4.お茶会に望みをつないで
お茶会当日、アレク様は約束通り朝からガレスの屋敷にいた。
ただし朝食の場にも現れなかったし、彼の部屋を訪ねていってもろくに相手にしてもらえなかった。「お茶会には出るよ。約束だからな。でもそれまでは、放っておいてくれ」とのことだった。
少なくとも、お茶会の時間になれば会える。そう自分を奮い立たせて、自分の分の身支度を終えた。
我ながら惚れ惚れする刺繍のドレスをまとい、髪を軽く結い上げ、化粧を施す。仕上げに、宝石をいくつか身に着けた。刺繍がかすんでしまわないように、控えめなものを。
そうして、玄関ホールに向かう。そろそろ、招待客がやってくる頃合いだろう。やってきた客をここで出迎えるのが、招待主である私の仕事だ。
ゆっくりと、玄関の扉が開く。精いっぱい穏やかで上品な笑顔を作って、そちらに向き直った。
そうして、お茶会が始まる時間になった。招待客はみな若者ばかりだ。
アレク様の男友達たち、婚礼の参列者たち、そして公爵夫妻が推薦していた貴族の若者たち。そういった人々だ。
私がお茶会の会場に選んだのは、ガレスの屋敷の中庭だ。そこには、色とりどりのバラが美を競うようにして咲き誇っていた。ふくよかであでやかな香りが、中庭じゅうに満ちている。
けれど素敵な香りの満ちる中庭で、招待客たちは何とも言えない微妙な表情をしていた。
それもそうだろう、このお茶会の出席者の中で一番重要な人物が、まだ姿を現していないのだから。しかもその人物には、婚礼をすっぽかしたという前科もある。
招待客たちが、戸惑い顔を見合わせ始めた。私に声をかけようか、かけまいか悩んでいるような顔だ。
私は落胆を必死に押し込めて、行儀よく座っていた。そうやって、この場に来るはずの最後の一人を待つ。
メイドか執事を彼のもとに向かわせて、お茶会の時間ですよと伝えてもいいのだけれど、そんなことをしたら間違いなく彼はへそを曲げてしまう。気分を害したから茶会は欠席だと、そんなことを言い出すおそれもあった。
居心地の悪い空気の中、そうやって待ち続け。だいたい、三十分ちょっと経った頃だろうか。
ようやく、その人が姿を現した。疲れ切った表情と、だらだらとした足取りで。
「私は昨日まで、所用で外泊していてね。疲れているから、すまないがこの姿で失礼するよ」
そう言うと、アレク様が心底だるそうに私と同じテーブルについた。どっかりと、行儀悪く。ほんの少しお酒臭い。
彼のシャツにはしわが寄っているし、首元のボタンは三つほど外されている。今ちらりと見えた首元の小さな赤い丸は、もしかして、ふしだらなあれだろうか。
彼は宣言通り、今日の昼間だけを私のために空けることにしたらしい。そして、昨晩は他の女性と一緒にいたのだろう。今まで通り。
それは仕方がないと思っていた。そう簡単に、アレク様の言動が変わるなんて思っていない。でもまさか、こんな格好でお茶会にやってくるなんて思いもしなかった。
そんな不安と戸惑いを隠しつつ、できるだけ優しい声で呼びかける。
「あの、アレク様。お疲れなのでしたら、疲労回復にいいハーブティーをお持ちしましょうか」
「結構だよ。いらない。そもそも君がお茶会をやるだなんて言わなければ、こんな疲れる場に引っ張りだされることもなかったのだから」
きつい流し目で私を見ると、アレク様はふらりと立ち上がった。それから、招待客たちをぐるりと見渡す。少々芝居がかった態度で、彼は高らかに言い放った。
「さて、お集まりのみなさま。この茶会は、一から十までこちらの女性の思いつきだ。私はこの茶会にはまったく、これっぽっちも興味はないので、適当に過ごすことにする」
興味はない、そこのところを彼はやけに強調していた。その言葉が、私の胸に突き刺さる。
「そういうことだから、どうぞ私にはおかまいなく。二日酔いで、頭痛がひどいんだ……」
それだけを言うと、彼はあずまやにある大きな長椅子に歩いていき、そこに長々と横たわってしまった。やがて、静かな寝息が聞こえてくる。
今日のこの日は、一緒にいてくれるって言ったのに、浮かんできた涙を、こっそりとこらえる。
アレク様は、私がお茶会を開くなんて言ったから腹を立てているのだろうか。
だったら、私はどうすればよかったのだろう。どうすれば、彼は私に向き合ってくれるのだろう。
しょんぼりとうつむいた拍子に、ドレスの刺繍が目に入った。彼に見てほしくて、彼に褒めてほしくて。せめて、話のきっかけくらいにはしたくて。
頑張った。毎日寝る時間も惜しんで、縫い続けた。その先にあるかすかな希望にすがるようにして。
でも、失敗だった。意味なんてなかった。お茶会も、このドレスも。
できることなら、こんなお茶会は今すぐにでもお開きにしてしまいたかった。そうして一人、部屋で泣きたかった。
けれどもちろん、そんなことができるはずもない。そんなことをすれば、私はガレス公爵家の名に泥を塗ってしまう。ちょっと嫌なことがあったからといってお茶会を投げ出した、愚かな嫁として。
そんなことになったら、ここぞとばかりにアレク様はきっと私を離縁してしまうだろう。
いっそ、離縁されたほうがましだろうか。
でもそんなことになったら、お父様やお母様がどれだけ悲しむか。婚礼衣装を用意してくれた時の二人の嬉しそうな笑顔は、今も目の裏に焼きついている。
一つ深呼吸して、もう一度笑顔を作る。今はじっと耐えて、お茶会の女主人役を演じることにした。
私は淑女、私は公爵家の妻。ただそんなことだけを自分に言い聞かせて。うっかり悲しみにつかまってしまったら、どうなるか分からなかったから。
気がつけば夕暮れの中庭に、私は一人たたずんでいた。どうにか、お茶会を乗り切った。けれど正直、誰と何を話したのか覚えていない。
客はみな帰っていて、後片付けのメイドたちが忙しく中庭を動き回っていた。
アレク様はお茶会が終わると同時に飛び起きて、そのままどこかに行ってしまった。私に声をかけるどころか、こちらを見ることすらなく。
「……あの、レベッカ様」
なおもぼんやりと立ち尽くす私に、メイドの一人がおずおずと近寄ってくる。彼女は手にした紙をそっと私に渡すと、一礼してそのまま去っていった。
のろのろと、紙を開く。予想通り、それはアレク様からの手紙だった。いや、手紙なんていうきっちりしたものではない。走り書きだ。
『君にはうんざりだ。まったく、面倒なことを考えたものだよ。一応、そう一応書類上は君が私の妻だから、君と会わない訳にもいかないだろうね。次は、一か月後だ。ただし絶対に、お茶会なんて開くなよ』
その文字が、にじんでゆがんでいく。ぼたりぼたりと落ちかかる私の涙が、インクをにじませていたのだ。次から次へと涙が浮かんできて、文字が見えない。
「うっ……ううっ……」
手紙を握りしめて、静かにすすり泣いた。今日の悲しい記憶が、涙と一緒に流れ出てしまえばいいのに。そう思いながら、ただひたすらに泣き続けていた。