Ver0.03「少年=矢空 晴は三人の少女を仲間にする」
「え?」
見間違えたのかもしれない。
きっと、長時間フルダイブしているせいで、視界がボヤけているんだと思う。
その瞬間、僕はためらいもなくアスファルトにゴロ寝し、目を閉じてみる。
(体にはもう、異常が出てしまっているんだ。少しでも多くの時間、体を休めないと)
仰向けになって、規則的な呼吸を繰り返す。
深呼吸程に深くはなく、浅く、しかしゆっくりと。
しかし、睡魔は訪れない。
それならば、と半信半疑ながら草原とそこにぽつんと立っている柵を思い浮かべる。
そこへどこからか羊がご都合主義よろしく一列に並んでやって来ては、柵を飛び越えて行く……とまで伝えれば、『柵を飛び越えた羊の数を数えていく内に眠くなってしまうと言われるオカルト』を実践しているのが分かるだろう。
もちろん、妄想世界だけではなく現実世界(正しくは仮想世界)でも、
「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、羊が四匹、羊が五匹、羊が……」
と、ぶつぶつ呟いて実践している。
しかし、睡魔は訪れない。
「あぁ、もう」
眠るのは無理だ、と諦めて体を起こし、時間確認に関しては何度もお世話になっている大型テレビに目を向ければ、やはり強制ログアウト予定時刻を過ぎている事実も、視界が明瞭であるという事実も、嫌というほどに思い知る。
緩みかけていた緊張の糸が、再び張っていく。
ぞわぞわ、と全身を不快な感覚が覆っていくのは、父さんに男二人が僕の肉体をかっさらっていったと伝えられた時にも感じたので、本日二度目であり、それ以前に既に経験している訳だが、その感覚に慣れる事は出来ないし、思い出したくないとさえ思う。
けれど、緊張の糸を緩まなければ、今日一日で不快な感覚に二度も陥る事は無かったのだ。
父さんが唱えた『ドッキリ説』は可能性の一つとして受け取るべきだったのだが、あたかも事実のように受け取り、安堵したとは自分だ。
反省とは、自身を責める事のみを指すのではなく、そこから行動に移す事を反省と言う。
そんな持論を持っている僕は、すぐさま次の行動に移ろうとするも、具体的に何をするのかを考えていなかったので、腕を組んで何をするべきか考える。
再び観察を続けてみるか、と頭に浮かんだが、二度の観察で得られた情報は少なく、ただただ時間を空費してしまうだけかもしれない。
そんな懸念を抱いたので、観察とは別の手段でレトログレスワールドについて調べる方針を立てた。
今、僕がいる立体駐車場から見える景色は、人や車などが動いているものの一連の流れに従っているだけなので、観察する時間に比例して得られる情報も少なくなってしまうのも当然だろう。
ならば、どうすれば得られる情報を増やす事が出来るのか。
簡単だ、自分がその場から動けばいい。
かくして、僕は立体駐車場の階段を下っていった。
階段を一段、また一段と下っていきながらも、僕は思考を止めない。
おそらく現在も【Lv0】の僕が【Lv10】の通行人と接触してしまえば、何かしらのペナルティが課せられるだろう。
通行人が、スタート地点であるスクランブル交差点の中央を不自然に避ける事を発見したときから、そんな風に考えてしまう。
もしも、その考えが的中していたとしたら、新しい場所を歩いていくのは危険だと思う。
だから、新天地へと足を運ぶ前に、主に人や車などの逆行する世界の流れに沿って、【Lv10】の通行人との接触を防げるように訓練を積むべきだと考えた。
レトログレスワールドで目覚めてから立体駐車場まで無事に移動できてるし大丈夫なのでは、とも思うが、右も左も分からない現状を考慮すれば、危惧している点はなるべく解消しておいた方が良いだろう。
それに、二時間もぶっ通しで頭を使っているせいか、訓練以外にやる事が思い付かず、思い付いた事から片付けていきたいという理由もある。
ここまでで思考を一段落付けた所で、僕は立体駐車場の階段を下りきり、訓練を行う場所へと向かう。
人の流れはゆっくりであるので、走り出してしまわないように気をつけながら、着々と進んでいく。
そうして、訓練場という新たな使用目的が追加されたスクランブル交差点に到着し、訓練を行う。
訓練の内容はこうだ。
現在地の歩道からスクランブル交差点の中央に移動して、その後歩道に戻る。
たったこれだけ。
けれど、その一連の流れは調子に乗ってやれるものではなく、例えるならスタート地点であり、ゴール地点でもある歩道。
歩行者用信号が赤信号から青信号に変わる待ち時間、俗に言う『信号待ち』の時にも人は動いている。
昼間、つまりは僕がレトログレスワールドで目覚めた時間帯に比べれば、街を行き交う人々の数は減っていると思われる。
それでも、通行人には様々な格好の人がいて、大きめのリュックを背負っている人、スーツケースを転がしている人、ヘッドホンで聴いている音楽に合わせて足踏みをしている人、犬を連れている人、ロードバイクを引いている人と多種多様であり、時折、通行人の荷物などにぶつかりそうになる。
そんな状況に陥ってから、一つの疑問が浮かび上がる。
通行人の荷物にぶつかるのは通行人と接触した事になるんだろうか。
通行人にぶつからなければ良い、とだけ思っていたが、通行人が身に付けていたり持ち歩いていたりする荷物も『ぶつかってはいけない通行人』の一部分に含むのか否か。
(分からないけど、どっちにしろ面倒な訓練になりそうだ)
僕は苦笑いを浮かべた。
面倒な事、やりたくない事というのはいくらでもある。
でも、そういう事の大抵は自分にとって意味のある事だ。
この訓練も簡単なように見えるが、一度でも通行人にぶつかればゲームオーバーな訳だからやりたくないし、同じ事を繰り返すだけだから途中で飽きて面倒臭いと感じるかもしれないが、自分にとって意味のある事であると思うし、そうであるようにしたい。
そう思ってモチベーションを上げていると、歩行者用信号は赤信号のままだが、歩道にいる人達が横断歩道に向かって後ろ歩きを始めた。
おそらく、もうすぐ歩行者用信号が赤信号から青信号が点滅する状態に変わり、一回目の訓練が始まった事を理解する。
とりあえずは訓練を一回ずつ確実に成功させて自信をつけていこう、と目標を少し明確にして歩み始める。
そして動いてみて、歩道からスクランブル交差点の中央までの距離が体感的に遠いと感じ、歩いているのに止まっているような不思議な感覚になる。
それでもなんとかスクランブル交差点の中央にたどり着き、歩道に戻ろうと体を180度回転させて、絶望した。
歩行者用信号が赤信号になっていた。
つまりは、今から車が逆向きに走り始め、僕が歩道にたどり着く前に車に轢かれて、あまりの激痛にのたうち回るかもしれない。
僕は、焦る。
だがその瞬間、歩行者用信号は青信号になり、通行人は一時的に前を向いて歩き、頭上から青い光が降り注いだと思ったら、僕の足元に三人の少女が顕現し、その三人の中で最年長っぽい子が、薄目で僕を見てこう言った。
「えっと……おはよう?」
いつ振りだろう、女の子に声を掛けられるのは。
約半年前に引っ越してきた皆発大学は理系の大学で、自分の身の回りの人間の殆どが男性という環境で生活していた。それから、小学校の授業はリモートで受けているので、異性との会話はここ最近出来ていない。
だから、目の前の女の子に声をかけられて少し緊張している。
けれど『おはよう』だ。
挨拶をされたら挨拶し返せばいい。
だから、
「おはよう」
と返した。
……若干引きつった笑みを浮かべ、弱々しい声で。
ファーストコンタクトは失敗に終わった、と僕は少し落ち込む。しかし、女の子はあまり気にする素振りを見せず、他の二人の女の子の体を揺さぶって起こそうとしている。
細かい事を気にしていたらキリがない、と失敗を引きずるのを止め、気分転換に辺りを見回す。そして、自分を含めた四人がこのままここにいては駄目だと気付く。
女の子達の方に体を向け、念の為彼女らの頭上に表示されているレベルが僕と同じ【Lv0】である事。ついでに、三人共白髪である事を確認して、通行人には聞こえず女の子達には聞こえる音量で話し掛けた。
「ここにいては駄目だ。すぐに歩道へ移動しよう」
「分かった。二人共行くよ」
僕が話し掛けた女の子がそう言うと、他の二人はこくこくと頷き立ち上がった。
その光景を見届けた僕は、
「通行人にぶつからないようにして」
とだけ伝える。
女の子達は何も反応を示さなかったが、僕はなりふり構わず歩み出す。
女の子達が通行人にぶつかってしまわないか、そもそも僕について来てくれているのかと懸念を抱く。しかし、立ち止まって振り返ったり、声を掛けたりは出来ないので、とりあえずは三人の無事を信じるしかない。
それよりもまずは自分がミスを犯さないようにしよう、と雑念を振り払う。
難無くして歩道には辿り着いたが、スクランブル交差点の近くに建っているビルの一角まで進んで足を止める。立ち止まった僕が女の子達にとっての壁となり、通行人にぶつかる事がないようにする為だ。
そして振り返れば、ここにいるのは当たり前だと言わんばかりに、三人の女の子達が平然とした表情で立っていた。
ほっ、と胸を撫で下ろすと同時に、この後どうしようかと考えて、
「ここからすぐにある立体駐車場に移動しよう」
との結論に至ったので言葉にする。
すると今度は、三人共頷いてくれた。
立体駐車場までの道を通る人間は先程までいたスクランブル交差点と比べればぐっと減り、それ故か僕達四人の足音がはっきりと聞こえてくる。
立体駐車場までの道を通る人間は少なく、僕達四人の足音がはっきりと聞き取れるほどに、辺りは閑散としている。
しかし、ただ人通りが少ないというだけでは、偶然にも四人共スニーカーである僕達の足音がはっきり聞こえないと思う。なので、少なくとも今日この時間帯の立体駐車場付近は車通りがなく、それでいて静かなんだと気付く。
その静けさは僕の心を落ち着かせると同時に、何かの前兆なんじゃないかと不安にさせるので、少々薄気味悪い。
早く座って楽になりたいと思い、少し早歩きになってしまう。
後ろの三人の足音を聞けば、僕のペースに合わせて早歩きしてくれていて、申し訳ないと思う。
そうこうしている内に立体駐車場の階段までたどり着いた。そして、その傍らにある注意書きを見つけ、『左側は上り優先、右側は下り優先』と書いてあった。なので、僕は下り優先の右側を上り始めた。
注意書き通りに階段の左側を通らないのは、僕らの前方から後ろ歩きで階段を下ってくる通行人との衝突を回避するためである。
じゃあ右側を通っていれば安全なのかと言われると、そうでもない。もたもた歩いていると後ろ歩きで階段を上ってくる通行人と衝突してしまう。それに、そもそも通行人が注意書き通りに動かない可能性だって十分あり得る。
一つ目の問題点については先程から早歩きしているので大丈夫だとしても、二つ目の問題点については対処法が思いつかない。どうしようかと悩んでいたところ、何の問題もなく立体駐車場の屋上に辿り着いた。
一人も欠けずにここまでこれた、というのが立体駐車場の屋上に辿り着いて第一に思った事だった。
静けさで不安定になっていた僕の心は落ち着き始めていて、それは目的地に到着したことに起因するかもしれない。もしくは、僕が今独りぼっちではないという状況が起因するかもしれない。
しかし、緊張の糸が緩まないようにする為、何かやる事はないかと頭を回す。そして、女の子達にここに来るまでの道中で勝手に早歩きをしてしまった事に対する謝罪と、自分のペースに合わせてくれた事への感謝の意を伝えなければならない、と思い至った。
ついでに三人の名前を聞き出せたらいいな、とか思いながら口を開く。
「途中から早歩きになってしまってごめんね。それと、僕のペースについて来てくれてありがとう」
そう言うと、出会ってから僕の声に一番多く応じてくれた子が反応する。
「どういたしまして。といっても、案内人の君を見逃したら困るのは私達だから、ペースを合わせるに決まっているんだけどね」
そのあとに続いて、
「でも、何か合図が欲しかったわ」
「まあまあ、仕方ないって」
といったほかの女の子二人の声を目で追いながら聞いた。
そして、いまさらながら三人の女の子達の顔を見比べて驚愕する。
三人の顔は全く同じだった。
三人の女の子は雰囲気が似ているので、姉妹なんだろうと僕は思っていた。
姉妹であるなら顔が似ていても不思議ではないが、彼女らの顔は違いが一つもないといっても過言ではない。若干の身長差(先程話し掛けてくれた順が高い順となっている)と、識別出来るように配慮しているであろう髪型の違い(こちらも先程話し掛けてくれた順にロング、相手の視点から見て左側に結ったサイドテール、ポニーテールとなっている)がなければ見分けがつかない。
(三つ子にしてはあまりにも似すぎているし、SFでよく取り扱われるクローンなのか? オリジナルが今、現実世界にいるのか、それともこの三人の中の誰かなのか……までは分からないけど。でも、人体の複製って国際法に抵触するんじゃ……)
「あの、君。大丈夫?」
と、ロングの子が僕の顔を覗き込むようにして話し掛けてきたので、強制的に思考を一時停止させる。何か応じなければ、と焦ること数秒後、三人の名前を聞くことにした。
「大丈夫、少し考え事をしていただけだから。それより、お互いに自己紹介がまだだったから今からしない?」
「自己紹介、か。確かにしていなかったね。けれど名乗るなら偽名、というよりニックネームだよね。ここはゲームの世界なんだし」
「けど、自己紹介よりも先にイベントがありそうよ」
と、サイドテールの子がそう言って左手の人差し指で示した方向に目を向ける。そこには、映画館のスクリーンくらいの大きさのあるホログラムディスプレイがあった。
更に、画面の中央には『チュートリアル』と書かれていた。
次回
Ver0.04「少年=矢空 晴はチュートリアルを受ける」