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ジャッカルの変心

本編36話のあとに読むことをおすすめします。

――ある日、村に兵隊がやって来た。


突然の訪問だった。兵隊を象徴するえんじ色の旗を見た村人たちは、何事だって近くにいた人々と話し合い、仕事がてら、その話をあちこちに広めた。


うちの鍛冶屋(かじや)にも人が来て、それを聞いた俺は、


「兵隊を見に行きたい!」


黙々と金床(かなとこ)の掃除をしている親父に、そう言った。


最近のクシャラ村はうつうつとした空気に包まれている。


この近くでもうすぐ、悪魔との戦争が始まるからだ。戦争に巻き込まれないように、二日後には村を出ることが決まっていて、母さんは今そのための荷造りで忙しい。親父は村を出るギリギリまで、鍛冶屋を縮小営業するって決めたけど、このタイミングで農具の修理を依頼する人はほとんどいなくて、閑古鳥が鳴いている。


「なぁ、お願い!」


仕事がなくて暇だし、兵隊を目にできる機会なんてめったにないから、もしかしたら行かせてくれるんじゃないかって、俺は期待して親父の顔色をうかがった。


親父はいつも厳しくて、頑固で、俺が何を頼んでも簡単には首を縦に振ってくれない。

けどその時は、マジで手持ち無沙汰だったせいか、


「少しだけだぞ」


仕方ないなって顔をして、許可をくれた。


「いいの? サンキュー!」


耐火性の重たいエプロンを脱ぐと、俺はうきうきしながら鍛冶場を出た。


あたりをぐるりと見回すと、透きとおった南の空の手前にえんじ色の旗が見えた。ひんやりとした風に吹かれて、はたはたと揺れている。本当に兵隊が来ているんだ!


早く見に行きたい。


けど親父は、急がなくても兵隊は逃げないとばかりに、のんびりのんびりと支度をしていて、なかなか鍛冶場から出てこなかった。


まだかな、まだかなって落ち着かない気持ちで待っていると、親父より先に、隣の家から妹のシュリガーラが出てきて、


「お兄ちゃん、どこ行くの?」


「兵隊を見に行くんだよ」


「行く! シュリも行く!」


「へえ。お前も兵隊に興味あったんだ」


「興味ないけど、お兄ちゃんが行くなら行く!」


なんだよ、それ。


その返答を聞いて、いつものことだけど俺はうざったい気持ちになった。


俺がやるならやる、俺ができることなら自分もできるって、シュリガーラは昔から、俺の真似ばかりしたがっていた。いい加減やめろよって思うけど、それを言うと泣き出して、俺が親父に怒られてしまう。涙で同情を誘うなんて卑怯だ。まったくこいつは……。


と、シュリガーラに何か言ってやろうと考え始めたそのとき、親父がようやく鍛冶場から出てきた。その瞬間、俺は兵隊を見に行けるなら何でもいいやと思いなおして、


「早く行こうぜ!」


親父を急かして、三人で兵隊の旗が見えるほうに向かった。


兵隊に興味があるのは、俺たちだけじゃなかったらしい。

えんじ色の旗を目指して歩いていると、やがて村長の家の近くに着いた。


家の横に人だかりができていて、たくさんの人の頭の向こうに、旗を掲げた兵隊の荷馬車がかすかに見える。行進する兵隊たちの、規則正しい足音が聞こえてくる。

あの先に本物の兵隊がいるんだ!


そう実感すると、俺は胸が高鳴って、居ても立ってもいられなくなった。


早く兵隊を見たい。けど背の高い大人たちが邪魔で、ここからじゃよく見えない。

もっとよく見ようと思って、人だかりの先頭に向かおうとしたら、


「待て」


親父に厳しい声で止められた。俺はすぐさま振り向いて、顔で不満を訴えた。

けど親父は、険しい顔つきでダメだと首を振り、


「人様を押しのけるな。来い」


そう言って、村長の家に反対側に歩いていった。


なんでだよ。ここまで来たのに、兵隊見ちゃダメだって言うのかよ。


口に出したらきっと叱られる。

だから心の中でぶつぶつ文句を言いながら、俺は渋々親父について行った。ところが親父が向かったところは、人がまばらで、誰かを押しのけなくても兵隊がよく見えるところで、俺はすぐ不満を忘れて目の前の光景に没頭した。


枯れ草色のヘルメット、軍服を着た兵隊たちが、ライフルを担いで、一糸乱れず行進している。百人か千人か、数えきれないくらいたくさんいるのに、全員がまっすぐ前を見て、少しの狂いもなく、きびきびと歩いている。まるで一つの大きな生き物のようだ。


すげぇ。カッコいい。


兵隊の列と幌の荷馬車が順に通り過ぎていく様子を、俺は飽きることなくじっと眺めていた。なんでこんなに動きが揃うんだろう? なんでこんなにカッコいいんだろう? 俺も兵隊になったら、あんなふうになれるのかな? わくわくして、興味は尽きない。


だけどそのうち、


「もう帰りたい」


シュリガーラがそう言い出した。


やっぱりこうなるかって、俺は心底うんざりした。


よくあることなのだ。シュリガーラは俺について来たがるくせに、自分の興味のないことだと、すぐにもう嫌だって言い出して、俺を巻き添えにして家に帰りたがる。ほんとに面倒で嫌な奴。帰りたいなら一人で帰れっつーの。


「俺はまだ見ていたい!」


一応、俺は親父にそう主張した。けど親父はシュリガーラに甘いから、すでに、もう充分だろうって雰囲気になっていて、


「帰るぞ」


二対一じゃ無理かぁ。

出かける前に、見つかってしまったのが運の尽き。


家に置いてくればよかったなって思いながら、俺は最後にもう一度だけ兵隊の行進を見て、おとなしく家に帰ろうとした。


ところが、そのとき、幌の荷馬車の向こうに見慣れないものが見えた。


なんだ? 不思議に思って、俺は目を凝らしてそれを観察した。


するとそれはどうも、貴族サマが乗る小さな箱型の馬車らしかった。

色は地味だけど、その一台だけ他とは明らかにちがっている。


俺は、俺を呼ぶ親父の声を無視して、何なんだろうとその馬車に注目した。そしたら、その馬車が村長の家の横に差しかかった途端、ボォーッと低い笛の音が鳴り響いた。


その直後、兵隊の行進と馬車の動きがピタリと止まる。

魔法みたいに、それまで動いていたすべてが、ピタリと静止した。


数秒後、前後を走っていた荷馬車から木箱を持った兵隊たちが飛び降り、小さな馬車の前に木箱を積み上げていく。そして木箱の台ができあがると、小さな馬車の扉が開いて、えんじ色の軍帽を被った、貴族っぽい体つきの偉そうな兵隊が現れた。


その偉そうな兵隊は、木箱の台に乗り、集まっていた俺たちをさっと見回すと、


「本日、予定より早く悪魔との交戦が始まった!」


野太い声で、いきなりそんなことを告げた。


……え?

驚いて、俺はしばらくフリーズした。


なんだって? 戦争が始まった? マジで?

言われても、まったく信じられなかった。


今日が、昨日一昨日とちがうのは、兵隊が村に来たってことだけだ。空は高く澄んでいて、ちぎれた綿みたいな雲が浮かんでいて、風は秋らしく少し冷たい。親父は厳しくて、シュリガーラは自分勝手で、村の人たちは噂話が大好きで、クシャラ村の空気は暗く沈んでいる。昨日と何も変わりなくて、戦争の雰囲気なんて微塵も感じられないのに、戦争がもう始まっているって?


「そうなの?」


親父に聞いてみたけど、親父も初耳だったようで、


「分からん」


眉を寄せて、疑うように偉そうな兵隊をにらんでいる。そこにいる村の誰もが、突然の知らせに耳を疑い、戸惑っているようだった。


偉そうな兵隊はエヘンと咳をすると、


「一刻も早く避難せよ! じき、このあたりは戦場となる!」


よく響く声で、さらにそう告げた。


ここが戦場になる……。

やっぱり信じられないけど、偉そうな兵隊のその言葉で、ヤバいなって感覚が胸の奥からせりあがってきた。


ここが戦場になる。

それはつまり、もうすぐここに、悪魔がやって来るってことだ。

悪魔に見つかったから殺される。一人残らず殺される。……逃げないと!


俺は親父を見上げた。親父はシワを寄せた顔で黙り込み、村の男衆と目配せしていた。すぐ逃げなくちゃいけない状況なのに、みんな不安そうな顔でおろおろしていて、ちっとも動き出そうとしない。ヤバいんじゃないのって親父に聞こうとしたら、その前に、


「何をぐずぐずしている! 命が惜しくないのか!」


偉そうな兵隊が、突然そう怒鳴りつけてきた。

それでようやく、何人かの村人があたふたしながら動き始めた。


親父は村長の家の軒先に向かって、そこで村の男衆と話し合いを始めた。


突然のことだけど、この村を離れることは前々から決まっている。日取りが変わっただけで、心構えはできているから、避難の準備にそれほど時間はかからないだろう。今から一時間半後の、十一時に避難を開始する。問題はこれから、避難の日時が変更になったということを、村人全員に知らせないといけないということだが……。


成り行きで、大人たちのそんな話を聞くことになった俺は、


「俺が行ってこようか?」


難しい顔をしている親父に、小さな声でそう聞いてみた。


親父たちが悩んでいるのは、避難日時が変更になったことを村人全員に伝える、その伝達役を誰にすればいいかってことだ。親父も村長たちも、これから自分たちの避難準備をしないといけない。村中を走り回って、みんなにこの話を伝える余裕はないのだ。


でも俺は子供だから、準備を親に任せてしまえば自由に動ける。


「俺、足速いし。村の人がどこに住んでいるのか、みんな知っているぜ」


「……そうだな」


いい考えだと思ったんだけど、親父はあんまりいい顔をしなかった。


けどそのあと、村長や村の男衆と話し合った結果、若いのに任せるのが一番だってことになって、俺を含む、その場にいた若い男四人が伝達役に任命された。


俺は村の西側の家を回るよう頼まれて、


「任せろよ!」


誇らしい気持ちでさっそく出発しようとしたら、


「シュリも行く!」


出鼻をくじかれた。またこれだ。


ま、嫌な予感はしていた。シュリガーラも大人たちの話し合いの場にいたけど、女だから伝達役に任命されなくて、それがすごく不満だって顔に書いてあったから。


透明人間みたいな扱いをされて、悔しいって気持ちはちょっと分かる。

でも、これは俺に任された仕事だ。


邪魔すんなよ。お前は早く母さんのところに戻れ。


……俺はそう言いたかった。けど親父が、


「二人で協力しなさい」


俺が口を開く前に、有無を言わせない口調でそう言ってきたから、またこのパターンかって嫌になりながら、仕方なくシュリガーラも連れていくことにした。


「遅れたら置いていくからな」


「平気! あたしだって足速いもん!」


家を回って、畑を回って、俺たちは村人に避難開始を知らせた。


伝達は順調に進んだ。


予定より早く戦争が始まって、今日の十一時に避難開始だって伝えると、みんな驚いていたけど、村のどこにいても兵隊のえんじ色の旗が見えるから、納得してすぐ避難準備を始めてくれた。


親父は、子供の俺が伝達役じゃ、話を信用しない奴もいるんじゃないかって気にしていたようだけど、深刻な話だからか、俺の伝達を疑う人はいなかった。


だけど、ライオネルの家だけは少し事情がちがっていて、


「そうなのね。教えてくれてありがとう。ライオネルを呼びに行かないと……」


家を訪ねると、そこにはおばさんしかいなかった。


「ライオネルの奴、どこ行ったんですか?」


こんなときに何やってんだろ。

不思議に思って尋ねると、おばさんは困ったようにほほ笑んで、


「森よ。ダクトベアとキノコを採りに行くって」


「あぁ……」

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