20.浮かれた二人に挟まれて
そんなやり取りから、一か月ほど後。
私は一人で馬車に乗り、王宮に向かっていた。ほんの少し、いや、がちがちに緊張しながら。
コーニーとロージーの二人と出会ったあの屋敷は、実は、というか当然ながら、王家の別荘だった。
王族としての重圧に疲れを感じると、彼らはあそこに移るのだそうだ。身分も責任も忘れて、思う存分のびのびする。あそこは、そのための場所だったのだ。
王弟にして王太子コーネリアスは、コーニー。王妹ロザリンドは、ロージー。別荘に滞在している間、王族たちはそんな風に別の名前を名乗って、正体を厳重に隠していたのだった。
もっともコーニーとロージーの場合、家族の間でだけ使われている愛称をそのまま使っているらしい。
二人の家族って、つまり……。想像したら少し震えがきたので、それ以上考えないことにした。
そうこうしているうちにも、王宮はどんどん迫ってくる。あそこで、コーニーとロージーが私を待ってくれているのだ。
私がコーニーの求婚を受け入れた後、彼はロージーを連れてすぐに王宮に向かった。家族への報告と、私たちの婚約の手続きを済ませるために。
自分はあくまでも仮の王太子に過ぎないと、コーニーはそう考えている。しかし彼がどう思おうとも、今この国の王太子は彼だ。
したがって彼と私の婚約の手続きは、普通の貴族のものよりちょっと……そこそこ複雑になる。おそらくコーニーは、しばらくそちらにかかりきりになってしまう。
そして私は私で、王宮での新たな生活に慣れなくてはいけない。お互い、ちょっと忙しくなるのだ。
幸いコーニーの立場のおかげで、しばらくの間は公的な場に出ていく必要はない。
正直、ずっと表に出ないままでもいい。むしろそのほうが気楽でありがたい。コーニーが気にしてしまうといけないので、こんなことは絶対に言えないけれど。
とはいえ、ただ王宮に慣れるだけでは足りない。仮にも王族に嫁ぐのだから、覚えなくてはならないことがたくさんあるのだ。
王家の歴史とかしきたりとかを、一刻も早く頭に叩き込まないといけないのだ。万が一にも、コーニーに恥をかかせたりしないように。
ロージーはいくらでも力になると言ってくれたけれど、できることなら、コーニーにもそばにいてほしかった。私の努力を、近くで見ていてほしかった。一緒にドレスを縫っていたあの時のように。
それらの事情をかんがみて、まずは彼が婚約の手続きを済ませ、その後改めて私が王宮に移り住むことになったのだ。
なので私は、あの後しばらくあの別荘に留まっていた。やがて、必要な手続きが終わったとの連絡を受けたので、こうして王宮を目指していたのだった。
馬車は王宮の門をくぐり、そのまま進んでいく。そしてそのまま、城の横のほうに向かっていった。
正面玄関よりもやや小ぶりな扉の前で、馬車が止まる。すぐに扉が開いて、ロージーが勢いよく飛び出してきた。
「ようこそ、レベッカ! ふふ、あなたをお迎えできてとても嬉しいですわ。わたくしの大好きなお義姉様!」
馬車から降りたとたん、ロージーに抱きしめられる。
「出迎えありがとう、ロージー。でもそのことは、今はまだ内緒でしょう」
しばらくの間、私とコーニーが婚約したことは内緒にしておくことになった。今のコーニーは徹底して世間から隠れているし、婚約の話を広める必要も今のところはないと、そう判断したからだ。
「ふふ、ですから小声で言いましたわ。大丈夫、人払いはしてありますもの」
みんなは知らなくても、ロージーが祝福してくれる。コーニーと一緒にいられる。私にとっては、それで十分だった。
それに私の両親がこの婚約のことを知ったら、間違いなく卒倒してしまう。だって私の家は、貴族でも最下層の男爵家なのだから。
公爵家のアレク様との結婚が決まった時も、両親は二人そろってそわそわし続けていた。こんな夢のようなことがあっていいのかと言いながら、それでも不安そうにしていたものだ。
いつかは、両親にも打ち明けるつもりだ。でもそれは、少しずつ。まずはコーニーに会ってもらって、彼と親しくなってもらって、それからだ。
「お待ちしていましたよ、愛しいレベッカ」
ロージーに続いて、コーニーも姿を現した。彼に手を引かれて、王宮の廊下を歩く。反対側の腕には、しっかりとロージーがしがみついている。
「前に王宮に来たのは、あの仮面舞踏会の時でしたね……あの時は、まさかこんなことになるなんて思いもしませんでした」
ふとそんなことをつぶやいたら、隣のコーニーがとんでもないことを言い出した。
「私は、こうなったらいいなと思っていたのですよ。願いがかなって嬉しいです」
「わたくしも、どうせならお兄様とレベッカが一緒になってくれればいいのにと思っていましたわ」
ロージーまでそんなことを言っている。私は緊張と恥ずかしいのとでがちがちになりながら、ぎこちなく歩き続けていた。
「レベッカ、もしかして緊張していますか?」
「そうですわね。いつになく、肩に力が入ってしまっているような……」
「……その、やっぱり……王宮で暮らすんだなって思ったら、つい緊張してしまって……」
小声でそう本音をもらすと、コーニーとロージーが同時に足を止めた。
「緊張など不要ですよ。ここはもう、あなたの家なのですから」
「それに、この辺りの区画はわたくしたち王族と、一部の使用人しか通りませんの。この区画に直接あなたを招き入れるために、馬車をわざわざ王宮の横につけさせたのですわ」
「さっきの入り口は、王族専用の裏口なのですよ。私用で出かける時などは、あそこを使います」
楽しそうにコーニーが付け加えた一言に、そわりと鳥肌が立つ。王族専用の出入り口。そこを通って王宮に入り、王族二人に挟まれて王宮を歩いている。そんな事実を、うっかり実感してしまって。
「ねえお兄様、レベッカが余計に緊張してしまいましたわ」
「そうですね。……困りました。……それと、彼女に求婚してよかったのかと、少し自信がなくなってしまいました」
「もう、お兄様がしっかりしてくださいな。これから彼女を支え、守っていくのでしょう?」
二人のそんな会話が、やけに遠くから聞こえてくる。ロージーが私の腕を離し、コーニーに歩み寄って何やらささやきかけているようだった。
「え、あの……ロージー、このようなところで、それはどうかと……」
「誰の気配もしませんわよ。今ですわ、お兄様」
やけに戸惑った声のコーニーと、いつになく強気に言い切るロージー。二人は何を話しているんだろう。
そう思った次の瞬間、柔らかな感触が耳をかすめた。……今の、って。
驚いてそちらを向くと、すぐ近くにコーニーの顔があった。真っ赤だ。しかも、恥じらう乙女のように目を伏せて、まつげを震わせている。
間違いない、さっき私の耳に触れたのはコーニーの唇だ。
「その……あなたが上の空だったので、どうにかできないかと……不快な思いをさせてしまって、申し訳ありません」
「あ、いえ、驚きましたけれど、不快ではなかったです……その、私のほうこそぼんやりして、すみません。つい弱気になってしまっていました。でも、もう大丈夫です」
そう答えると、コーニーはほっとした顔でこちらを見た。私の手を、両手でしっかりと包み込む。
「良かった……あなたに嫌われることだけは、したくないのです。けれど、あなたにもっと触れたいのも事実で……」
「コーニー……そんな風に思ってもらえているだけで、私とっても幸せです」
手を取り合って、見つめ合う。
少し離れたところからは「ですからキスしてしまうのが一番ですわ、と言ったでしょう?」という、たいそう得意げなロージーの声が聞こえていた。




