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18.かの人の名は

 私の返答に腹を立てたアレク様は手を振り上げて、私をぶとうとしていた。目を閉じてうつむいて、ぎゅっと体をこわばらせる。


 でも、何も起こらない。衝撃も、怒鳴り声も、想像していたものは何一つ。


 戸惑いながらそろそろと目を開けようとした時、アレク様の声がした。こちらもまた戸惑っているような、そしていらだっているような声だった。


「おい、何をするんだ。その手をどけてくれ。そもそも、いきなりどこからわいて出たんだ、君は」


「それはこちらのせりふですよ。何てことをしているのですか、あなたは」


 アレク様に答えたその声は、コーニーのものだった。それも、私たちのすぐ近くから聞こえる。


 弾かれるように顔を上げて、声のしたほうを見る。


 そこには、手を振り上げたままのアレク様と、そのアレク様の手首をしっかりとつかんでいるコーニーがいた。アレク様は怒りもあらわに、コーニーをにらんでいる。


 そしてコーニーは、いつになく厳しい顔をしていた。普段はおっとりと柔和に微笑んでいる彼が、まるで別人のような威厳を漂わせていた。


「私はコーニー、この屋敷を父から預かっている、仮の主です。ここでのもめごとは、私が収めなくてはなりません」


 そしてコーニーの手は、アレク様の手首をしっかりとつかまえてしまっていた。アレク様が振りほどこうとしているのに、びくともしない。


「そして何より、レベッカは私の大切な友人です。彼女が暴力にさらされようとしているのを、見過ごすことはできません」


「暴力ではない。しつけだ。彼女は私の元妻だ、こんなしつけのなっていない女と結婚していただなんて思われたら、私まで恥をかくだろう」


 アレク様はふんぞりかえって、そんなことを言い立てている。コーニーはそんな彼を、とても悲しそうな目で見ていた。


「彼女は気品と教養にあふれた、素晴らしい淑女ですよ。あなたは何か、勘違いされておられるのでは?」


「勘違いしているのはそちらのほうだろう。ああそうだ、君はここの主人で彼女の友人なのだと、そう言ったな?」


 アレク様が目を細め、薄く笑う。


「ということは、あの風変わりなドレスを作れるのは君、ということか。役に立たないそこの女と違って」


「おっしゃるとおり、私はドレスを作るのが好きですが……レベッカをこれ以上侮辱するのは、やめていただけますか」


「ならば、ドレスを作ってくれ。そうすれば私は、もうそこの女には関わらないと誓おう」


 アレク様は、貴族の中でも最上位である公爵家の跡取りだ。彼にとって、ほとんどの貴族は取るに足らない目下の存在でしかない。


 だからなのか、アレク様は初対面のコーニーに対しても、とても尊大に接していた。礼儀も何も、あったものではない。


「……それではひとまず、お話をうかがいましょうか。どのようなものをお望みですか?」


 コーニーはそれでも辛抱強く、アレク様と接しているようだった。


 たぶんコーニーも、かなり格の高い家の人なのに。この屋敷はとても上等で上品だし、コーニーはとっても優雅で品性を備えている。


 もしかしたら彼もどこかの公爵家の人間なのではないかと、そんな気もしている。


 しかしアレク様はまったく気づいていないのか、勝ち誇ったような笑みで言葉を続けている。


「仮面舞踏会でレベッカがまとっていたような、今までの重苦しいドレスとは違う風変わりなものだ。王妹様への贈り物にするからな、とびきり豪華にしてくれ」


 王妹。その名を聞いた時、コーニーの表情が大きく動いた。不思議がっているような、不審に思っているような、そんな顔だ。


「……王妹様に、ドレスを……ですか?」


「そうだ。私は王妹様に求婚することにした。その時の手土産として、今流行り始めているという変わったドレスを贈る。きっと、喜んでいただけるだろう」


 その言葉が何か引っかかったのか、コーニーがかすかに微笑んだ。


 というよりも、必死に笑いをこらえて失敗したような、そんな様子に見えた。これまた、珍しい反応だった。


 しかしそれが気に食わなかったのか、アレク様が声を荒げる。


「どうして笑うんだ? 私はアレク・ガレス、ガレス公爵家の跡取りだ。王妹様を妻としても、何ら問題のない地位にあるのだぞ」


「……ロザリンドは、あなたの求婚には応じませんよ」


 不思議なほど静かに、コーニーが言った。いつもと同じ、穏やかで優しいその顔に、何やらいつもと違うものを感じる。


 驚きに何も言えないでいる私とは対照的に、アレク様は不機嫌さをさらにつのらせて、声高に言い立てていた。


「不愉快だ! どうして君に、そこまで言われなくてはならないんだ。そもそも君は何者なんだ、いい加減家名を名乗ったらどうなんだ?」


 その言葉に、コーニーは困ったように微笑んでいる。何だろう、けれどどこかに奇妙な余裕も感じられた。


 彼はしばらくためらってから、意を決したように口を開いた。


「コーネリアス・ラ・ルーミエル。それが私の名前です」




 コーニーが静かに口にした言葉に、私とアレク様がそろって凍りつく。だって、その名は。


 ルーミエル。その姓を名乗ることが許されるのは、王族だけだ。


 そしてさっきコーニーは、王妹のことを『ロザリンド』と親しげに呼んでいた。きっとそっちは、ロージーの本名だろう。


 つまりコーニーは王族、それもおそらくは王弟だ。でも、それだけではない。


 彼の名前に入っていた『ラ』、これは王太子の座にあることを表す称号だ。ルーミエルの名を持つ者はそれなりにいるけれど、この称号を持つのはこの国でたった一人。


 私が友人だと思っていた、あるいはそれ以上の感情を抱き始めていたコーニー。彼は、この国の王太子だったのだ。


 アレク様は先ほどまでの余裕はどこへやら、必死に食い下がっている。


「まさか!? 君が、王太子だと!? そんなことを、誰が信じると? 王太子はなぜか人前には出てこない。公爵家の跡取りである私だって、姿を見たことがない」


 この国の王は病気がちで、しかも御子がおられない。そのため、陛下の弟、王弟殿下が王太子の座につかれている。それは、私も知っていた。


 けれど王弟殿下については、コーネリアスという名前と、二十三歳という年齢以外謎に包まれていた。見た目も、性格も。


 彼は社交の場はおろか、式典などにすら姿を現さないのだ。


 動揺している私とアレク様を落ち着かせるように、コーニーは説明を始めた。


「はい。あくまでも私は、仮の王太子に過ぎませんから。兄上と義姉上に子ができれば、その子に王太子の座を返します」


 今のコーニーには、威厳にあふれていた。彼がひどく遠く、高くにいるように思えてしまった。


「ですから私は、つとめて公の場に姿を現さないようにしていました。将来、余計な権力争いを生まないように。いずれ兄上の子に、王太子の座をつつがなく譲り渡せるように」


 コーニーは優しい。そして気遣いもできる。だからって、将来の譲位を見すえて、そこまでしていたなんて。


「だ、だが証拠はどこにあるんだ!? 口だけなら、何とでも言えるだろう!?」


 アレク様はこりずにまだ叫んでいる。コーニーは苦笑して、首元からペンダントを取り出し、開いた。


 その中に描かれているのは、まぎれもなく王家の紋章。それも、王太子のみが使うことを許された、少し形の違う紋章だ。


 さすがのアレク様も、これにはぐうの音もでなかったらしい。と、コーニーが私に向き直った。


「それと王妹ロザリンドは、レベッカの親友です。あなたがレベッカにしたことを、ロザリンドは全て知っていますよ」


 そう言いながら、コーニーが私の胸元のブローチを指し示した。ちょっと渡してもらえないか、と目で訴えている。


 前に、ロージーとおそろいのドレスでお茶会に出た時、彼女のブローチを借りた。そして彼女は「友情の証に、とっておいてくださいまし」と言って、そのブローチを私にくれたのだ。それ以来、いつも胸元につけている。


 コーニーはブローチを受け取ると、裏側をあれこれと触っているようだった。やがてぱちんと音がして、隠し蓋が開いた。その中に描かれていたのは、やはり王家の紋章。


「このブローチは、ロザリンドが彼女に贈ったものなのです。変わらない友情の証しとして。……あなたがこれ以上レベッカに辛く当たるのなら、ロザリンドも黙ってはいないでしょうね」


 コーニーのその言葉に、アレク様はぶるりと身震いした。それから何も言わずに、彼は走り去ってしまった。ちょっと青ざめているようだった。


 そうして中庭には、私とコーニーだけが残された。

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アレックスは単に甘やかされすぎた愚かな輩だったか…王太子にも所業がバレてしまっては没落まっしぐら
[一言]  知らないこととは言え、王家の管理する邸宅にずかずかと乗り込んだ上、王太子でもあるコーネリアスと王妹・ロザリンドの客人であり親友に傷害未遂に恫喝…公爵家そのものに大きい傷がついたな。公爵夫妻…
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