最終回・Ver0.05「少年=矢空 晴は生まれ変わる」
僕に続いて三人の女の子達もOKボタンを押したのだろうか。僕達四人の目の前に表示されていたホログラムディスプレイが、音もなく消失した。
そして、視線を巨大なホログラムディスプレイに向けると同時に、合成音声が僕達に話しかけた。
『各レベルの上昇方法と上昇時のボーナスについての説明を、派生知能四名が読了したことを確認しました。言い忘れていましたが、適正レベル上昇試験は失敗したとしてもペナルティは課せられません。しかし、一日一回しか受けることができないのでご了承ください』
少しでも早くレベルを上げるために上昇試験を一日に何回も受けて内容を覚えよう、と思っていた。
でも、どうやらそれはできないらしいので、一日一回のチャンスを有効に活かそうと思う。
『最後に、課せられるペナルティについて説明します。このチュートリアルを受けれているので、すでにお気づきかとは思いますが、レベルの違う派生知能同士の接触は禁止です。仮に接触があった場合は、レベルの低い方の派生知能を干渉不可エリアに転送し、永遠に痛覚を与えます』
僕は言葉を失った。
僕が【Lv10】の通行人との接触を避けなければならないと気付かなければ……。そもそも、僕達四人の内の誰かが通行人と接触してしまっていたら……。
今、こうしてチュートリアルを全員で受けられているのは、奇跡だと言っていい。
現時点でレトログレスワールドの痛覚の設定が現実世界と遜色ないと確認できている。だから、ペナルティを課せられた場合は、痛覚の程度に関係なく精神崩壊を起こすだろう。
このチュートリアルを受けるまでの僕は、好奇心に従うままだった。だけど、僕や三人の女の子達のためにも、これからは安全第一で行動しようと思う。
『以上で、チュートリアルを終わります。何か質問はありますか?』
僕が決意を固めた直後、合成音声はチュートリアルの終わりを告げると同時に、質疑応答の時間を設けた。
(これは、またとないチャンスだ。ここで僕達の疑問をできるだけ解消しよう)
そう思った僕は、疑問点をまとめようと三人の女の子達の方を向いて。
気づいた。
三人の顔から、表情が消えていることに。
(どう、したんだろう? ……まさか、チュートリアルで伝えられたことを全部真に受けている、のか?)
もちろん、チュートリアルで合成音声が語ったことがすべて真実である可能性も十分あり得るとは思う。しかし、結論が導き出されていない現状では、一つの可能性に縛られず、ありとあらゆる可能性を考慮すべきだと思う。
僕が三人にその旨を伝えようとした時、ロングの女の子が僕の視線に気づいたのだろうか。ホログラムディスプレイから目を離し、僕の方へ体を向ける。
「私は特に質問したいこともないし、他の二人も同じだと思う。だから、君が一番に質問してもらって構わないよ」
三人に掛けようとした言葉をすべて忘れてしまうほどに、ロングの子が見せた表情には絶望の色が浮かんでいた。
僕が何を言っても彼女らの励みにならないだろう、と判断した僕は、ロングの女の子の言葉に甘えることにした。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
そう彼女に告げた後、体を再びホログラムディスプレイに向け、質問内容を考える。
……と言っても、一番最初に尋ねたいことはすでに決めていた。しかし、ロングの女の子が見せた表情に圧倒された僕はそれを忘れていたので、思い出す、という方が正確かもしれない。
そうして、件の質問内容はすぐに思い出せたが、僕は本当にその質問をしてしまっていいのか、と渋った。
確かにその質問をすれば僕の疑問は解決し、レトログレスワールドへの向き合い方も一つ分かるとは思う。しかし、それと同時に三人の女の子達にさらなる絶望を与えてしまう可能性がある。
(……けど、どのみち僕達四人がレトログレスワールドについて知っていかなければならないことに変わりはないか)
まだ、チュートリアルの内容がどこまでが噓で、どこまでが本当なのか。その境界線は曖昧なままであるけれど、いつまでレトログレスワールドに幽閉されるか分からない。だから、少しでも多くの情報を収集することが得策だと思う。
そう思い至った僕は、意を決してその疑問を口にした。
「僕達四人の現実世界にある肉体は、本当に脳死したの?」
すると、ホログラムディスプレイに映し出されている画面が動き始めた。
どうやら質問に答えようとしてくれているらしく、僕は一つ疑問が解消することに心躍った。また、僕の質問に三人の内の誰かが反応した。
「そんな分かり切ったこと、なんでわざわざ質問するのよ」
口調から察するに、サイドテールの子が言ったのだろうか。
いや、僕の質問に苛立ちが募り、怒りを露わにした他の二人だろうか。
どちらにせよ、僕の予想は当たったようだ。
三人に声を掛けようと思ったが、それより先に合成音声が僕の質問に答えた。
『はい。あなた方四名の現実の肉体は脳死しています』
……どうやら僕達四人が脳死したことにしたいらしいが、証拠を突きつけてこないあたり、噓の可能性が浮上してきた。
まだ希望を捨てちゃ駄目だ、みたいなことを三人に言おうとして。
気づいた。
三人共、涙を流していることに。
「……っぇ?」
三人の泣き顔に困惑した僕は、声にならない音を発した。
(なんで……みんな泣いているんだろう)
一瞬にして、頭の中はその疑問で埋め尽くされた。
三人を刺激してしまわぬように、あれやこれやと言葉を探したが、結局思ったことをそのまま口にした。
「なんで三人とも泣いてるの? まだ、僕達死んでないかもしれないのに」
そういった僕に、ロングの子がこう答えた。
「君、本当に何も知らないんだね」
確かに、僕はチュートリアルを受けたとはいえ、レトログレスワールドについて何も知らない。
けれど、三人は違うのだろうか。
三人は、僕が知らない情報を得ているのだろうか。
「私たちは、この世界にダイブする際に脳死することを知った上で、今ここにいる。もちろん、死にたくなんてないから嫌々ね。だから、この世界にいるということは、君の肉体も、もう……」
それ以上をロングの子は言わなかったが、言いたいことは何となく悟った。
それでも、まだ望みを捨てたくない僕はロングの子の言葉に反論しようとする。
けれど、頭に浮かんだ様々な言葉はどれもすぐに消えてしまう。
誰も喋らなくなったからか、嗚咽がはっきりと聞こえてくる。
誰のだろう?
僕だ。
僕も、泣いているんだ。
その証拠に、僕の目頭はじんわりと熱くなり、しずくが頬を伝って落ちている。
どうして、と悲しみや怒りなどのあらゆる感情を吐き出すように、僕は何度も呟いた。
(どうして、僕は死ななくちゃいけないんだ……!)
10年間しか生きていない僕には、生きるとか死ぬとかはよく分からない。
だから、三人よりも生きていると信じていたのかもしれない。
けれど、その足搔きもここまでのようだ。
突きつけられた己の死に、僕の心は折れた。
どれくらい時間が経ったか分からないが、とりあえず僕達は泣き止んだ。
経過時間が分からないとは言ったが、ホーム画面を見ればすぐに分かる。
だが、何かをする気力が今の僕にはなく、ただ下を向いて座り込んでいる。
……。
…………。
(……何かしよう)
泣き止んだからか気分が落ち着いてきた僕は、行動し始めようとまずは立ち上がる。
そして、気持ちの切り替えをしようと一度深呼吸をしてみるが、どうにも違和感を感じる。
何でだろう、と疑問に思った僕は手を顔に当ててみて、泣いていたから涙や鼻水がこびりついているからかと気づく。
服の袖でそれらを拭ってみて、多少はましになった。
さて。
(これからどうしようか)
動き出したはいいものの、次の行動を考えていなかったので、立ち止まって考えてみる。
そして、すぐに結論は出た。
僕の現実の肉体が脳死しているという事実は、三人がレトログレスワールドに来なければ軽く受け流していただろう。
僕は、まだ三人に何の対価も支払えていない。たとえ別行動になってしまっても、それまでには借りを返そうと思う。
とはいえ、今の三人に声を掛けるのは難しい。
三人の表情を見れば明らかなのだが、先ほどの僕と同様に絶望に打ちのめされている。
三人が気を持ち直してもらわなければ話し合いはままならないだろう、と思い、三人に掛ける励ましの言葉をいろいろと思い浮かべる。
けれど、その言葉のどれもが死に打ちひしがれた人間には不十分で、何なら心の傷を抉ってしまうのでは、とすら思う。
(……というか、生きるとは死ぬとか、問題が大きすぎるんだよなぁ)
もしも、僕や三人なんかよりも年を重ねた大人に相談できたら、三人を励ませる言葉の一つや二つ、思い付いているかもしれない。
死ぬとはどういうことなのか、と問うことができれば。
生きるとはどういうことなのか、と問うことができれば。
(……!)
その時、僕は自分に贈ってもらった言葉を思い出した。
3歳の誕生日に父さんから贈ってもらった言葉だ。
この時のためにあった、と言っても過言ではないほど、僕を含めた四人を励ますには十分すぎるくらいだ。
(今度は、ちゃんと声を掛けるぞ……!)
そう心の中で意気込んで、僕は三人に話し掛ける。
「みんな、聞いてほしい。僕たちは生きてるよ」
三人の内、ロングの子だけが僕の顔を見て答える。
「いや、私達は……死んでるよ。……もしかして、お互いに初対面だから、信用してない、とか?」
「君達のことは信用しているし、脳死のことも本当だとは思う。それでも、僕たちは生きてるよ」
「言ってることがめちゃくちゃじゃない……」
サイドテールの子がそういって僕を睨む。
僕は一切怯まずに彼女の言葉に答える。
「確かに僕達がチュートリアルの通りに、大出力のスキャニングで脳が焼き切れているんだとしたら、僕達は死んでる。人間としてはね」
「人間と、して……?」
ポニーテールの子が首を傾げる。
「そう。僕は心と、体と、そして生きる世界があることが生きていることだと思う。だから、現実の肉体が脳死した、つまり体を失った僕達は人間としてはもう生きていないんだ」
けど、と一呼吸おいて続ける。
「派生知能としての今の僕達はどうだろう?」
三人の目が少し大きく開いた。
「今の僕達には人間の時と同じ心と、データで構成された体と、レトログレスワールドという生きる世界がある。だから、人間としては死んでしまったのかもしれないけど、派生知能としての僕達は生きているんじゃないかな」
三人は、再び涙を流した。
だが、先ほど見せた表情よりも心なしか少し明るく、どうやら希望を見出せたらしい。
やがて泣き止んだロングの子が、僕に話し掛ける。
「ありがとう。君のおかげで、少し心が軽くなったよ」
そういった彼女は笑みを浮かべたので、僕は安堵した。
少しの間があって、他の二人も口を開く。
「あんたに励まされるのは癪だけど。……ありがと」
「えっとえっと、すごく元気が出た。ありがとう、お兄さん」
「どういたしまして。えっと……」
僕は三人の名前を呼ぼうとしたが、そもそも自己紹介がまだだったことを思い出した。
まずは先に僕が名乗ろう、と考えていると、ロングの子が僕に歩み寄る。
「フーリア。私の名前はフーリア・フーリエンスっていうの」
「セルリア・フーリエンスが私の名前。一回で覚えなさいよ」
「それとそれと、私の名前は、テリア・フーリエンスって言います!」
ロングの子、改め、フーリア・フーリエンス。サイドテールの子、改め、セルリア・フーリエンス。ポニーテールの子、改め、テリア・フーリエンス。
名乗った名前が本名なのか、ニックネームなのか。また、セカンドネームが何故一緒なのか等、気になることはあったが、そんな些細なことはどうだっていい。
僕はようやく、三人の名前を知ることができた。
「そういえば、君の名前は?」
どうやらフーリアはニックネームを登録した時、僕のニックネームを確認していなかったらしい。それはセルリアとテリアも同じようで、僕の顔を見つめてくる。
「僕の名前はハレルヤだよ。君達のようにセカンドネームはないからニックネームっぽいけど、派生知能としての僕の本名だ」
「ハレルヤ、か。良い名前だね」
フーリアにネーミングセンスを褒められて少し照れる。
「……で、何でハレルヤは照れてる訳?」
「いや、ハレルヤって名前、自分で考えたからさ。嬉しくって」
セルリアに突っ込まれて、しどろもどろになりながら答える。
「でもでも、素敵な名前だと思う!」
「ありがとう、テリア」
テリアにも褒められたので、感謝をする。
そんな話をしている中で、僕は決心する。
これからは生きる世界を奪われないように、誰にも殺されないように。そして、何事にも屈することのないように強く生きようと。
今日は2030年8月16日。
矢空 晴の十歳の誕生日であり、命日であり。
ハレルヤ、フーリア・フーリエンス、セルリア・フーリエンス、テリア・フーリエンスという、四名の派生知能が生まれた日である。
この話で打ち切りとさせて頂きます。ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます!