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7.コーニーのお願い

 どうやらお喋りの間じゅう、私のドレスの刺繍を気にし続けていたらしいコーニー。彼はこの上なくうっとりとした顔で、刺繍を褒めちぎってくれた。


「あの……その、ありがとう、ございます……」


 戸惑いつつ、礼を言う。褒めてもらったこと自体はとっても嬉しい。


 でも彼のような貴族の男性が、どうしてここまで刺繍に興味を持っているのだろうか。しかも、針使いまで判断できるほど詳しいなんて。


 なおもぽかんとしたままの私に、コーニーは熱っぽくささやきかけてくる。


「……レベッカ、この刺繍はどなたの手によるものなのでしょうか。どうか、その方を紹介してはいただけませんか。それと……できれば、そのドレスを仕立てた方も知りたいのですが」


 どうして彼は、そんなことを知りたがっているのだろう。どんどん膨らんでいく疑問の山をそっと脇に押しのけて、気を取り直して答える。


「あの、どちらも……私、です。ドレスはお母様と二人で仕立てましたけれど、刺繍は自分一人で……十日ほどで縫い上げました」


 それを聞いて、コーニーはぴたりと動きを止めた。目を見張って、私の顔をじっと見つめている。


 席についたままのロージーが、驚いたような顔で両手をそっと頬に当てる。それから、きゃあとはしゃいだような声を上げた。


「まあ、すごいですわ。わたくしてっきり、熟練のお針子が縫ったものだとばかり思っていました。レベッカ、あなたのお母様もお裁縫が得意なんですの?」


「え、ええ。私の家の女性は、代々裁縫の達人ぞろいで……私も物心ついた時には、もう刺繍針を手にしていたの」


 このドレスだけでなくあの婚礼衣装も、お母様と叔母様と私で協力して縫い上げたものだった。


 その頃は、こんなことになるなんて思いもしなかった。三人でお喋りしながら、素敵な未来に思いをはせていたのだった。そんなことを思い出して、ふと悲しくなる。


 けれど私には、物思いにふける暇すら与えられなかった。感極まったような表情のコーニーが、両手でしっかりと私の手をしっかりと握りしめてしまったから。


 男性にこんな風に触れられたのは初めてだ。驚きと恥ずかしさで、顔にかっと血が上る。でもコーニーはそれにすら気づいていないのか、夢見るような表情で私を見上げてくる。


「ああ……素晴らしいです。私がずっと探し求めていたのは、あなただったのですね、レベッカ」


 まるで愛の告白のようなその言葉に、頭が真っ白になる。ひどくうろたえつつも、できるだけ冷静に言葉を返そうと試みた。


「あ、あの、その、ええと、それはいったいどういう」


 けれど口から出てきたのは、結局そんな裏返った声だけだった。ロージーが苦笑しながら、コーニーに呼びかけている。


「うふふ、お兄様ったら。レベッカがすっかり混乱しているわ。まずはきちんと説明してあげて?」


「ああ、確かにそうですね。ようやく長年の夢がかないそうだと思ったら、つい興奮して我を忘れてしまいました」


 とても無邪気に、晴れ晴れとコーニーが笑う。それから子供のように目を輝かせて、説明をしてくれた。


 彼は小さな頃から、ドレスや礼服なんかのデザインが気になって仕方がなかったのだそうだ。家族や親戚、友人たちが新しい服を着てくるたびに、もっとよく見せてとせがんでいたらしい。


 やがて彼は服飾の構造を学び、様々なデザインの流行りすたりを学ぶようになった。そうこうしているうちに、自分でもドレスのデザインを考えてみたくなった。


 何か月もかけて、彼は一着のドレスのデザイン画を描き上げた。上品でつつましやかなそのデザインを、家族たちはみな褒めてくれた。


 そうして相談の上、そのドレスを実際に作ってみようということになった。


 彼の家が懇意にしている職人、熟練のお針子たちにより、コーニーの最初のドレスができあがった。


 家族たちは大喜びだったけれど、コーニーはひそかに納得できないものを感じていたのだそうだ。


「仕立てのラインがほんの少しずれていて、刺繍が思っていたよりも見劣りしていました。私が思い描いていたものとは、まるで違う。あの時の衝撃は、今でも忘れられません」


「わたくしには、最初に作られたものも十分に美しく見えましたわ」


 ロージーが不思議そうな顔で、小首をかしげる。そんな彼女に、コーニーはきっぱりと言い切った。


「いいえ、ロージー。私が頭に思い浮かべていた作品の『本当の完成形』を目の当たりにすれば、きっとあなたにもこの思いが理解できるでしょう」


「ふふ、もうお兄様ったらそればっかり」


 ちょっぴりあきれたように笑うロージーに複雑な笑みを返してから、また彼は説明を続ける。


 最初のドレスが期待外れに終わってから、コーニーは裁縫を学び始めた。


 こうなったら、自分の手で理想のドレスを完成させるしかない。少年の彼は、そんなことを思い立ったのだった。


 貴族の少年としてはかなり珍しいその趣味を、それでも家族は止めなかった。


 彼は母親に、そして出入りの仕立て屋にあれこれと習いながら、せっせと針を動かしていたのだった。


「十年以上みっちりと練習したおかげで、どうにか満足のいくドレスを仕立てることはできるようになりました。……形だけは」


 そう語るコーニーの顔は、とても悔しそうだった。


「ドレスの形は作れるようになったのです。腰回りの曲線、柔らかく広がるスカート、優美な袖……全て、問題なく表現できるようになったのです」


 切なげに目を伏せて、コーニーはつぶやく。彼はさらりとそう言ったが、そこまでたどり着くには、かなりの修練が必要だ。


 裁縫が得意なうちの家の女性たちでも、一から型を作ってドレスを仕立てられるようになるには何年もかかる。


 十年で思うままの形を表現できるようになったというのなら、彼はかなり一生懸命に練習したのだろう。


 人によっては、たかがドレスで、と思うかもしれない。でも彼にとってそれは何よりも大切な問題なのだと、私にはそう思えた。


「でも、刺繍のほうはそうもいきませんでした。そちらも必死に練習したのですが、満足いく仕上がりにはほど遠く……」


「それでも、そこらの令嬢よりはずっとうまいんですのよ、お兄様は」


 ロージーが小声で、そんなことをささやきかけてきた。コーニーはその声が聞こえているのかいないのか、また私の前にひざまずく。


「でも、あなたのそのドレスを見て確信しました。私の理想のドレスを作り上げるためには、あなたの刺繍がなくてはならないのだと」


 もう一度私の手をそっと取って、彼は柔らかい声でこいねがう。


「図々しいお願いだと、分かってはいるのです。けれど私の夢には、あなたが必要なのです。どうか、力を貸してはいただけませんか……?」


 私はそっと目をそらして、黙り込むことしかできなかった。コーニーのまっすぐな視線があまりに熱く、まぶし過ぎて。

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