《 4 》クラーケンはイカで頭足類で軟体動物
クラーケンとは、どこかの神話のモンスターだった気がする。
それはともかく、そのクラーケンの外観は、ただのイカだった。
烏賊。カラスの賊と書いてイカ。
その字にどんな意味があるかは知らないが、カラス並みの知能と賊のような小狡さ。要は、イカは海の世界のハグレモノだ。
そのイカが、この通路をふさぐほどの大きさを誇っていることが容易にわかる。
通路の縦幅横幅は、それぞれ十メートル、六メートルといったところ。それを、胴体のみでふさぐ。どこかのパイプにはまったイカのごとく、すっぽりと通路にはまっていた。
その大きさは桁外れだった。
こちらに足を向けながらこちらに迫ってくる様子は、まるで触手の生えた壁が迫ってきているかのようで、それは人間の生存本能に何かの警告を訴えるのには十分だった。
三人とも一斉に逃げ出した。
が、その方向は来た方向であり、マッピング済みの地図を見る限り、途中で水流に逆らわなければいけなくなる。
クラーケンの泳ぐ速度はそれほどでもないことに気づいてからは、少し心に余裕ができたが、それでも泳ぎながら話すことができるという程度のものだった。
「このままだと詰んじゃうよ~!どうすればいいの~?」
「あら、私たちはクラーケンを倒すためにここまで来たのではなかったかしら。」
「そうだけど~!あたし通路で戦ったら勝てないと思うよ!」
「それもそうね。私としても部屋の中で、立体機動がある前提で作戦を練っていたわ。」
「あの足をかいくぐって攻撃なんてできないもんね~!どうしよ~!」
イカには、歯舌という鑢のような器官がある。文字通り細かい歯が並んだような舌で、それを用いて獲物を削って消化しやすくする。
口なのか何なのかわからないような口に入れられて、鑢で削られて食べられるという最期は、溺死よりはるかにみっともない。そう思った。
「じゃあ、私がそのイカのいた部屋に案内する。」
「え!?」
「ん!?」
叶もメアリーも目を大きく見開いた。アニメでよく見た顔だ。こんなにわかりやすく驚かなくてもいいのに。
それよりも、泳がないと追いつかれるから。
単純な話。クラーケンはイカだ。イカは基本的に泳いで過ごす。タコのように一か所にとどまることはあまりないという。まあ、水族館で読んだ程度の知識でしかないが。
仮にそうだとしたら、今のようにクラーケンは常に移動しながら生きているのかもしれない。
等間隔ではあるが明らかに今までよりも多く明るい光る岩がある。これは叶の言ったとおりだ。さらに、神殿の一室であることにも変わりはない。
上の大広間よりもはるかに広い一室というだけで。
「それってどこにあるの?」
「この迷路自体がその部屋」
「「……………」」
微妙な顔をされた。さっきまでの顔と違いすぎてちょっと面白い。
「それで、どうすればいいの~?」
振り出しに戻った。
当たり前だ。私の発言が特に進展をもたらすものでもなかったからだ。
クラーケンから逃げるように泳いでいた私たちだったが、一向にアイデアは出てこない。
そのまま、逆方向に水流の流れている通路にたどり着いてしまったのだった。
「こうなったら、決死の覚悟で泳ぐしかないかなぁ?あたし、行くよ!」
叶が頑張って泳ぎ始めた。
水流に逆らって泳ぐ。
地上で言うなら、風圧に逆らって歩く。
ただ、抵抗が段違いだ。水は空気よりも粘度が高いのだ。当然、頑張って泳いでもなかなか進まない。
クラーケンはすぐそこまで迫っていた。
絶体絶命だろうか。
が、私はここで現状を打破する方法を見つけてしまった。
やっとイカに食われて死ぬという最期に対する覚悟ができたところだったのに、見つけてしまった。
せっかく死のうと思ったのに、生きる術を見つけてしまった。
興がそがれた。
よくネタにされている、『お母さんに宿題をやれと言われたから宿題をやる気がなくなった』現象のような感じになった。
水を差されたともいう。
ちなみに私は宿題に関してそのように思ったことはない。宿題は学習の成果を定着させるためにはよくできているのだ。それを一時の気分でやらないなどということは学力においては大いなる損失である。
まあ、お母さんがいないというのもあるが。
とにかく、私は死のうと決心したところで死なない方法を見つけてしまったので、私は彼女たちに生き延びる術を提供することにした。
「こっちに来て、二人とも」
「どうしたのかしら?」
「はあっ、はあっ、どうしたの?」
息切れぎみの叶となぜか表情がほとんど変わらないメアリーを背後に、私は水流の終了地点の左右にある光る岩のうちの片方を両手で持ち、手前に引っ張った。すると簡単にそれは外れた。
「わあっ」
「素晴らしいわ、静」
たからくりは簡単だ。水流が通路の途中で急に激しくなって、急に終わるなんてことがあり得るだろうか、ということである。
川の水流は狭くなると速くなったりするが、そういう話ではない。流れのないところと流れのないところの間に流れができるということが不自然だと感じたのだ。
もちろん、人魚がいるようなファンタジー世界だからありうるんだろうなと勝手なことを考えていたのだが、今回はそれはわざわざ壁にある光る岩の形をうまく使って水流を生み出していたのだ。
この岩の裏にある通路は狭い。
クラーケンの足ならば入るが、胴体までは入らないはずだ。
この通路はおそらく水流を起こしている原因とつながっているはずで、そこまでいけば安全地帯だろうという憶測の下での判断だ。
もちろん、探索の素人である私がそんなことをいうのはおかしいのかもしれないが、この状況で生存率を上げるにはこうするほかなかったであろう。あのまま正面からクラーケンと戦って勝つよりも態勢を整えることのほうが重要だと思ったのだ。
ということで、私たちは予想通りの水流発生地点までたどり着いたのだが、一つ誤算があるとすれば、このことであろう。
「ねえ、あたしたち、このままじゃずっと流れっぱなしだよ~!」
つまり、大きな横倒しの水車のようなものが流れを作っていたのだが、それに合わせて動き続ける水流。
洗濯機状態。流れっぱなし。
私たちは水車と一緒に流されながら作戦会議を再開したのであった。
現実とは、無情なものである。救いがないと言い換えてもいい。
何が言いたいかというと、私たちは非常に間抜けな理由でイカ改めクラーケンと対峙することとなる。
発端は、叶のこの言葉からだった。
「とりあえずあたしたちからも攻撃してみようよ!」
まったく解決策が見当たらず、鳴き声もしないクラーケンでも足をこちらに差し込んできていることを把握していた私たちは、叶のこの言葉にやがて賛成したのだ。
流れ着くままに何となく私が先鋒に立ち、水流が追い風になる方向の出口で、クラーケンの足でふさがっている出口に突入した。通路から見れば、水流の出発点。
足を抜かれても全力で水流に逆走すればもとに戻れると踏んだからである。
おそらくそこを塞いでいれば水流は通路のほうにはいかなくなる。するとクラーケンの方も体力を無駄にすることなく私たちのことを待ち伏せすることができるのだろう。
「とりあえず銛で突き刺してみて、どれくらい通用するかを試してみるのね。悪くないと思うわ。」
「私がやります」
というわけで、水流に押し込まれてお互いに絡み合いぐちゃぐちゃになりながらも私はイカに銛を突き刺した。
これがいけなかった。
銛には返しがついている。
返しとは、突き刺す方向にはよく動くにもかかわらず、一度指したら抜けにくくなるためのものだ。これのおかげで、漁師は一度深く差した魚は逃がすことがない。肉は柔らかいので、刺されてもある程度もとに戻る。すると、外側についている小さな針が引っかかるのだ。Mを上にさしてから下に引っ張る様子を思い浮かべてくれればわかりやすい。
単純に言えば、私は銛ごとクラーケンの足に引っ張られて、元の通路に戻ってきてしまったのだ。
こんな簡単なことに気づかないとは、私たちは迂闊だったと思う。
そして、栓が外れた上に私が引っ張り出されてしまったことで、彼女たちも一緒に出てきてしまったというわけだ。
私一人で戦闘させないということだろうか。
全く、いらぬおせっかいだと思うのだが。
こうなると開戦せざるを得ない。
作戦会議の時間はとったもののあまり有効な手立てが思いついていないこの状況下、クラーケンと戦うのは絶望的と行ってもいいだろう。
そのうえ、私たちは水流の上にいる。
クラーケンと正面から対峙しようとするならば、尾びれの方向からして水流に流されイカの餌食になるしかない。
クラーケンに背を向けるのならば、すぐにその足で捕まることは想像に難くない。
つまり、八方塞がりだった。
そこで私がとった行動は、諦めることだった。
水流に身をゆだねることだった。
前々から考えていた通りに、死ぬのならば死ぬでいいと思った。
食われることについても先ほど覚悟ができた。
ならば、別に足掻く必要性はないだろうと感じた。
だから、私は死ぬことにした。
通路に逃げ込む前と何ら変わりはない。少し時間稼ぎができただけだ。
それはつまり、最初から死ぬだけだったということだ。
無関係のメアリーと叶が死ぬことは彼女たちにとって良くないことなのはわかるが、私には知ったことではない。
これは事故だ。仕方がないのだ。
すでにイカの足に砕かれて、私の体は、腕は、ボロボロだ。
ここまで来たら、私がもし銛を取り返せたとして、もし銛での攻撃が通ったとして、何ができるだろうか。
痛い。
痛いけれど。
すでに、もう死んだのだ。苦しい思いをしてまで死んだのだ。
そしてもう一度死ぬだけだ。
苦しいけれど、思い返してみればあっけない。死とは所詮そんなものだ。
これだけ痛いのだから、死なないと報われない。
痛いのに、痛いだけで終わるのは嫌だ。
死にたい。
死にたい。
だから、早く私を食べてくれ。なあ、クラーケン。
そもそも私が生きていることからしておかしかったのだ。
怒りの感情だけ奪われた人間は人間らしい生活を送れるのは当たり前だ。
子供ならまだしも、大人は感情を持ってもそれをもとに行動することはめったにない。
ある意味では理性の賜物かもしれない。
私にとって理性とは本能と対極に位置するものなので、そういう意味ではあまり正しい表現ではないように思える。
より正しい表現をするならば、それは抑制・抑圧の類だ。
感情を持とうが持つまいが変わらない行動をすることを求められるのだ。
大人とはそういうものだ。
だが、それでも限度はある。
私は機械としては、ロボットとしては、優秀な人物だと思う。
感情を一切排除して考えれば、いつでも変わらない生産力を持つという意味で人材として重宝されると思う。
しかし、だったら、生きていても死んでいても同じではないかと思ってしまうのだ。
怒りを抑える人間は多い。なぜなら、怒りとは激情。理性を失いやすい、つまりは普段かけている抑制を開放してしまいやすい、そんな感情であるからだ。
理性を失えば失敗を引き起こす。
これは人間だれしもすぐに導き出せる経験則だ。
だから、抑圧されやすい感情であるのだ。
しかし、喜び、楽しさといった感情はどうだろうか。これを抑圧している人間は、ほとんどいないと思う。
いくら無表情・無感動の人間でも、楽しいことや嬉しいことは多いほうがいいだろう。
当たり前だ。そのほうが気持ちがいいのだから。
その気持ちさえすべて抑圧している人間は、果たして生きているというのが正しいのだろうか。
死んでいてもいいのではないか。
死んだら働けないから、価値がなくなるといった話ではない。私はすでに生きてはいないのではないかといった話だ。
周りの人間は、私を生きている人間として扱う。
当たり前だ。生物学的には生きている人間以外の何物でもないのだから。
しかし、それでは私は生きている人間として不足している、不完全な人間だ。
だから、私のことを死んでいる人間として、生きていない無機物として、扱ってくれたら、どれだけ楽だろうか。
感情を排除すれば徹底的に効率的になれる。現に私は歌もボーリングも、機械的にうまいと思っている。ボーリングは同じ体の動きをしていれば必ずストライクが取れるものだ。練習をすれば、時間をかければ、同じ体の動きをすることなんて難しくない。
ただ、この練習が常人のするようなものではないことを私は気づいている。
それは、偏に感情がないがゆえに何をしていても大きな差はないからだ。
私は叶の『三回連続でストライクを取ったらターキー奢ってあげるよ!ターキーっていうのはね、七面鳥を丸々ローストしたものなんだよ!』という言葉を信じて七面鳥を食べるために練習した。その結果『確かに満点ならストライク十二回だからターキー四つになるよね……』と無表情で私の目を見ることなく呟いたのが印象的だったが。
それはともかく、私は機械的であればあるほどその生産力を活かせると思っている。
実際、私は時給制のアルバイトではなく出来高制のものを選ぶようにしている。単純にそのほうが稼ぎがいいからだ。時間対賃金がいいからだ。公的扶助とか関係なしにガッポガッポ稼いでいる。
私が生きている人間として扱われている間は、私は労働基準法などに縛られてうまく働ききれない。私はきちんと体力を把握しているので、倒れるぎりぎりを攻めることなど容易なのだ。むしろ、使いつぶすくらいの扱いをしてもらわないと、時間に対する効率が悪くなる。
通常の人間であればこれに苦痛を感じるのだろうと思う。私も、ひたすら拷問にかけられて痛い思いをするのは嫌だ。
だが、私はいつだって退屈だ。
いや、この表現は正しくない。退屈を知らないし、退屈でないことも知らないのだ。正確には知ってはいるが理解できないのだ。
だから、何も感じないし、働かされることに関してはむしろ食の質が上がる分メリットの方が大きいほどだ。
だいぶ脱線しながらになったが、結論は“私が生きている必要はない”ということだ。
社会に歯車には生きている状態では入れないということだ。
死んだ私でなければ、生きていない私でなければいけない。いや、そうあるべきだ。
肉体的には必要とされても、精神的には必要とされない。
むしろ、精神的には死んでいる方がいい。
私は精神的に死んでいるのなら肉体はどちらでもいいと思っている。
生きた痕跡とかも興味ない。
だから、生きていることに意味などない。
だから、私は、生きている必要はないのだ。
必要、ないのに。
「叶!!!」
あろうことか私の親友は、私の身と引き換えにその身をその怪物のそばに投げ出した。
そして、突き刺さったままになっていた私の銛をつかみながら、こう叫んだ。
「静ちゃんには、生きていてほしいの!!!」
なぜ。
なぜ。
私には叶の考えることがわからない。
わからない。
わからないが、わからないなりに、私だって考える。
私にも最低限人間らしさというものが残っているとすれば、それは。
人を信じるという気持ち、だろうか。
私は、叶を信じている。
信じているからこそ、私は叶の言うことを聞く。
ただの思い出補正だけで、これだけの、全幅の信頼を預けられるものか。
叶のことを常に気にして、叶のことを考えて、叶のいうことだから実行して。
これはみんな、叶を信じる気持ちがなければできやしない。
叶のことを知らなければ、やろうとも思わない。
私は叶のことを親友だと思っている。
それは、感情を失う前も後も変わらない。
十年たった今も変わらない。
これだけは、いくら感情を奪われようが、精神として死のうが、私が私である限り殺すことのない私だけの気持ちだ。
そして、信頼とは感情ではない。
ただの経験則だ。
しかし、そのただの経験則こそが、私の唯一の奴らへの抗いでもある。
私の、人間としてのプライド。
人間としての、気持ち。
「わかった」
私は、生きることを諦めない。
クラーケンの攻撃は、実はあまり威力が高いわけではない。水中なので素早く足を動かせるわけでもなく、壁もツルツルなので摩擦で強いダメージを与えることもできない。だから、一番怖いのはあの口と、足での圧迫だろうか。
圧迫骨折はシャレにならない。ただの骨折と違い強く強く圧迫されれば、本来あるべき状態から離れて、骨の位置がどんどんと強く押し込まれることになる。
私はさらにあの吸盤のついた足によって圧迫された。
叶のおかげで今は足から解放されているものの、私の上半身はもう粉々だった。
生きることを諦めないと決意したからと言って、状況がすぐに好転するわけもなく、泳ぐための尾びれは無事でよかったと思いながらも腕がまともに動かない状態である。
しかも、痛い。痛い思いをしてまで感情を取り戻す必要性が分からない。
でも、私は、生きることを諦めないと、叶の信頼に答えたいと思ったのだ。
痛くても、それくらいは我慢する。
それが、私の、叶に対する気持ちだ。
叶は思いもよらぬ強さを発揮していた。
私の持っていた銛と自分の銛の二つを二刀流にして、足の猛攻をうまく切り抜けている。
私は、私にできることを考えなければならない。
生きるために。
私の強みは、継続をすることが苦痛ではないこと。退屈を知らない私にしかできない、人間離れした鍛錬。
そして私はその鍛錬を通じてたくさんの能力を手に入れてきた。思えば、その鍛錬もほとんどが食事につられてだったが、そんなことは今どうでもいい。
私にできること、それは現状を切り抜ける案を探すことだ。
叶は戦っている。
私は彼女の体力が続くように適度に挑発しながら、考えに考えることにする。
「私を忘れてもらっても困るのだけれど?」
メアリー。
彼女の実力は努力と時間に裏付けられた本物だ。
日ごろから銛を用いて魚を刺し、効率的でスマートな身のこなしを身に着けた、正真正銘の人魚だ。
付け焼刃の叶でさばけるイカの足の対処を彼女ができないはずもなく、八本あるイカの足のうち六本を相手取り始めた。
ん?八本?
ここで初めて私は重大な事実に気が付いた。
イカの足は基本的に十本だ。例外はたくさんいるし、八本足のイカもいるのだが、それでも、こういう神話生物は代表的な、いわば生物のイメージをモチーフにしていることが多いはずだ。つまりこれは。
イカとタコのハイブリッドだ。
クラーケンはイカの姿で描かれることが多いが、タコがモチーフになることもある。つまりはそういうことだろう。
こいつは、軟体動物のスペシャリストだ。いや違うか。専門家じゃない。
こいつは、軟体動物のマジョリティだ。いや違うか。むしろマイノリティか。
こいつは、軟体動物のマルチメディアだ。何を言っているんだろうか私は。
おかしなことを考え始めてしまった。私としたことが。
そうか、より狭義に言えば、イカとタコは頭足類だ。
頭足類といえば、イカとタコとオウムガイ。オウムガイ要素もあるのでは?いや、クラーケンだからさすがにそんなことはないか。
イカもタコも頭がいい。海洋生物ではイルカやシャチなどの次に頭がいいといわれている。脊椎動物ですらないのに、独自の進化を遂げ知能を獲得した、いわば海の賢者である。
頭脳の発達の理由として、眼がいいということが挙げられている。不思議なことに、脊椎動物とは別の過程で進化したにも関わらず、我々と似たような眼を持つ。
しかし、この頭脳や眼は敵に回すととても厄介だ。
攻撃方法が単調であれば私も御しやすかったのだろうが、たらればを言っても仕方がない。
これ以上の知識は私にはない。残念ながら。
そもそも、攻撃手段が銛三本では足りなすぎるのだ。
タコは自切をすることでも有名だ。つまり、足をいくら攻撃したところで一つ攻撃手段を失うくらいで、私たちが腕を落とされたら大打撃であることを換算してもあまり利点はないと思う。
つまり、狙うなら胴体だ。
ああ、だから私たちは撤退して立て直したのだった。つまりは最初から作戦は変わっていないのだ。
私は覚悟を決めた。
「二人、足の足止めを頼む。」
「おっけー!なんとかするよ!」
「………」
メアリーは声を発する暇もこちらを向く暇もないようだ。しかし、耳に届いていなくてもそれは構わない。二人が現状維持をしてくれればいいのだから。
私は、叶と、ついでにメアリーのことを信じているのだ。
何があっても『足の足止め、ぷぷっ』とか思ってはいけない。
私は足をかいくぐり、胴体近くまでたどり着く。
口が目前に見えて怖いが、それでも口は円形だ。私が通路の隅を泳げば通過できる。
もちろん、二人が戦ってくれていなければ、通過する暇もなく私はクラーケンの足に掴まり食べられていたのだろうが、私には信頼に値する仲間がいる。
私は、生きるために、その胴体に銛を………突き刺そうとして、それは現在叶が持っていることに気が付いた。
私は武器を持っていなかった。
このままでは水流に流されてしまう。そう思った私は仕方なく流れから逃れるために近くの出っ張りに掴まった。
それは例の青紫色に光る岩だった。
そしてクラーケンの方向を見ると、そこには巨大な眼があった。
本当に巨大だ。
黒くて、ここまで大きいと不気味でもある。
創作物におけるブラックホールのような、吸い込まれそうな漆黒である。
その瞳には何を映しているのだろうか。
クラーケンは光る岩にしがみついている私を見て、二刀流で頑張っている叶を見て、驚くほどの銛さばきを見せているメアリーを見て、何を考えているのだろうか。
どんな感情を持っているのだろうか。
イカが感情を持つかどうかは知らないが、タコが好奇心を持つということは知っている。
ならば、様々な表情を見せる私たち人間(人魚)を見て、クラーケンはどんなことを考えるのだろうか。
(悦楽)
私は、何かの予感がしてその不気味な物体にしがみついた。
クラーケンの眼にしがみついた。
その瞬間、私は……………。
私は――
「あはははははは!」
私は笑っていた。
十年ぶりに笑っていた。
思い出した。いや、取り戻したというべきか?
楽しい。
今、楽しい。
楽しすぎる。
狂ってしまいそうなほどの気持ちのいい感情に、私は笑いが収まらなかった。
鰓呼吸なので大丈夫だが、もし地上だったら息ができないほどに笑っていた。
なんとか膜(瞬膜)のせいで涙は出ないが、もし地上だったら泣くほどに笑っていた。
何せ、私たちは冒険しているのだ。
これを楽しいと思わずにはいられるか。
人魚と出会い、海底都市を発見し、海底神殿の地下に入り、迷路や謎を解く。そして現在はボス戦だ。
楽しくないわけがない。
こんなに素晴らしい感情を失っていた私は、本当にもったいないことをした。
リアルタイムで冒険している時間が、未知が眼前に広がっている光景が、楽しくないわけがないというのに。
なぜ、あの二人は楽しそうな顔をしていなかったのだろう。
こんなに楽しいボス戦なのに、まるで苦痛を感じているかのように戦っている。
そんなのはもったいない。
私の笑い声は聞こえないのだろうか。聞こえていないのだろうか。
まあ、目の前に集中したい気持ちもわかる。それでは私も放っておくことにしよう。私だって目の前におやつがあるのに取り上げられるのは嫌だ。
笑いが収まってくると、私は気づいてしまった。
このクラーケンの眼だ。
この眼は、ただの眼ではない。
私が触れた瞬間に、楽しいという感情が流れ込んできた。つまりは、これはそういった感情が閉じ込められている何かなのだろう。
楽しい感情が奪われた人間は私以外にはいない。
これは政府の公式発表とかではなく、きちんと然るべき調査機関にお金を払って開示してもらった裏付けのあるものだ。
つまり、この眼には私の楽しみだけが入っていると考えてもいいだろう。
私は、もう片方の眼にも触れた。すると、さらに暖かい何かが私の中に流れ込んできた。それと同時に、クラーケンは急にその動きを止めた。
まるで、一瞬で絶命したかのように。
クラーケンと一緒に水流に流されながら、私は思う。
――もうちょっと戦いたかったなぁ。
でも、すでに体は限界だった。
腕も、おそらく肋骨も、バキバキに折れているだろう。
叶とメアリーがこちらに泳ぎ寄ってくる(駆け寄ってくるの泳ぐ版?)のを見ながら、私は意識を手放した。
目を覚ますと、そこはメアリーの家だった。
もう一週間寝起きした部屋で、親しみが湧いている。
ベッドから起き上がる(浮き上がる)と、胸が痛んだ。予想通り肋骨が折れているようだ。腕はあまり痛まないが動かないので、やはり折れているのだろう。
骨折などしたことない。
ましてやこんな痛みは初めてで、苦しい。
でも、楽しかった。
楽しかった、から。
自然と笑みがこぼれる。
「おはよう、静ちゃん!」
叶がそこにはいた。私の、信頼できる人。無条件に信頼を寄せる人。
そして、私を生かしてくれた人。
命の恩人。
心が暖かい。
「おはよう」
メアリーも。
「おはよう、叶、メアリー」
にっこりと笑って答えた。
私は、楽しいという感情を取り戻した。