第2章 「空の悪魔 肉食モスマン」
恙無く飛行するヘリの機内は和やかムードで満たされ、眼下に広がる管轄地域は平和その物。
このまま行けば、今回の哨戒パトロールは何事もなく終わるはずだったの。
そうして支局へ無事に帰投した私達は、デスクワークや訓練等をこなして退庁時間を迎え、銀座通り商店街へ繰り出して赤提灯で打ち上げをしていただろうね。
普段の勤務日と同じようにさ。
しかしながら、一寸先は闇。
武装ヘリの機内を包んでいた物見遊山気分は、次の瞬間には儚くも雲散霧消してしまったんだ。
和やかだった武装ヘリの空気を、百八十度一変させた物。
それは、帰投先である堺県第二支局のオペレータールームからの入電だったの。
−アメリカ産の特定外来生物である肉食モスマンが、堺市上空で発見されました。肉食モスマンは、さやま遊園に来園していた少年を捕獲して飛行中。付近を哨戒中の部隊には、事態への対処を要請します。
えらい事になったもんだよね。
肉食モスマンといったら、アメリカのウエストバージニア州を始めとする各州に生息する獰猛な猛禽類じゃない。
捕食性で肉を好む所はフクロウに似ているけど、子牛位ならペロッと平らげてしまう旺盛な食欲の持ち主なので、アメリカ本土でも家畜を貪る害獣として厄介視されているんだ。
背中に備えた二メートル強の翼で空を飛んできたか、コンテナに紛れた卵が孵化してしまったのか。
その経緯は分からないけど、厄介な特定外来生物が流入して来ちゃったんだね。
この入電を聞いた私達の反応は、三者三様に分かれていたんだ。
「えっ、また特定外来生物なの?こないだはフィリピンのティクバランで、そのまた前は南米のチュパカブラ…次はビッグフットでも来るって言うの?!」
この二件の特定外来生物絡みの事件に対応した経験のある京花ちゃんは、心底ウンザリした声を上げていた。
その気持ち、良く分かるよ。
私だって、「もっと水際対策が万全だったら、現場対応をする私達も楽なのに…」って思っちゃうし。
だけど、世の中に完璧な物なんて存在しないからね。
どんなに厳重な検疫をしたとしても、そこから漏れて日本に流入する特定外来生物は、ゼロにはならないもん。
「だけど、さやま遊園といったら狭山市だよ…どうして堺市上空に来るまで野放しだったの?子供が特定外来生物に拐われたってのに?」
そんな私はどうかと言うと、事件が深刻化した経緯に拘り、愚痴めいた質問を二人にぶつけていた。
−専門家でもない私が、こんな事を詮索した所で始まらない。
頭の中では、重々理解しているよ。
だけど、この突如として発生した特定外来生物事件に、居ても立っても居られなくなっちゃったんだ。
「自販機での買い物か、或いはトイレか…そういう誰も見ていない僅かな隙を、モスマンに狙われたんだろうな。モスマンに引っ攫われてから間もなくして、急上昇に伴う気圧の変化で失神しちまった…悲鳴を聞きつけなかった理由も、それで説明がつくね。」
そんな私や京花ちゃんとは対照的に、マリナちゃんは落ち着いていたね。
「それで親御さんや係員が、『園内で迷子になった』と誤認した事で通報が遅れたって寸法だろうな。正常化バイアスに囚われていたら、『子供がモスマンに拐われた』とは思い至らないよ。」
風雲急を告げる現状にあっても、氷のカミソリを思わせるクールで鋭い美貌は眉一つ乱されておらず、事態を的確に推察するアルトソプラノの声色は、上ずった様子など微塵もない。
大型拳銃を武器に戦うクールビューティの冷徹さは、今日も健在だね。
「ハッキリしているのは、このままではモスマンに捕まった少年の命取りになるって事と、ヘリに乗っている私達が、現状では最も迅速に事態の対処に当たれるって事だけだね。」
長い前髪で右側が隠された赤い切れ長の眼は、至って冷静に事態を見据えていたんだ。
そして、これからすべき事が何なのかもね。
「お京、ちさ!これより私達三名は、人命救助と特定外来生物駆除に従事する!」
堺市の上空六百メートルを雄々しく駆ける、人類防衛機構の武装ヘリ。
その質実剛健で機能的な機内に、都市防衛の大任を双肩に担った少女士官の号令が、凛々しくも勇ましく響いたんだ。
大空を自在に駆けるアメリカ産の特定外来生物である肉食モスマンを空中で駆除し、これに捕まった少年を安全に救助する。
口で言うのは簡単だけど、いざ実行に移すとなると一筋縄じゃいかないよね。
「ま…待ってよ!モスマンの駆除はともかく、男の子の救助なんてどうするの?このヘリ一機だけじゃ、ちょっと無理があるって!」
「私も千里ちゃんに同感だよ、マリナちゃん!三十ミリ機関砲に空対空誘導弾…荒鷲一型に搭載されている武装なら、モスマンの一羽や二羽なんて敵じゃないよ。だけど、そんなオーバーキルじゃ男の子だってあの世行きじゃない!」
援護射撃感謝するよ、京花ちゃん。
モスマンを撃墜するだけだったら、機銃掃射辺りでサクッと薙ぎ払えば良いけど、今回の作戦には未来ある少年の命が掛かっているからね。
だけどマリナちゃんは、そんな私や京花ちゃんを笑って宥めたんだ。
「ちさやお京に改めて説かれなくても、人命の重さは重々承知の上さ。こう見えても私は、二人の個人兵装の腕前を高く買っているんだからね。」
氷のカミソリみたいな鋭い美貌に浮かんだ微笑は、場違いなまでに柔らかくて穏やかだったの。
「私と京花ちゃんの…?」
「腕前?」
穏やかな光の宿った切れ長の赤目に見つめられながら、私と京花ちゃんは思わず顔を見合わせちゃったんだ。
「そうさ、ちさ。大型拳銃とレーザーライフル。銃の種類は違えども、同じ引き金に命を預ける防人乙女として、ちさの精密射撃を私は信じているんだよ。空飛ぶ特定外来生物の足首を、ホバリング中のヘリから狙撃する自信はあるかい?」
「任せてよ、マリナちゃん!個人兵装に選んだ日から、レーザーライフルは私の手足も同然だよ!」
小脇に抱えたガンケースを軽く叩きながら、私は拳銃使いの少女に笑って応じたんだ。
レーザー銃剣を展開すれば白兵戦にも対応出来る我が愛銃だけど、やっぱり真価を発揮するのは狙撃だよね。
「ちさがスナイプに成功して、モスマンが痛みで少年を取り落としたら、お京に一働きして貰おう。お京、レーザーブレードのエネルギーは大丈夫か?」
「抜かりは無いよ、マリナちゃん!機内のUSB端子で、フル充電しといたからね!」
長い前髪で右目を隠した少女に問い掛けられた京花ちゃんは、手にした短めの柄から充電ケーブルを取り外し、誇らしげに示して見せた。
「ほら!この分ならテロリスト共と夜通しチャンバラやっても、エネルギー切れを気にせず戦えるよ!」
青いサイドテールの少女の快活な笑い声に応じるように、白い柄が小さな作動音を鳴らし、眩い光の刀身が生成された。
この真紅に美しく輝く光刃剣こそが、京花ちゃんの個人兵装であるレーザーブレードだよ。
「いいぞ!その意気だ、お京!だが、この場でブレードを展開したのは鞘走りだったな。機体を傷付けないうちに納めときなよ。」
「いっけない!つい、勢い余っちゃって!」
サイドテールに結った頭を照れ臭そうに掻きながら、真紅の光刃を納める京花ちゃん。
何にせよ、血気盛んなのは良い事だよね。




