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10.希望と失望

 そして、次の日。アレク様はいつも通り、不機嫌そのものの顔で現れた。それも、昼過ぎになってようやく。


 どこか愛人のところに泊まっていたらしく、たいそうだらしない格好だった。


 そんな彼を、公爵夫妻はほっとした顔で出迎えていた。態度についても服装についても、特にとがめることなく。


 ここに来てしばらく経つうちに、私にも分かってきた。アレク様があそこまで好き勝手しているにもかかわらず、公爵夫妻が彼をほぼ野放しにしている理由。


 そして、間違いなく私が苦労すると分かり切っているというのに、私という妻を見つけてきて彼にあてがった理由も。


 アレク様は、公爵夫妻が年を取ってからようやく生まれた一人息子で、ガレス公爵家の唯一の直系だ。そんなこともあって、公爵夫妻はアレク様にとても甘いのだ。


 そういう意味では、公爵夫妻もまた私の味方とは言いづらい。


 二人は親切にしてはくれるけれど、私とアレク様がもめているなら、最終的にはアレク様につき、私には我慢を強いるのだ。ごめんなさいね、とたいそう申し訳なさそうな顔でそう言いながら。


 そのことに気づいた時は、大いに落ち込んだ。コーニーとロージーとのあの時間がなければ、立ち直れなかったかもしれない。


 そんないきさつを思い出しながら、アレク様と二人、ガレスの屋敷の居間で過ごしていた。私は小物を縫いながら、アレク様は昼寝をしながら。


 会話がないのにも、もう慣れてしまった。最初のうちこそ、あれこれと一生懸命に話しかけていたのだけれど、アレク様はうっとうしそうな顔をして、すぐに話を切り上げてしまったのだ。


 これでは、どうしようもない。だから私は、私にできる方法で、彼に思いを伝えることにしたのだ。


 今縫っているのは、匂い袋だ。刺繍を施した小さな布を袋状にして、レースやビーズで飾り立てる。それから、香木の破片や干して刻んだハーブなんかを詰め込んで、リボンで閉じる。


 最近社交界では、好きな相手に匂い袋を渡すのが流行っているのだ。片思いの相手に、恋人に、夫に。


「……ずいぶんと上機嫌そうだな。いっそ、薄気味悪いくらいに」


 手元に集中していたら、アレク様の声がした。離れたところのソファにだらしなく寝そべって、上体だけを起こしてこちらを見ている。


「匂い袋か。へえ、そんなものを贈りたい相手ができたのか」


「あの、これは……あなたに差し上げようと思って……」


「いらない」


 うっすらと予想していた通りの返事に、胸がずきりと痛む。きっとまた拒絶されるんだろうなと心の準備はしてきたけれど、辛いものは辛い。


 辛いのなら、あきらめてしまってもいい。昨日のコーニーの声が、頭の中に響いている。


 でもまだ、あきらめたくない。もう少しだけ、頑張りたい。暗い声にならないように気をつけながら、ゆっくりと答える。


「……できあがったら、あなたの部屋に置いておきます。気が向いたら、受け取ってください」


 そう答えると、アレク様は私の顔をじっと見つめた。信じられないものを見たような顔をしている。


「……どうしてそんなに、君はしつこいんだ」


「しつこい、ですか? ……あの、出しゃばらないように気をつけます」


「ああ、まただ。そういうところが気に食わないんだよ。自分が頑張ればなんとかなるって、そう思い込んでいるところが」


 アレク様は立ち上がり、つかつかと私の前までやってきた。腰に手を当てて、座ったままの私を見すえている。


「私には愛しい女性たちがいる。親が勝手に決めた妻を愛するつもりは毛頭ない」


 やけにきっぱりと、彼は断言する。


「だからここに来るのは最低限にして、あとはひたすら無視を決め込んだんだ。普通の令嬢なら、じきに音を上げて実家に帰ってくれるだろう。そう思っていたのだけれど?」


 はっ、という軽蔑するようなため息が、彼の唇からもれた。


「なのに君ときたら、いつまでも私の屋敷に居座って……そんなに、未来の公爵夫人という地位が欲しいのか? それとも、自分が粗末にされていることにすら気づかない愚か者なのか?」


「どちらも、違います。……その、こうして夫婦になったのも、何かの縁ですから、だから仲良くなりたいって、そう思って」


「もういい。分かった。君が夢見がちな、面白みのかけらもない子供だということが。ああもう、気分が悪いよ。少し予定より早いが、ここで失礼する」


 私の言葉を途中でさえぎって、アレク様は足音も荒く居間を出ていく。後には、私だけが残された。


「……お話もできない。だったらせめて、得意なお裁縫でって思ったのに……」


 手の中には、未完成の匂い袋。縫い付けられている途中のリボンが、だらりと力なく垂れていた。




 それから数日後。私はまた、コーニーたちの屋敷を訪れていた。


「ふふ、待っていましたわレベッカ。今日も作業、頑張りましょう」


「こうしてあなたが来てくれるたびに、あのドレスが完成へと近づく……そう考えると、嬉しくてたまりません。もちろん、あなたとのお喋りも、とても楽しみにしていました」


「実はね、お兄様ったらあなたが来る前日はものすごくそわそわしているんですのよ」


 コーニーとロージーが、待ち切れなかったといったような顔で私を出迎える。二人の笑顔を見ていたら、自然と涙がこぼれていた。


「……レベッカ……? どう、されましたか?」


 とても心配そうな声で、コーニーが私の顔をのぞき込んでくる。こんな無様な顔を見られたくなくて、両手で顔を覆った。


「その、二人にそうやって歓迎してもらえることが、嬉しくて……」


「……その分だと、アレク様との面会はひどい結果に終わったようですわね?」


 ロージーの憤ったような声が聞こえる。こくんとうなずいて、口を開いた。先日の、アレク様とのやり取りを順に、言葉にしていく。最初から最後まで、全部。


 あれは、身内のもめごとのようなものだ。外部の人間に話すのは、あまりいいことではない。


 けれどそれでも、聞いてほしかった。誰よりも、この二人に。私が何に傷つき、何に悲しんだのか、理解してほしかった。


「……完成した匂い袋は、アレク様の部屋に置いてきました。けれどきっと、あれは一度も手を触れられないまま、どこかにしまい込まれて終わりだと思います」


 涙声で、時々しゃくりあげながら、私は話をそうしめくくった。ずっと胸につかえていた重たくて冷たい苦しい塊が、ようやく軽くなっていくのを感じながら。


「聞いてくださって、ありがとうございました。やっと、気が軽くなったように思います」


 突然泣き出したりしたことが、今さらながらに恥ずかしくなってくる。それをごまかすように、にっこりと笑いかけてみせた。


 と、コーニーが予想外の行動に出た。彼は流れるような動きで腕を伸ばして、私をぎゅっと抱きしめてしまったのだ。


「強がらなくていいんです。あなたはあんなにも懸命に夫に歩み寄ったのに、そんな仕打ちを受けてしまった。心が痛むのは当然です」


「ええ、そうですわね。本当にアレク様ったら、ひどい方」


「ですから、涙をこらえないでください。辛いのも悲しいのも、涙と一緒に流してしまいましょう」


 ふわふわのコットンのように優しい彼の声に、どうにかこうにか止めていたはずの涙がまたぼろぼろとこぼれ落ち始めた。


 ロージーがそっと、私の肩に手をかけてくる。二人分の温もりを感じながら、私は静かに涙をこぼし続けていた。


 それは確かに悲しみの涙だったけれど、同時に喜びの涙でもあった。


 私は一人じゃない。こんなに素敵な人たちが、私のことを気遣ってくれる。そのことが、泣きたくなるくらいに嬉しかったのだ。

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