俺たちのほうを向いて、銃を構えた。


パンパンッと続けざまに発砲音が響いて、そしたらその直後、兵隊たちがうめきながら次々に倒れていって……。俺、夢でも見てんの?


目の前で何が起きているのか、ちっとも理解できなかった。


それなのに頬をつねると、痛い。……マジで意味わかんないって。助けを求めて、俺はダクトベアを見た。頭のいいダクトベアなら、もしかしたら……。


「おのれ悪魔め! 子供を人質にとるか!」


は?

ところがダクトベアを見た瞬間、兵隊のそんな怒号が聞こえて、


「え、マジ?」


俺はその言葉の意味をすぐさま理解し、うそだろ、と思いながらルーナを見た。


こいつ、悪魔なの? マジで?


正直、おかしいとは思っていた。旅人が来たわけでもないのに、知らない子供が村にいるなんて変だから。人間の子供っぽい見た目をしているけど、人間に化けるのがうまい悪魔もいるって言うし……。でもなんで、正体がばれたのに襲いかかってこないんだ?


ガン見するのが怖くて、ちらちら様子をうかがっていたら、


「私の顔に何かついている?」


ルーナが不思議そうに聞いてきた。


いやいや、この状況で顔に何かついているとか気にしないって。普通に考えて、あり得ないだろ。変な奴。自分が悪魔だってこと、まだ隠し通せると思ってんの?


「いや。……お前って悪魔なの?」


「悪魔?」


でもまだ、悪魔だと確定したわけじゃない。


兵隊が勘違いしている可能性もあるなと思って、一応そう聞いてみたら、なぜか聞き返された。

いやいや、悪魔を知らないって……。


「そんなことも知らないなんて、どんなクソ田舎から出てきたんだよ」


あり得ないだろ、おかしいだろって心の中で突っ込んでいたら、ダクトベアが俺の代わりにそう言ってくれた。


そうそう。つーか田舎者だからズレてんのか。

クシャラ村も結構な田舎だけど、山ん中のド田舎だったら、兵隊のマークとか悪魔のこととか知らないこともある……のか? ……どうなんだ?


考えていると、ライオネルがやめろよってふうにダクトベアを小突いて、


「この世界に、白の領域と黒の領域があることは知っている?」


「うん。それは知っている」


「よかった」


その答えを聞いて、安心したようにほほ笑んでいる。


優しいな。その確認から付き合ってやるのか。俺だったらもう無視しているぜ。どっちにしても、バカにつき合うのは時間の無駄だから。


「悪魔っていうのは、黒の領域に住んでいる生き物のことだよ」


「へえ! それなら私、悪魔だね」


は? ……なんだって?


黙って二人の会話を聞いていたら、突如、ルーナの口からとんでもない言葉が飛び出してきて、思わず耳を疑った。お前、マジで悪魔なの? ……マジで?


信じられなくてぽかんとしていると、ルーナは初めて知ったような興奮した声を出して、


「だって黒の領域から家出してきたんだもん」


……ははっ。

なんだよ、こいつ。マジで意味わかんねぇ。


全身の血の気がさっと引いていくような感覚がした。


やばい。マジでやばい。兵隊たちが次々に倒れていくのは、こいつの仕業? 兵隊がみんないなくなったら、次は俺たちがああなる? 俺の人生、ここで終了?


変な顔して、ルーナが何か聞いてきたけど、ぜんぜん頭に入ってこない。


ライオネル、ダクトベア。お前たち、なんで悪魔と一緒にいるんだよ。


今すぐこの場を離れたい。でも、ひっきりなしに銃弾が飛んできていて、ルーナのそばを離れたらどうなるのかは簡単に想像がつく。俺、どうすればいいんだろう。


焦りと不安がつのっていく。下手に動けず、じっとしていると、


「お嬢!」


不意にそんな声がして、見上げると空から人が降ってきた。


暗い緑色の髪の、怖い顔をした男の人。――悪魔だ!


虫の羽が生えているとか、皮膚に鱗がついているとか、神父様が話していた悪魔らしい特徴はないけど、俺はひと目見た瞬間にそれが悪魔だと直感した。


こんな雰囲気の大人、白の領域にはいない。あれは人間じゃない!


緑の髪の悪魔は怖い顔をしていた。


怒った低い声でルーナを叱りつけ、ルーナはびくっとしたけど、慣れているのか泣き出したりはしない。不満そうな目でじっと緑の髪の悪魔を見上げていて、そのうち言い合いが始まった。目撃者を消すとかどうとか、なんかよく分かんないんだけど……。


しばらくすると、緑の髪の悪魔は諦めたようにため息をこぼし、ルーナを抱き上げて空に戻っていった。銃撃がやみ、兵隊たちの意識は上空の悪魔たちに向けられた。


「行くぞ!」


その途端、ダクトベアが声を出した。


ライオネルの背中を叩き、俺と目を合わせて、兵隊たちがいないほうへと走り出す。

助かった! 俺たちは必死で、家族のところへ向かった。


村の人たちはすでに、北西へ向かって避難を始めていた。予定より早い出発なのは、きっとあの偉そうな兵隊に怒鳴って急かされたからだ。


村の外れに俺の親父だけが残っていて、俺たちを見ると、


「急げ!」


そう言って、避難列の最後尾まで連れていってくれた。


俺の家族も、ライオネルとダクトベアの家族も最後尾にいた。


みんな無事だった。シュリガーラはひとりで伝達役の仕事を果たせたし、おばさん――ライオネルのお母さんは、しっかり避難準備をできていた。


俺は、俺の仕事をシュリガーラにやらせたことを、親父に怒られるんじゃないかと思っていたけど、特に何も言われなかった。叱られることも、ねぎらわれることもなくて、それはそれで不満だったけど、自分の命が助かったことに比べればすごく些細なことだから、すぐにどうでもいいやってなった。


危なかったけど、俺は生きている。

……よかった。

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