Ver0.02「少年=矢空 晴は自身の現状を考察する」
僕がいる世界が、異世界ではなく仮想世界だと思ったのは、それから数分後のことだった。
これからどうしようかなー、と空を仰ごうとしたところ、街を行き交う人々の頭上に【Lv10】と表示されていた。
そして僕のレベルは、と窓硝子に写る自身の頭上を確認すると、何故か黒髪が白髪となっており、また、【Lv0】と表示されていた。
何故白髪になったのか、レベルがどのような意味を持つのか、とこの世界に対する疑問は増すばかりだ。
(考えても仕方ない、か。)
結論は出ないだろう、と思考を一時停止し、すべき事をまとめることにする。
InProでないとはいえ、ここが仮想世界であるとしたならば、約二時間後に強制ログアウトするはずだ。
それまでは、どこか人通りのないところでやり過ごす方が良いだろう。
辺りを見回すと、立体駐車場が目に写る。
迷わず移動を開始する。
我ながらいい場所を見つけた、と立体駐車場の屋上で風に吹かれながら、そう思った。
ここなら、人との接触を避けながら、スクランブル交差点を見下ろすことができる。
もしこの世界が仮想世界だった場合、今回の僕のような誤ダイブの再発防止の為に削除され、時間が逆行する摩訶不思議な風景を眺めるのは、これが最初で最後になる。
ならば、対象年齢前の貴重なフルダイブという記念すべき日に、もう二度と訪れる事のないであろうこの世界を、仮とはいえ自分の目に焼きつけよう。
とそういう感じで、現在進行形で立体駐車場最上階の屋上、端的に言えば高所にてスクランブル交差点を僕は観察している。
この世界に対する疑問解決に役立てば、と思いながら。
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この世界と呼ぶのが鬱陶しくなったので、"レトログレスワールド"と名付けた世界を観察していて、一つ分かった事がある。
それは、僕が目覚めたスクランブル交差点の中央を、通行人が誰一人通らないのだ。
これはゲームで言うリスポーン狩りを防ぐ為だと思われる。
つまり、【Lv0】のプレイヤーが覚醒直後に【Lv10】の通行人との接触を回避できるように設計されているようだ。
リスポーン地点といえば、動かなければ敵から攻撃されない安全な場所、と僕がプレイしてきた多くのゲームで定義されていたので、「リスポーン地点から動かなきゃよかった……」としゃがみ、頭を抱えて本気で後悔した。
しかし、そう思ったのも束の間、ここは僕がプレイしてきた多くのゲームにカテゴライズされないゲームだと気づく。
車はスクランブル交差点の中央を通っている。
リスポーン地点から動かなければ、車に撥ねられて激痛を味わう、という新事実を理解すると同時に、今までの行動が功を奏したと喜ぶ。
気づけば右腕でガッツポーズをしていて、「この数分で僕は、一喜一憂を体現してしまった……」とくだらない独り言を呟く。
すると、目新しい出来事ばかりで脳が興奮しているのか、笑いのツボに入ってしまい、観察と論理的思考を放棄し、腹を抱えて引き笑いをする。
超無駄なこの時間は長く続くかと思われたが、一つの声がその終わりを告げる。
『大丈夫……じゃなさそうだな……』という声が。
「自分の息子にこういうこと言いたかないんだけど、お前の将来が心配だよ」
「はい、ご心配をおかけしました」
先程の場面を見られた恥ずかしさもあり、つい敬語で話してしまう。
僕が今、音声のみの会話をしているのは父さん、矢空 珠雨であるというのに。
「別になんだっていいけど。それより大変な事になった」
「今身をもって実感してる」
「けど、現実世界のことは分かってねぇんだろ?」
「……何かあったの?」
ダイブ前に学生さんの知らない誰かが来た事を思い出す。
嫌な予感がする。
「研究所に男二人がやって来て、晴を誘拐した」
「……!」
父さんの言葉を受けて、フルダイブしている間、現実世界の体が何をされているのか分からない恐怖に、少しずつ、呼吸が荒くなる。
「落ち着け。焦っていたら、助かる命も助からねぇって、な? お前なら理解できるはずだ」
そういう父さんの声は、普段の落ち着きがなく震えていて、僕は呼吸を整えながら現状を打開する為に口を開く。
「僕はまだ、仮想世界にダイブしているままだ。だから、父さんの方で現在のダイブ元、つまり、誘拐された場所を特定することはできる?」
「既に実践済みだ。けど、InProのログを確認したら、接続に失敗したことになってる。多分お前、別の仮想世界にいるんじゃねぇか?」
この発言を受けて、バグによってInProのデータにレトログレスワールドのデータが上書きされた可能性がなくなる。
ログはInProに残ったままで、ダイブ元を特定するのは容易い、と思っていたのだが。
これは異世界説復活かな、と一瞬脳裏を過ぎるが、レトログレスワールドが仮想世界である可能性は大いにある為、強制ログアウト予定時刻前に現在のダイブ元を父さんに特定してもらわなければ、警察への情報提供や僕の捜索が困難になると思い、先程放棄した論理的思考を取り戻しながら現状を伝える。
「多分ね。今、時間が逆行する世界にいる」
「なんだそりゃ。異世界召喚でもしたのか?」
「……」
僕は父さんの不安を煽るような発言に腹を立てたのではなく、自分と同じ考えをしていたことに驚いて黙ったのだが、
「いや、冗談だっての。通信手段が機能してるんだから、仮想世界だってのは大方確定してんの理解してっから」
とのことで、余計な勘違いをさせてしまったようだ。
「まぁちょっくらその仮想世界を調べてみる。そっちもできる限り情報を集めてくれ」
「分かった」
論理的思考と同様に、スクランブル交差点やそれ以外の風景を眺め、少しずつ観察を取り戻していく。
強制ログアウト予定時刻まで、残り一時間を切った。
これといって大きな発見もないまま刻一刻と強制ログアウト予定時刻が迫り、僕は焦りを感じる。
誕生日、それも十歳という節目の日に僕は何をしているのだろう。
この言葉が脳裏をチラつき、やる気が削がれてしまいそうになるが、首を二回三回と横に振り、悪いイメージを無理にでも払拭する。
(今ここで、レトログレスワールドに関する情報を集めておかなければ)
と己を鼓舞し、観察を再開……出来なかった。
「大方調べがついたんだが、そっちはどうだ?」
ズッテーン、という効果音が似合いそうなお笑いのズッコケを派手にしようかと思ったが、時間と余裕が無い為、脳内再生に留まる。
「ごめん、父さんの連絡が来るまで観察してたんだけど、発見は無かった」
「そうか。まぁ、しゃあねぇさ。それじゃ、こっちの報告を先にするぞ。まず現在のダイブ元なんだが、都内ってとこまでは突き止めたんだが、何故か管理者権限を使って調べても、そこから先の情報が手に入らなかった。んで、俺は晴のいる仮想世界が俺の管理外にあるもんだと考えた」
「え? 父さん以外に仮想世界を管理している人がいるの?」
「晴の言いたい事は分かる。VRが世界規模の実用化をしてから、もう五年も経ってるけど、作られたほとんどの仮想世界は俺の管理下、つまり俺が設計・開発したシステムを用いている。けど例外があって、独自設計のシステムを用いて作られた仮想世界が該当する」
独自設計のシステム、と父さんは簡単に言ったが、レトログレスワールド程の仮想世界をゼロから作り上げてしまう人物を、僕は父さん以外に思いつかない。
「父さんはシステムの設計から仮想世界を作れる人を知ってるの?」
「あぁ、一人思い浮かぶぜ。VRについて教えてくれた先生に当たる人なんだが」
「先生!? VRは独学で学んだって話してなかったっけ?」
素っ頓狂な声を上げてしまい、耳を押さえる父さんの姿が思い浮かぶ。
父さん、すみません。
「……って、ありゃ? 晴には先生の事話してなかったのか。でも考えてみろ。三十路のハードゲーマーが、『既存のゲームやり尽くして飽きたから、知識ないけどゲームを作ろう!』ってなったとして、早くても2030年代後半には完成されるだろうと言われていた仮想世界。それを2025年に完成できると思うか?」
「言われてみれば確かに。でも、その先生が独自設計のシステムを今日までに完成させるのって、中々に難しいんじゃないの?」
「あぁ、それなら簡単だ。先生がシステムの設計を六割位完成したところで、『新しい研究を始めたい』って言って、続きを任されたんだ。で、残りの四割の設計には様々な選択肢があって、俺とは別の選択肢を先生が選んで設計すると考えりゃあ可能だと思う」
父さんの説明が一段落ついたところで、気になる問いを投げかける。
「そういえば、父さんの先生の名前をきいてないんだけど」
「まぁ、意図して言わなかったからな」
「……何で?」
裏切られた、と思った。
今、僕の頭の中には、あり得て欲しくない一つの仮説がある。
それは、名も知らぬ先生が首謀者で、父さんが共犯者である説。
咄嗟に手を組み、父さんからの返答を待つ。
「先生は晴も知ってる人だから、推測だけで嫌悪感を抱いて関係が拗れたら、後々面倒だからなぁ」
「……父さんは僕の身の安全が心配じゃないんだ」
「心配はしてるさ。してるんだが、晴が連れ去られた目的が誘拐じゃないんじゃないかと思ってて、それが態度に出てるんだと思う。時に晴、今日は何の日だ?」
「今日は2030年8月16日で、僕の誕生日……あっ」
ここまで言って、僕は事の発端は誕生日プレゼントとしてInProをプレイしようとした事であると思い出し、それと同時に、父さんがこの先言うであろう事がある程度予想がついた。
「そう。今日はお前の誕生日だから、先生がドッキリを仕掛けたんじゃないかと思ってな。先生の性格からしても有り得るだろうしな」
緊張がほどけ、全身から力が抜けていく。
(ドッキリにしては随分大掛かりだなぁ。けど、このくらいの規模で仕掛けるのは、とっても面白そうだなぁ)
強制ログアウト予定時刻までの時間がないのは相変わらずだが、僕の心にはほんの少しの余裕が出来たのであった。
「それで、これからどうする?」
心身共に本調子に戻ってきたので、やる事に迷った僕は父さんに尋ねる。
「そうは言っても、強制ログアウト予定時刻まで数分しかねぇじゃん。何もしなくても大丈夫だと思うんだが」
「でも、何かしらやっておかないと落ち着かないし」
「それもそうか。……っていうか、今更だけど、体に異常はないか? 例えば目が痛いとか」
「いや、特には」
「そうか、ならいいんだが。対象年齢前のフルダイブでも二時間までなら体に害は出ない。けど、個人差があるしな」
さて、と父さんは話題を切り替える。
「俺はこれから先生の所に行く。ドッキリにせよ、事件にせよ、今回の騒動におけるキーパーソンが先生である事に間違いはねぇからな。あぁ、安心しろ。もしこれがドッキリで先生が仕掛け人だった場合、先生に『二度とこういうことすんな!』って釘を刺しとくから」
「えっと、まぁ、うん」
父さんのノリに多少置いてけ堀にされ、僕はとりあえず相槌を打った。
昼食後に仮想世界にダイブしてからの出来事が事件である可能性と、ドッキリである可能性。
どちらも有り得てしまう訳だが、僕はドッキリだろう、と思い込み、安堵していた。
それ故、名も知らぬ父さんの先生に対して、こんなことを思っていた。
ご愁傷様です、と。
「それじゃ、ここいらで通信を切り上げるからな」
僕の目の前に『SOUND ONLY』と表示されたホログラムディスプレイ。
それにはマイクとスピーカーが内蔵されており、多少ノイズが気になる点を除けば、現実世界の電話と同様に、滞りなく音声会話が出来る。
そして、ホログラムディスプレイを用いて行われた長電話(少なくとも僕はそう感じた)は終わろうとしている。
父さんが話題を逸らした結果、解のない問いをそのままにして。
「ねぇ、本当に僕は強制ログアウトまでの数分間、何もしなくてもいいの?」
「それに関しては何かを成し遂げられる程の時間は無ぇから、何もしなくてもいいよというか、自由時間ですよというか。……そうだ! 父、矢空 珠雨より息子、矢空 晴に命ずる」
「何なりとお申し付け下さい、御父様」
「寝ろ」
「……はい?」
投げかけられた質問に対し、時折ふざけた回答をするのは、父さんの悪癖の一つだ。
普段は鼻で笑ってやれるのだが、こういう緊急事態にやられると非常に困る。
「あのぅ、ふざけないでもらえます?」
「え? いや、結構真面目に答えたぜ。先程の会話で晴の体に異常無し、という事実確認は出来たものの、自覚症状が無いだけかもしれねぇ。だから、何かしてぇのかもしれねぇが、横になって目を閉じて休んでろと、俺はそう言いてぇんだ」
TPOをわきまえた返答にちょっと驚き、しかしながらその言い分はごもっともである。
「父さんの言いたい事は理解出来たよ」
「そりゃ良かった。そんじゃ、お互いやる事も決まったし、今度こそ通信を切るけどいいか?」
「いいよ。健闘を祈ります」
「おうよ。そっちも頑張れ」
そうして、父さんとの音声会話は終了し、くどくなる程に見つめていたホログラムディスプレイも、一瞬にして消えてしまう。
「さて、っと」
父さんに寝るようにと言われた訳だが、現在僕がいる立体駐車場に布団やベッドは当然無いし、かといって、ここより寝心地の良い場所を探せる時間があったら一刻も早く寝た方が良いだろう。
つまり、この状況で寝るという事は。
「アスファルトの上でゴロ寝、かぁ」
レトログレスワールドで覚醒したときにスクランブル交差点の中央に寝転がっていたのは故意ではないので、自分から硬い地面の上で横になるのは人生初だった。
時間が残りわずかなんだから早く行動しなきゃ、とまで考えて、現在の時刻が気になってしまい、時間確認の後に寝る事にした。
それで、いざ時刻を確認するとダイブしてから二時間一分経っていて。
僕の体はなんともなくて。
そして、強制ログアウトしていなかった。
次回
Ver0.03「少年=矢空 晴は三人の少女を仲間にする」