8.とっておきの夢を、共に
「……レベッカ。お願いです。一着だけでいいんです。ずっと思い描いていたドレスをこの世に生み出すために、どうか、あなたのその素晴らしい腕を……」
私が黙ったまま視線をそらしたからか、コーニーがまたそう声をかけてきた。先ほどよりずっと弱々しい声だ。
そっと横目で様子をうかがうと、彼はわずかにうるんだ目で私を見つめていた。その柔らかい目元は、悲しげに下がってしまっている。
どうしよう。あまりに突然の話に、どうしていいか分からない。
コーニーから目をそらしたままの私を見かねたのか、ロージーがそっと口を挟んできた。
「ねえお兄様、レベッカは困っているみたいですわ。彼女にも都合があるのでしょうし、無理強いは……」
「分かっています。ですが私は……ようやく出会えたこの人を、あきらめたくないんです」
コーニーは私の手を放し、ロージーに向き直った。それから二人で、あれこれと言い合っている。
けれど二人の会話は、ちっとも頭に入ってこなかった。その声が、とても遠くから聞こえてきているように思える。
頭の中でぐるぐると回り続ける、さっきのコーニーの言葉に耳を傾けながら、今起こったことを整理する。
コーニーが、私のことを必要としている。それは確かだった。彼は純粋に、私の手助けを欲しているのだ。
けれど私は、アレク様の妻だ。既婚者である女性がよその男性のところに何度も通う、それは褒められたふるまいではない。
ことによると、妙な噂が立ってしまうかもしれない。ドレスに刺繍をしているだけなのと言ったところで、果たして周囲は信じるかどうか。
だからコーニーの頼みは、断らなくてはならない。私が未婚の頃であれば、また話は違ったかもしれないけれど。
そう心を決めかけたその時、ロージーの声がやけにはっきりと聞こえてきた。
「でも、彼女は既婚者ですのよ。その……彼女の旦那様が、どう思われるか」
彼女の言葉に、ふと奇妙な思いがわき起こって来るのを感じた。やけに力強く、私をせき立てるような思いが。
アレク様は、どう思うだろう。私がコーニーのところに、足しげく通うようになったら。
怒るだろうか。嫌悪感や嫉妬を、多少なりとも抱いてくれるだろうか。私のことを責めるだろうか。
違う。全部違う。
きっと彼は、軽蔑したような笑いを浮かべるだけだ。あるいは、全く表情を変えないかもしれない。
私が好き勝手にふらふらしたところで、彼は全く傷つくことも、苦しむこともない。私のやりようが気に入らなければ、無造作にぶち壊すだけだ。この前のお茶会のように。
それに彼は、婚礼すら欠席して好き放題にふるまっている。そんな彼に気兼ねするなんて、馬鹿馬鹿しい。
きっとこの思いは、私がアレク様に対して初めて抱いた、怒りなのだろう。奥歯をぐっと噛みしめて、さらに考える。
さっき私は、コーニーの願いを断ろうとした。でもそれは、ただアレク様のことを気にしていただけだ。
もしアレク様のことを考慮しなかったら、私はコーニーにどう答えていただろう。私は、本当はどうしたいと思っていたのだろう。
「……やります」
それは、とても小さな声でしかなかった。けれど私のその言葉に、コーニーとロージーが言い合いを止めて、同時にこちらを見た。
二人を見返しながら、ゆっくりと深呼吸する。今ならまだ、辞退できるかもしれない。でも私は、もう後戻りするつもりはない。
一言一言を噛みしめるように、はっきりと声に乗せていく。
「コーニーが思い描いているドレスがどんなものになるのか、私も見てみたいです。そのために私の力が必要だというのなら、喜んで手伝います」
「ああ、ありがとうございます!」
私の返事を聞いたコーニーが、感極まったように叫ぶ。そして驚いたことに、彼は私をぎゅっと抱きしめてしまった。
男性にこんなふうに触れられたのは初めてで、思わず固まってしまう。
でもその温もりは、決して不快なものではなかった。そう感じてしまうことに、後ろめたさはあったけれど。
そうして、私はコーニーの計画――彼が長年温めていた、彼の最高傑作になるだろうドレスを共に作成する――に参加することになった。
私の力を借りられると決まってから、コーニーはすっかり大はしゃぎだった。彼はいそいそと退室すると、大量の紙の束と共に戻ってきた。
なんとそれは、全て衣装のデザイン画だった。ほとんどは女物のドレスだったけれど、男物の礼服や乗馬服、とっても可愛らしい子供服なんかも描かれていた。
コーニーはそれらのデザイン画を家族以外の者に見せるのは、これが二回目らしい。最初は、お針子たちに頼んでドレスの試作品を作ってもらった時だ。
そんな特別なものを見せてもらえるという事実に、ちょっと緊張してしまう。
「そしてこれが、あなたに手伝っていただきたいドレスのデザイン画です」
うやうやしく、コーニーが一枚の紙を差し出してきた。ロージーと二人でのぞき込んで、同時に声を上げる。
「これの刺繍を、私が……責任重大ですね。でも、やりがいがありそうです」
「まあ、変わったドレスですのね。けれど素敵ですわ、とっても。わたくしも、完成が楽しみになってきました」
彼が見せてくれたデザインは、ロージーの言う通り少々変わっていた。
今の流行のドレスは、コルセットできっちりと締め上げた細い腰から、スカートがぶわりと大きく広がっていく形になっている。
そしてスカートのすそ、袖口、それに胸元と、あちこちに大量のフリルやレース、リボンなんかが縫い付けられる。
華やかで可愛らしいけれど、とにかくひらひらしているせいで刺繍を入れるのに向いた場所があまりない。
今私が着ているものは、既婚者向けということもあって装飾を控えめにしていたから、後から刺繍を足すこともできたけれど。
一方でコーニーが最高傑作として紹介したドレスは、もっとずっとシンプルだった。分かりやすい豪華さには欠けるものの、とても上品で、自然体だ。
コルセットはなく、胸のすぐ下から細身のスカートが流れるように足元まで続いている。
ふわりとした短い袖に、長い手袋。広く開いたえりぐりや袖口に繊細なレースが飾られているくらいで、フリルもリボンもない。
その代わり、ドレスのあらゆるところに様々な絵が描かれていた。彼はこれを、全て刺繍で再現したいらしい。
胸元から肩、袖にかけて広がっているのは、こもれ日やそよ風を思わせる、ゆったりとした曲線を組み合わせた優雅で生き生きとした模様。
そしてスカートには、小さく可憐な花々が一生懸命に咲き誇っている。まるで野の花畑をそのまま写し取ったような見事な姿だった。
「コーニーは、とても絵が上手なのですね……デザインも斬新ですけれど、この絵そのものがとっても素敵で……」
ドレスのデザイン画であるはずのそれは、一枚の絵として見てもとても美しいものだった。できることなら、このまま額に入れて飾っておきたい。そう思ってしまうくらいに。
思わず口からこぼれ出たそんなささいな褒め言葉に、コーニーははにかむように微笑んだ。
「ありがとうございます。元々絵を描くことも好きだったんです。こうやって褒めてもらえるというのも、嬉しいですね」
「小さな頃は、花壇の花なんかを描いていたのに……いつの間にか、ドレスのデザインを始めてしまわれたのよね、お兄様は」
「美しいドレスは、それ単体でもとても素晴らしいものですが、まとう者の魅力を引き出して、より美しくしてくれるんです」
うっとりとそう言って、コーニーは私に向き直った。
「あなたのそのドレスも、愛らしいあなたによく似合っていますよ。ただ、刺繍をする前は、少しつつましやかに過ぎたかもしれません。今のほうが華やかで、ずっといい」
彼はきっと、思ったままを素直に述べただけなのだろう。でもその言葉はとっても嬉しくて、そして悲しかった。
あの日、お茶会の時に、アレク様の口からその言葉を聞きたかったなと、そんな思いがよみがえってしまったから。
胸にささったとげがちくりと痛むのを無視して、コーニーの言葉に耳を傾ける。彼はデザイン画を示しながら、とても楽しそうにあれこれと説明を続けていた。
ああ、コーニーは本当に幸せそうだ。私が力を貸すといっただけでここまで喜んでくれるなんて。決断して、本当に良かった。彼を見ていると、私の胸まで温かくなる。
今はただ、この時間を楽しもう。そう決めて、あとはずっとドレスについて話していた。ここ一か月くらいで、一番素敵な日だった。そう断言できるくらいに、幸せだった。
話し込んでいたら、あっという間に夕方になってしまった。コーニーの家の馬車に揺られて、またガレスの屋敷へと戻る。
本当に、夢のような時間だった。お茶とお菓子を楽しみながら、三人でお喋りし、コーニーの理想のドレスについて語り合う。
話している間にも彼はさらにあれこれと思いついたらしく、別の紙にあれこれと書き留めていた。そしてそれを見て、私とロージーが歓声を上げる。
そうしている間は、自分が誰なのか忘れられた。今自分が置かれている、あまりにも悲しい状況についても。
コーニーとロージー。あの二人がいてくれれば、もう少し頑張れるような気がした。アレク様との、ただただ空虚なだけの結婚生活を。