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5.一通の招待状

 カーテン越しの朝日に、目が覚める。頭がひどく痛む。目もじんじんして重い。


 昨日、大失敗に終わったお茶会の後、私はかろうじてドレスだけを着替えて、化粧も落とさずに、夕食も取らずに、そのままベッドにもぐり込んでしまった。


 そうして泣いているうちに、いつの間にか眠ってしまっていたようだった。


 まるで高熱を出した後のように重い体を引きずるようにして、ベッドから降りる。のろのろと着替えて顔を洗い、部屋まで運んでもらった朝食を詰め込む。


 正直、味なんてしなかった。食べたくなかった。でも食べないと、いつか倒れてしまう。そうなってもアレク様は見舞いにもこないだろう。そう断言できてしまうのが、ひどく悲しかった。


 食事を終えて一人になり、部屋の椅子に座った。何もしたくない。鉛か何か詰まっているんじゃないかってくらいに体が重い。


 そのままぼうっとしていると、クローゼットが目に入った。あの婚礼衣装と、昨日のドレスがしまわれたクローゼット。また、悲しい思い出が増えてしまった。


 あのドレス、どうしよう。もう二度と着たくない。見たくもない。あんなに頑張ったのに。いえ、あんなに頑張ったから、かな。ちっぽけな希望にすがって、浮かれて頑張って、私、馬鹿みたい。


 のろのろと立ち上がり、クローゼットに近づく。あのドレスを、今のうちに捨ててしまおうと思ったのだ。


 けれどその時、部屋の扉がノックされた。どうぞ、と声をかけると、銀のお盆を捧げ持ったメイドが静かに部屋に入ってきた。


 銀のお盆の上には、手紙のようなものが乗っている。手に取ると、清楚な花の香りがふわんと漂った。そこに記されている宛名も、とても美しい文字だ。


『ガレス公爵家、レベッカ様へ』


 この筆跡に見覚えはない。私の両親のものでも、友人のものでもない。そして、私がこのガレス公爵家に嫁いできたことを知る者はまだそう多くない。


 双方の家の格が極端に違うということもあって、婚礼は比較的こぢんまりとしたものだったのだ。


 しかもアレク様が婚礼をすっぽかしたせいで、ガレス公爵夫妻は、私がガレス家の一員となったことを公表するタイミングを失ってしまっていた。


 だから私がここにいることを知っているのは、婚礼の参列者か、あるいは昨日のお茶会の招待客か、それくらいだと思う。


 メイドが退室していくのを見届けてから、首を傾げつつ手紙を開けてみた。この差出人は、一体何の用なのだろう。


 美しい便せんに、つる草を思わせるしなやかで繊細な文字が躍っている。その内容に、思わず驚きの声が出た。


『昨日のお茶会でのあなたのもてなし、深く感銘を受けました。お返しに、あなたをお招きしたいと思います。お一人で構いませんので、どうぞお気軽にいらしてください』


「昨日の、お礼ってこと……? でも私、ろくに何もできなかったのに」


 呆然としたまま、手紙を読み進める。


『一つだけ、お願いがあります。昨日あなたが着ていたあのドレスを、もう一度着てきてはもらえませんか?』


 どうしてそんなことを頼むのだろう。不思議ではあったけれど、ちょっとだけほっとしていた。


 これで、あのドレスを捨てない理由ができた。見ると辛くなってしまうけれど、それでもやはり、あのドレスは私の努力の結晶で、とっても素敵に仕上がったものだったから。


 そしてその手紙にはさらに、訪問の日取りは私に一任すること、前もって連絡してくれれば迎えの馬車を出すということも書かれていた。


 ぜひ、あなたに会いたいです。そんな言葉に続き、差出人の名前が書かれていた。


「署名は……『コーニー』? 家名も何も書いてないし……どこの家のかたなのかしら」


 そしてもう一つ。コーニーという名前だけでは、その人が男なのか女なのかすら分からない。


 でもこの優美で繊細な文字は、きっと女性だろう。それも、私と年の近い。


 もしかしたら、お友達になれるかも。私のあのドレスを気に入ってくれたのなら、刺繍について語り合うこともできるかもしれない。久しぶりの、話し相手だ。


 今までの友人たちは、私がこのガレス公爵家に嫁ぐと決まってから疎遠になってしまった。公爵家だなんて、雲の上の人になってしまったわ、と言って。


 そんなことないわ、と一生懸命主張したのに、結局彼女たちは私から離れていってしまった。


 思えばあの頃から、私の結婚には暗雲が漂い始めていたのかもしれない。あの時は、ただ寂しいなとしか思っていなかったけれど。


 そしてアレク様は、顔すら見せない。彼の両親であるガレス公爵夫妻も、申し訳ないと思っているらしく私にはあまり近づいてこない。


 実の両親には、こんな現状を伝えたくはなかった。ちょっと婚礼でごたごたしたけれど、結局私は幸せになれたのだと、二人にはそう思っていてほしかった。いつまでごまかせるか、分からないけれど。


 だから今の私には、まともに話せる相手がいなかった。誰かに悩みを相談するどころか、ちょっとした気軽な世間話をすることすらできなかった。


 そのことが、さらに私の心をずんと重くしていた。新しいお友達ができれば、この苦しいばかりの日々も、ちょっとはましになるかもしれない。


 コーニー。どんな方かしら。ちょっとだけ気持ちが前向きになるのを感じながら、すぐに手紙の返事を書いた。




 それから数日後のこと。私は一人きり、従者もつれずにコーニーの屋敷に向かっていた。


 もちろん、アレク様は今日もいない。だから、気兼ねなく出かけられる。


 先だってのお茶会以来、いやそれ以前から、彼はまともにガレスの屋敷に帰ってきていないのだ。どこかの女性たちの家を渡り歩いているらしい。


 今彼がどこにいるのかは、ガレス公爵夫妻ですら分からないのだそうだ。


 夫妻は、私が正体不明の人物のお茶会に出かけることを快く許してくれた。


 ここに嫁いできてから苦労ばかりかけてしまってすまない、その分しっかりと楽しんでくるといい。そんなことを言って送り出してくれたのだ。


 あの日、あのお茶会のために刺繍したドレスをまとう。袖を通した時、胸がちくりと痛んだ。その痛みから目をそむけて支度を整え、迎えの馬車に乗り込む。


 コーニーからの迎えの馬車は、ぱっと見は比較的質素なもののように思えた。けれど私はすぐに、それが間違いだったと気づかされた。


 使われている木も、座面の布も、かなり上質のものだ。そしてあちこちにさりげなく施されている装飾も、とても趣味が良い。質素に見せかけて、とても上品な装飾がみっちりと施されているのだ。


 ガレス公爵家に嫁いできてから高級なものにも慣れつつあるけれど、この馬車はとびきり高級だ。


 家紋も何もついていないから分からないけれど、もしかしてコーニーは、かなり上位の家の人なのかもしれない。


 この馬車の感じからすると、一番上の公爵家か、あるいはもう一つ下の侯爵家か。ものすごく裕福な伯爵家……ということもありうるかな。


 期待と不安とにそわそわしながら、馬車で運ばれていく。


 ガレスの屋敷からほど近いところに大きな湖があり、その周囲の森には貴族たちの別荘が点在している。馬車はその森の中に入っていった。


 森の細道をぐねぐねと進み、やがて馬車が止まった。窓の外には、小ぶりの屋敷が見えている。


 生き生きと枝を伸ばす木々に囲まれるようにして建っているその様は、何だか隠れ家のようでもあった。小ぶりだけれど歴史を感じさせる、やはり上等な屋敷だ。


 出てきた使用人に案内されて、屋敷を進む。窓が大きくて窓ガラスもよく磨きこまれているからか、森の中にあるとは思えないほど廊下は明るく、さわやかな風が吹いていた。


 そうして通された先では、一組の男女が私を待ち受けていた。


 一人は、ちょっと浮世離れした、神秘的な雰囲気の若い男性。年の頃はアレク様と同じくらいだろうか。


 繊細な美貌にどことなく物憂げな表情を浮かべた、柔和な顔立ちの割にやけに人目を引く人物だ。


 そしてもう一人は、もう少し若い女性だ。私と同じくらいの年頃のように思える。


 彼女の顔立ちは隣の男性とよく似ているけれど、表情はとても生き生きとしていて、神秘的といった印象ではない。


 でもほっそりとして優雅な、一目で育ちの良さがうかがえる女性だった。こちらがコーニーだろうか。


「ようこそ、レベッカ。あなたに会えて嬉しいですわ。今日は、楽しんでいってくださいな。お茶もお菓子も、とっておきのものを用意いたしましたから」


 女性がにっこりと笑って口を開く。見た目にぴったりの、小鳥がさえずるような声だ。


「ああそうですわ、名乗りが遅れました。はじめまして。わたくしはロージーと申します」


 女性の言葉に、思わずぽかんとしてしまう。それでは、私をここに招いた『コーニー』は。


 弾かれるように男性に視線を移すと、彼はにっこりと笑いかけてきた。


「……あなたと会うのは、先日のお茶会以来、二度目ですね。レベッカ、私のわがままを聞いてくださって、ありがとう」


 その目には、とろけるような甘く優しい色が浮かんでいた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] お茶会の招待客なら、身元不明って事にはならない気が……? これから先で理由が明かされるのかもですが。
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