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2.公爵子息の遅すぎる反省

 デニスは自分の婚約者にとても満足していた。


「デニス。ガブリエラ嬢は本当に地味だな。仮にも公爵子息の婚約者なんだからもう少し見られるようにアドバイスをした方がいいんじゃないか。いつも薄暗い茶色のドレスばかり着ていて、夜会の度に壁際にいるがあれは壁の花じゃなくて壁のシミだろう?」


 その男は小馬鹿にするように笑う。言われたフォーゲル公爵家の嫡男デニスは友人の言葉を否定せずに一緒になって笑った。


「確かにな。だが私は寛大だから壁のシミでも婚約を解消したりはしないさ。地味でもそれなりにいいところがあるんだ」


「どんな?」


「私の交友関係に口を出さないところとか?」


「デニスの浮気は公認か? それはすごいな」


「私にべた惚れだからな」


 羨ましそうにする友人にまあなと余裕の笑みを浮かべて見せる。婚約者と浮気相手とのニアミスはあったが今のところ決定的なところは見つかっていないので誤魔化している。浮気を認めていないので公認というわけではないが友人の羨ましそうな顔を見てあえて否定をしなかった。それにガブリエラはデニスがすることを全て肯定して褒めてくれる。それだけ自分のことが好きなんだとご満悦であった。


「それより、こないだデニスに言われて投資したらすごい利益が出たぞ。またいい情報があったら教えてくれよ。流石、公爵家嫡男様だな」


「ああ」


 褒められたデニスは自尊心が満たされ上機嫌だ。

 デニスの婚約者はランゲ伯爵家の娘ガブリエラという。彼女はかなり美人だ。着飾れば十人中十人の男性がダンスに誘うだろう。それでは困るので化粧も美人であることが分からないくらい地味にするように指示している。

 そのおかげで彼女はデニス以外の男性からのダンスを断る気苦労をしなくてすむ。もちろん彼女に贈るドレスも地味かつまったく露出のないものだ。ガブリエラは微妙な顔をしつつも従ってくれる。ドレスは装飾も控えめで色はデニスの瞳の色の茶色である。そのせいで先程の友人は壁の染みと揶揄したのだ。

 だがこれは彼女を悪い男から守る手段である。我ながらいい考えだと満足している。


 ガブリエラは物静かな女性で今までデニスに不満を言ったことがない。

 女友達(浮気相手)とお茶をしている時に何度か鉢合わせたが、彼女はただの友人で浮気ではない、誤解させてすまないと謝れば咎められなかった。ガブリエラは少しだけ困った様に「許します」と言ってくれる。


 デニスは時間にルーズだ。夜会の迎えに行くときも度々遅刻をしてしまう。それでもすまないと謝罪すれば「大丈夫です。許しますわ」と静かに受け止めてくれた。


 ガブリエラはいつも穏やかに微笑んでいる印象がある。決して怒ったり感情的になったりしない。デニスは最初はその優しさに心から感謝していたが、最近ではすっかり慣れてしまい無自覚に都合のいい婚約者扱いをしていた。


 ガブリエラは勤勉かつ優秀で投資もしている。もとはランゲ伯爵が投資をして財を成していたのだがその影響でガブリエラも上手くやって利益を出しているそうだ。彼女は慧眼がありその意見を取り入れればまず損をすることがなかった。デニスはそこに絶対の信頼を置いている。慎ましやかで金儲けができる婚約者。最高じゃないか。


 友人に勧めた投資の話もガブリエラから聞いたものだ。もちろんデニスの知識として友人に話している。女性が投資をしているといえば貴族社会では眉を顰められる。あえて自分の手柄にするのは周りからガブリエラが非難されないように庇うためでもある。そしてデニスの評価が上がれば彼女も鼻が高くなる。

 彼女の役目はデニスを支えることだ。伯爵家の娘が公爵家の嫡男と婚約出来たのだからそのくらいの働きは当然だろう。デニスの行動は全てガブリエラの為になっていると自負していた。


 数日後、デニスはある夜会に参加した。本来なら婚約者を伴うべきだろうがガブリエラには話していない。

 たまには自分にも息抜きが必要だと心の中で言い訳をしながら。


「デニス様! 会いたかったわ。今日は素敵なドレスをありがとう。ねえ、似合ってる?」


 甘えるような高い声にデニスは笑顔で頷く。


「とても似合っているよ」


 デニスは浮気相手の男爵令嬢と落ち合った。彼女とはかなり親密な仲だ。裕福ではないという彼女の為に有名なドレス工房で彼女の為のドレスを作らせた。なかなか露出があり豊満なスタイルを引き立てる。強めの香水もデニスにとっては気分を盛り上げるスパイスになる。婚約者に秘密の逢瀬……。何とも興奮する。


「まずは踊ろうか?」


「はい。今日はデニス様と踊れるのをとても楽しみにしていたの!」


 デニスは男爵令嬢の腰を抱き、ぴったりとくっついてダンスをした。2曲踊ったところでいつものように庭に行く。そして言葉もなく自然と唇を寄せ触れあった。暫くすると彼女をベンチへと誘い再び口づけようと顔を寄せた時、視界の隅に何かが横切る。他にも逢引きをしているお仲間かと気にもせず彼女を抱き寄せた。その時、後ろから凛とした声が聞こえてきた。


「デニス様?」


 この声は……。まさか? 恐る恐る振り返れば、そこに立っていたのはガブリエラだった。なぜ彼女がこの夜会に出席しているんだ! まさか男爵令嬢と2曲ダンスを踊ったところを見られたのか? デニスはダンスよりも口づけを見られていることのほうが問題なことに驚きのあまり気付いていない。思考がメチャクチャだった。

 デニスは今すぐに男爵令嬢から離れガブリエラに言い訳をするべきだと分かっていた。しかし、体が思うように動かない。今まで見たことのない冷たい表情のガブリエラが怖くて体が硬直してしまい男爵令嬢の腰を抱いたまま動くことも口を開くことも出来なかった。


 ガブリエラは優雅に扇子を広げると口元を隠しデニスを一瞥すると何も言わずドレスを翻し去って行った。

 さすがにまずいと男爵令嬢は青ざめた顔でそっとデニスから離れるとその場を後にした。デニスはしばらくの間、その場を動けずに呆然としていた。

 気付けば屋敷に戻り朝を迎えている。昨夜、自分がどうやって屋敷に戻ったのか記憶がない。呆然としたまま夜を明かしていた。ああ、どうすればいい?


 フォーゲル公爵である父は今領地で大きな事業を手掛け王都にはいない。デニスは自分でも羽目を外している自覚があったが、決定的な浮気現場をガブリエラに見られたことは非常にまずかった。言い訳のしようがない。


 ランゲ伯爵家は投資でかなりの財産を持っている。父の事業に出資してくれていてその縁でガブリエラとデニスは婚約を結んだ。爵位はこちらが高いとはいえ、浮気となればデニスの有責で婚約を破棄されるだろう。父に知られればなんと言われるか……。

 父はガブリエラを大層気に入っており大切にするよう常々言われていた。


 デニスも婚約当初はガブリエラに丁寧に接していたが、彼女が不満を言わないことで次第に都合よく利用し好き勝手に振る舞うようになっていた。心の中で自分は公爵子息だからそれが許されるという傲慢な甘えがあった。


 この状況になってデニスは自分の気持ちを思い知る。婚約破棄などしたくない。彼女を失いたくない。デニスはガブリエラを愛している。絶対に別れない。本当は初めての顔合わせで一目見た時から惹かれていた。自分は爵位だけのこれといった優れたところを持たない男であることを自覚している。そのコンプレックスを誤魔化す為にガブリエラに美しく着飾ることを禁じた。美しく装えばデニスこそガブリエラに相応しくないと周りが思う。そうなれば自分より優秀な誰かに奪われるに違いない。彼女の美しさは自分だけが知っていればいいと思った。


 お洒落を楽しみたい年頃の女性に酷いことをしているとは思ったが、ガブリエラは困った様に笑うと分かりましたと受け入れてくれた。

 こんな我儘に応えてくれるということはデニスを愛しているからに他ならないはずだ。自分は彼女に愛されていると思い込むとデニスはガブリエラに尊大に振る舞うようになりはじめた。それでも小心なデニスはやり過ぎたなと思うと謝罪する。その度にガブリエラは必ず許しますと言ってくれていた。その言葉にデニスは自分は深く愛されていると実感することができて満たされていた。繰り返すたびに二人の愛は深まっていると信じていた。

 そうだ! 今回のことはきっと試練だ。乗り越えれば真の愛を通わせることが出来る! デニスは意気揚々と執事を呼び花束を用意させた。これを渡して謝ればきっといつものように許してくれる。大丈夫だ。デニスは無駄に前向きだった。それでも昨夜の彼女の冷たい表情を思い出し怖気づきそうになる。


 気持ちを鼓舞しても、面会を拒否されるかもしれないと怯えながらランゲ伯爵家を訪問すればすんなりと応接室に通された。

 ああ、やっぱりガブリエラは自分を愛しているのだ。昨夜だって普通の令嬢ならあの場でデニスを罵倒するはずだがガブリエラは何も言わなかった。それは許すということに違いない。彼女を待つ間、すっかり安堵して出された菓子を食べお茶を飲みリラックスしていた。


「お待たせしました。デニス様」


 デニスはすぐに席を立ち持ってきた大きな花束を笑顔でガブリエラに差し出した。


「ガブリエラ。昨夜はすまなかった。あれは誤解なんだ。軽率な行動は反省している。どうか許してほしい」


 デニスはいつものようにガブリエラが微笑んで「許します」と言ってくれると信じていた。

 一瞬のあと、ガブリエラが口を開いた。


「許しません。あなたとの婚約は破棄します」


「ありがと……えっ? ガブリエラ、今なんと言った?」


 デニスは予想外の言葉に目を丸くした。私は聞き間違えたのか? 幻聴が聞こえたのか?


「許さないと申しました。浮気を許すことは出来ません。婚約は破棄します。もちろんあなたの有責になります」


 デニスはガブリエラの表情から冗談を言っている訳ではないことを理解して慌てて弁解をした。


「ち、違うんだ。あれは誤解なんだ!」


「誤解? 私には女性と熱く抱き合っているように見えましたが?」


「彼女は足をくじいていたので支えていたんだ」


「まあ、デニス様? 足を怪我している女性の介抱に口づけが必要なのですか?」


「あ、あれは、その、…………」


「話は終わりです」


「そ、そんな。嘘だろう? もう二度としない。誓うから。だから婚約を破棄するなんて言わないでくれ。いつもなら……許してくれていたじゃないか」


 ガブリエラはデニスのことを呆れた顔で見ながら冷たく言い放つ。


「まさか今回も許します、と私が言うと思っていたのですか?」


 ガブリエラに捨てられたくなくてデニスは必死だ。


「だっていつも許してくれていたじゃないか! それは君が私を愛してくれているからだろう? いつだって不満も言わずいつも私を支えてくれていたじゃないか。だからこの困難を二人の愛で乗り切ろう」


 デニスは自分の不誠実な行動を本気で二人の試練だと思い込んでいるので悪びれる様子もない。


「愛? あなたの私に対する態度でそんなもの生まれると思いますか? 無理ですわ。支えていたのは婚約者としての義務だからです。我が家はフォーゲル公爵家に多額の出資をしています。公爵家に何かあれば我が家も被害を受けますからね。そもそも黙っているから不満がないと本気で思っていたのですか?」


 ガブリエラの瞳には温度がなくデニスに対し軽蔑の眼差しを向ける。

 デニスは体中の血が一気に下がっていくのを感じた。顔は紙のように真っ白だ。


「わ、悪かった! もう二度と浮気はしないし、ガブリエラを大切にすると誓う。君に愛されるよう努力するから。だからもう一度だけチャンスをくれ。君だって格上の公爵家に嫁ぎたいはずだ。そうだろう?」


 ガブリエラは冷ややかに切り捨てる。


「お断りします。別に私は爵位にこだわりを感じませんし。婚約して1年、あなたの態度は不誠実過ぎました。私、浮気をする人だけはどうしても我慢できないのです。それに浮気は今回だけではありませんでしたわよね? もう信用できませんわ。残念ですが……。公爵様と父には婚約の時に、浮気などの問題が発覚したら婚約は破棄させて頂くことを了承してもらっています。絶対に撤回はあり得ません。どうぞお引き取りを」


「そ、そんな…………」


 ガブリエラの強い言葉にデニスはふらふらと席を立ち扉へ向かう。デニスは打たれ弱かった。優しく穏やかだと思っていた婚約者の逆襲に心は折れてしまった。自分を愛していると信じていたのにそれが勘違いだったなんて、信じたくない。泣きそうだ……。


「デニス様」


 名前を呼ばれデニスは一瞬、明るい顔をした。うな垂れる自分に同情してガブリエラがやり直してもいいと言ってくれると期待したのだ。


「デニス様。1年間でマイナス185点でしたわ」


 デニスは何のことか分からない。眉を寄せる。ただ自分の望む言葉でないことは明白だった。


「ガブリエラ?」


「点数の内容は公爵様にご報告してありますので後程確認してください。どうか次の婚約者となる人には誠実に向き合ってくださいね。では、さようなら」


 ガブリエラの突き放すような別れの言葉にデニス自身を拒絶されたことを悟り、顔色を失くしたままランゲ伯爵家をあとにした。言葉を発する気力はもう残っていなかった。



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