22.これで一段落
王宮の奥まったところにある、静かな離れ。そこの一室で、私はせっせと針を動かしていた。近くの作業台ではコーニーが、一生懸命に帽子の試作品を作っていた。
私とコーニーは今、この離れで暮らしている。ここで新しいドレス作りにいそしんだり、王族の妻として必要なあれこれをコーニーから習ったり。
また時には、ロージーも加えて王宮の中を散歩したり、新しい家族とお茶にしたり。
ちなみに、『新しい家族』である現王陛下と王妃殿下、先王陛下と王太后殿下は、全員この呼び方を即却下した。全力で。
せっかく家族になるのに、そんな堅苦しいのは嫌だ。それが全員の共通した意見だった。
その様子に、コーニーとロージーが初対面で『様』付けを拒否してきたことをぼんやり思い出さずにはいられなかった。
そんな訳で、私はみなさまのことを『お義兄様』『お義姉様』『お義父様』『お義母様』と呼ぶことになった。もっと気軽に名前か愛称で呼んではどうだと言われたけれど、まだそこまでの覚悟はできていない。
正直この呼び方ですらおそれ多いと思わなくもないけれど、開き直ることにした。どのみち、既に私は王弟であるコーニーと婚約していて、王妹であるロージーとは既に友人のような関係になっているのだし。
そんなことを思い出しながら、ふと顔を上げる。
作業部屋の壁には、リスの鉛筆画と刺繍が並んで飾られていた。コーニーが私にくれたあのスケッチと、そのスケッチをもとに縫い上げてコーニーに贈った刺繍だ。
この部屋が新たな作業部屋となって最初に、私たちはこの二枚の作品を壁に飾った。たったそれだけで、なじみのない王宮の離れが、不思議なくらいにほっとできる場所に変わっていた。
自然と笑みが浮かぶのを感じながら、また作業に戻る。
私は今、従来のものとはさらに違うデザインのドレスに、けし粒のようなビーズをびっしりと縫いつけているのだ。
その手元をのぞき込んで、コーニーがうっとりとつぶやく。
「この新しいドレスも、いよいよ完成間近ですね。これをまとったあなたを見るのが、もう待ち遠しくて……昨晩なんて、夢に見てしまいました」
「ふふ、コーニーったら」
「だって本当に待ち遠しいんです。夢であれだけ美しいということは、実際に見たらもっともっと美しいということなんですから」
そんなことを話していたら、入り口の扉がこんこんと叩かれた。
「お兄様、レベッカ。頼まれたものを持ってきましたわ」
明るい声と共に、ロージーが作業部屋に入ってくる。彼女が手にしたかごの中には、繊細なレースと羽飾りを組み合わせた、あでやかなコサージュがそっと置かれていた。
「ありがとう、ロージー。いつもながら、見事なできばえです。でもどうせなら、ここで作業していけばいいのでは?」
コサージュを受け取りながら、コーニーが首をかしげる。仮縫いの済んだ帽子にコサージュをあてがって、満足げに笑っていた。
「あら、お兄様たちの一番幸せな時間を邪魔したくはありませんもの。作業が一段落したら、お茶に誘ってくれればいいですわ」
幸せそうに笑うロージーを見てから、私はコーニーと見つめ合い、うなずく。
「それでは、これからお茶にしましょうか。昼食後からずっと縫い続けですし、そろそろ休憩をいれるべきでしょう」
コーニーがそう言うと、ロージーがとびきり嬉しそうに両手をぱんと合わせた。
離れのすぐ裏にある、小さな庭。真ん中に小さなあずまやがあって、その周りには花壇が作られている。ちょうど、あずまやを取り囲むように。
そしてその花壇には、季節の花があふれんばかりに咲き誇っていた。
私たち三人はいつものように、そこでお茶にしていた。切なげな花の香りとみずみずしい緑の香り、そしてかぐわしいお茶と甘いお菓子の香り。そんなものに囲まれて。
「今作っているあのドレス、とっても斬新なデザインですわね。今度の仮面舞踏会に着ていくんですの?」
うきうきとしながら尋ねるロージーに、苦笑で答える。
「布の量は少なくて、体のラインも結構出るし……今までで一番、目立つ気がするの。着心地はいいけれど」
「けれど、ビーズ刺繍の美しさをあますところなく披露できるんです。シルエットがおとなしい分は、華やかな帽子で補いますしね」
「それに、レベッカならおとなしめのドレスもよく似合いますわね、地がいいですから」
そんな風に和気あいあいと、お喋りは続いていた。と、ロージーが何かを思い出したような顔になる。それから身を乗り出して、声をひそめた。
「そういえば、その……二人は、もうお聞きになりまして?」
彼女が何の話をしようとしているのか分からなくて、またコーニーと顔を見合わせる。
「その、あれですわ。ガレス公爵家のことなのですけれど」
ガレス公爵家、それは私が最初に嫁いだ家で、アレク様の実家だ。いったいどうしたのだろうと口を引き結ぶと、ロージーはさらに小さな声で説明を始めた。
跡取りであるアレク様には、これでもかというくらいに愛人がいた。
しかし彼女たちは、男遊びが激しかったり、商売として男性の相手をするような女性ばかりで、天地がひっくり返ってもガレス家の嫁として認められるような人物ではなかったらしい。
だから、ガレス公爵夫妻は必死になって息子の妻を見つけてきた。けれどその妻、つまり私を、アレク様は徹底的に無視していたぶって虐げて、しまいにはあっさりと離縁してしまった。
それをきっかけに、ガレス公爵夫妻もついに決断したらしい。アレク様には、ガレス家の次の当主たる資格はなし、と。
アレク様は廃嫡されて、かなり遠縁の親戚のところで暮らすことになったらしい。
そこは年がら年中寒い地で、異民族の血が濃く入った者が多く暮らしているらしい。男も女もとってもたくましく、背が高くて筋骨隆々としているのだそうだ。
その地では、とにかくがっしりとした男性がもてる。しかしアレク様は細身の部類に入るし、どちらかというと女性的ですらある。
そこでなら、さすがのアレク様も女遊びはできないだろうと、公爵夫妻はそう考えたらしい。
それにアレク様は、胸も腰もむっちりと脂肪が乗り、腰はきゅっとくびれて、しかもきゃしゃな女性が大好きだ。私も以前は「肉が足りない」「まるで子供だな、その体は」とさんざん言われたものだ。
だからその地に飛ばされると聞いた時、彼は「この世の地獄だ!」とか何とか叫んだのだそうだ。
見た目にとらわれずに交流してみれば、いい人とめぐり合えるかもしれないのに。彼の性格を考えると、それも難しいかなと思うけれど。
「そういうことですから、お兄様……『コーニー』の正体が社交界に知れ渡る心配はしなくてもよさそうですわ。アレク様がこちらに戻ってこられることは、まずないでしょうから」
ロージーはふうとため息をつきながら、そう言っていた。コーニーはちょっと安心したような顔で、目を細めていた。
「彼には申し訳ないかなと思いますが、良かったです。おかげで、これからも心置きなくドレスのおひろめができますから」
コーニーは、離れのほうにちらりと目をやる。そこの作業部屋にある、完成間近のドレスに思いをはせているのだろう。
「王太子が作ったドレスだということがみなに知られてしまえば、ドレスそのものに対して正当な評価をいただけない可能性が高いですから。私はおべっかも気遣いもない、素直な感想をいただきたいんです」
コーニーは、アレク様に対して強い怒りや憎しみを抱いていない。
かつてアレク様が私を虐げていたことについては憤りもあるようだけれど、それよりも私のことを幸せにしていくほうが大切だと、そう思ってくれているようだった。
アレク様、色々ありましたが、今の私はとっても幸せです。どうかあなたにも、いい出会いがありますように。心の中だけで、こっそりとそう祈った。
「……お兄様もレベッカも、その……優しすぎませんこと?」
ロージーは一人だけ、明らかに不満そうだ。
「レベッカをあれだけないがしろに……いいえ、はっきりといじめて泣かせた彼がこんなことになって、すっとしたとか、いい気味だとか、そんな風には思われませんの?」
彼女は、とにかくアレク様のことを毛嫌いしているようだった。彼女は、私がこの離れにやってきた直後、苦虫をかみつぶしたような顔でこっそりと打ち明けてきた。
アレク様は私を離縁して間もなく、王妹ロザリンドに目をつけていたようだった。
どこかに療養に出てしまっている彼女のために、アレク様はせっせと王宮に手紙を送っていたらしい。彼女は療養を終えて王宮に戻った時、その手紙の山に絶句したのだそうだ。
あの手紙のいらだたしいことときたら。思い返すのも腹立たしいですわ。もっとも、全部暖炉に放り込んでしまいましたけれど。
ロージーは少女のようにぷりぷりと怒りながら、そんなことを言っていた。どうも、彼女にとってはかなり腹立たしい文面だったらしい。
「ロージー、あなたが私たちの分まで腹を立ててくれているから……だから私、こうやって穏やかな気持ちでいられるのかもしれないわ。ありがとう」
「レベッカの言う通りですね。私は元々、怒りの感情をあらわにすることが苦手ですし……でも安心してください。アレク殿を許すつもりは、まだまだありませんから」
私とコーニー、二人分の感謝の視線を向けられたロージーが、頬を赤く染めてつんとあごをそらした。
「べ、別にわたくしは、特別なことなどしておりませんわ! 本当にわたくしのお兄様とお義姉様は、二人そろって甘々なんですから」
その愛らしい照れ隠しに、コーニーと二人して笑う。心地の良い風に包まれた、優しい午後だった。




