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Lost Emotion  作者: 瑠璃里瑞樹
【 1 】楽
5/7

《 3 》ウニと迷路と叶の涙

 私は感情をなくしている。感情がないということは、つまりは無感動であるということで、心が強く閉ざされているということだ。

 それでも、完全に心を失っているわけではない。今の段階ではコンピュータと人間の区別は容易だ。それはつまり、人間とコンピュータには心の有無という違いが明確に表れているからである。

 もちろん、ほかの違いもあるのだが、心という観点でこの話をすると、やはり私はコンピュータと人間の中間というべき中途半端な存在なのであろう。

 もちろん、自分としては、人間の方にはるかに近いとは思っている。これは心が完全になくなっていないという私の最後の砦なのである。

 人間らしさ。

 それは考える力だ。理性ともいう。

 私はまだ理性を十分に発揮している。

 人よりも根源的に食欲に忠実であるだけで、まだ人間の相を呈していると思っている。

 他人に言われたことには基本的に忠実に従う。これだけで人間は、世の中はうまく渡っていける。これは経験則とかに近いもので、根源的には母親の言いつけを守る子供みたいなものだ。

 そして、赤ちゃんは一切その言葉を理解しないがために人間ではあるものの人間臭さといったものが欠乏して感じられるのだ。

 その観点からすると、私は三歳児と何ら変わりはない。

 ただ、スペックが高いだけの三歳児。

 感情が育つのが遅かった三歳児にも、感情の面では劣る(むしろ勝るというべきかもしれないが)。

 一方で、私は人生の半分近くは感情を持つ人間として過ごしてきた。

 だからこそ、人間らしさを把握しており、人間らしく振舞うのがうまい。

 つまり、人間を模倣しているともいえる。

 人間を模倣している存在が人間であるかと聞かれたら、答えは否だろう。

 私は人間をまねしたくても人間になり切れない、中途半端な、曖昧模糊(あいまいもこ)な、ふわふわした存在なのだ。

 人間でも、コンピュータでも、赤ちゃんでも、猿でもない。

 私はすべてにおいてあやふやな存在なのだ。

 だからこそ、私は異端だし、有能だし、そして恐怖の象徴になりうるのだ。

『できる』ものも『できない』ものも異端である。

 常軌を逸している私は異端である。


 だけど、だから、だからこそ、私は、(かなえ)の考えが全く分からない。


 どれだけ考えても、私は叶が何を考えているのかがさっぱりわからない。

 そもそも何を考えているのかを把握せねばならないと思ったのは彼女だけであるというのも、私が人間の心をうまく解さないことも原因ではあるのだろうけれど、それでも、私は叶がわからない。

 でも、心のどこかで、彼女のいうことについては優先順位を上げたいと思っている私がいる。でもこれは、間接的には食欲のためになっているのであって、私がおかしな感情を持ち始めているというわけでもないのだろうけれど、私は彼女を()()()しているのも事実だ。

 これは、犬が飼い主を把握して『おすわり』を覚えたような状態なのだろうか。

 こうしないと餌をくれないから。

 こうしておけば餌をくれるから。

 彼女の言うことに従っていれば餌を手に入れられるから。

 だから、私は彼女のいうことを聞く。

 私は、叶の従順な犬である。


 メアリーはどうなのだろう。私たちは一週間寝食を共にした。おはようからおやすみまでを共にした。

 家族の何倍も濃密に一緒にいた。

 だからこそ、私は不思議だった。彼女は彼女で不思議なのだ。

 私と彼女のつながりはあまりないが、叶とメアリーの距離感の話。

 私から見れば、彼女たちは古い知り合いなんかではない。何なら私より二日くらい早く会ったというだけのように見える。

 いや、友達に見えるのは叶だけだ。

 メアリーは初めから距離感が変わっていない。

 私もたいがいではあるものの、一週間も一緒にいれば多少は距離感が変わるものだが、私にはメアリーのもつ距離感は一定で変わらなすぎると見える。

 彼女ももしかしたら、何かしらの事情を持っているのかもしれない。

 その事情とは、直接的に言えば、何らかの感情を失っているのかもしれないということだ。

 私のように生きる気力を失っているわけではなさそうではあるのだが、それでも、よく見る人間とは違う何かがあるように私には見える。

 何の感情が欠如したらこのようになるのかは、私の感情に対する理解の低さもあってか全く予想がつかない。私でもそのように思うということは、感情のある人間たちにとっては明瞭なことなのかもしれないが。それでも。

 他人にとっても感情が欠如しているというのはちぐはぐな印象を持つものなのだと私は大いに納得した。


 海底神殿は本当に神殿だった。

 ゲームで出てくるような巨大なダンジョンではなく、神を祀っている神殿だ。

 パルテノン神殿にそっくりだった。

 神殿内部は一部屋しかなく、一室というべき場所も、クラーケンらしき怪物がいる予兆も全く見当たらない。本当にこれが噂の海底神殿なのだろうか。いや、海底神殿であることは確実なのだが。

 私たちは海底神殿の内部、大広間や礼拝堂(それは教会?)といった場所に腰を下ろすと、食事にすることにした。


「ついた~!」

「では休憩にしましょうね。ここから先はいつ何が起きてもおかしくないから気を付けましょうね。」

「りょうか~い!じゃあじゃあ、あたしウニ食べていい~?」

「私がいただくのよ。」

「ず~る~い~!あたしが捕まえたウニなのに~!」

「あら、それではじゃんけんにしましょうか。(しずか)さんはどう?」

「ん」

「じゃあ三人で。じゃんけ~ん」

「「「ぽん」」」


 結局私が勝ってしまった。

 まあウニも大好きだからいいのだが。

 それでもなんだか、私が勝っていいのだろうか、私がもらってもいいのだろうか、なんていう考えが脳みそを埋め尽くしてしまう。

 所詮私は紛い物なのだ。


 神殿の中に居座って、食事をとる三人。

 今更かもしれないがものすごく緊張感に欠けている。この場所は危険ではないのだろうか。

 今の光景は、人魚のピクニックにほかならない。


 食事を終えると、叶がこんなことを言い出した。


「それじゃ、あたしはこれから開けゴマするから、そしたらみんなで地下に突入するよ!」

「あら、これからは洞窟探検なのね。面白そうだわ。」

「いいや、ここは地下も神殿になってるんだよ~!クラーケンがいるところは、なんか光る岩がたくさんある明るい部屋みたいだよ!」

「それじゃあ、私たちは神殿地下をうろついてその部屋を探せばいいのね。」

「そゆこと!」

「罠とかクラーケン以外の危険生物はいるのかしら?」

「基本的には迷路だって聞いているけどね~。多分罠はあると思うよ!」

「わかったわ。罠については私に任せて。戦闘も基本的には私がやるわ。あなたたちはマッピングと後ろの警戒をお願いするわ。」


 つまり、神殿内のどこかによく光る部屋があり、それを見つけたら要注意ってわけだ。

 これから警戒状態がずっと続くようだ。私たちは所詮付け焼き刃の実力でしかないので、基本的にはメアリーに任せることにはなってしまいそうだ。


 この行程は、本当に三人でくる必要があったのだろうか。

 私の感情を取り戻すためにこれをしているから私が行くのは理解ができるが、叶に関しては完全に部外者である。ついてくる必要はなかったのではないだろうか。むしろ、ついてこないほうが命の危険が少ないので良かったのではないだろうか。

 それを言い出したら、メアリーの方が完全に部外者である。友達である叶のお願いを聞いたというにしても見ず知らずの私に協力する理由が思い当たらない。私が一人で戦いに行って死ぬ、あわよくば生き延びて感情を取り戻すのがみんなにとってベストな選択ではなかっただろうか。

 まあ、叶がいうことだから何か考えがあるのかもしれない。私は叶の指示に従っていることにする。


 叶が礼拝堂の端のあたりの床のタイルに銛を差し込み始めた。それからがんがんと石を打ち付ける。

 それは何らかの破壊行為にほかならなかった。

 今更だけどこの神殿には歴史的価値はないのだろうか。もしかしたら、賠償金を請求されて私に奢るお金を失ってしまうかもしれない。

 それは困る。


「何しているのかしら。」

「ん~?あたしが開けゴマするって言ったじゃん。」

「こんな方法で開けるというの?」

「そうだよ!」

「そうなのね。」

「ほかに方法ないの」

「静ちゃん、それはね…………ないんだぜ!」


 叶はキメ顔でそういった。

 仕方がないので破壊を手伝い、神殿地下に侵入することに成功した。


 神殿内は等間隔で例の光る岩が設置されていて、視界がとてもきれいな、侵入者にやさしい作りだった。

 私は事前にマッピング担当と決まっていたので、石板とナイフを片手に泳いでいる。

 交差点に入るたびにその石板を更新した。光る岩が等間隔なおかげで、その個数を数えるだけで正確な距離を測ることができる。迷路も、マッピングが完璧ならばそれほど大変にはならない。


 ゴゴゴゴゴゴゴ――


 いかにも何か起きてますというような音とともに、強烈な海流が私たちを襲う。

 海流、いや、水流といったほうがいいのだろうか。

 どんなに強くても、ゲームと違い水流に逆らって泳ぐことはできる。できるのだが、その分猛烈に消費するのだ。体力はできる限りクラーケン戦本番に取っておきたい。だから、これは私たちの総意として、光る岩の数を数えられる程度にしか逆らわないことにした。

 罠。叶がどのような罠を想定していたのかはわからないし、地上の罠(例えば落とし穴とか弓とか)は水中では機能しなかったりするのだが、これは明らかに罠である。

 なぜなら、水流の行き着く先には、致死性の毒をもつ魚が泳いでいたからだ。

 毒をもつので食べることができない。メアリーの知識がなければ、食べて死んでいたかもしれない。

 私は死んでもいいのだが叶が死んでいたかもしれない。


 流されたり食事をしたり毒の魚を避けたりしながらマッピングを続けていたら、一周して戻ってきてしまった。

 一度一周してしまってからは今度は丁寧に、しらみつぶしにしながらマッピングをしたのだが、壁伝いに泳ぎ続けても戻ってくるという事態が発覚した。

 つまり、すべてのマッピングを終了してしまったということだ。

 それらしき部屋がない。

 そもそもここは入り口をこじ開けた迷路なのだ。出口がないのも道理である。

 この遺跡の迷路は、ただのカモフラージュなのかもしれない。


 すべての通路が似たような光景をしているというのは、それはそれは不気味だ。いつまでたっても変わらない、まるで永遠に続く廊下のような不気味さがある。

 現在地がわからないというのは、それほどまでに心細いものなのだ。


 と、叶が今熱弁している。


「…………それでね、結局、迷路っていうのは、あたしの、というか侵入者の心を折るためにあるんだと思うの!だって、だって、あたしいつまでも同じ場所にいて閉じ込められるっていうのは本当に嫌いで、小さいころからあたし閉店時間が怖かったし!でも迷路はね、閉じ込められてないのに出られない怖さがあるの!袋小路に追い込まれているような、誰かの掌の上で踊っているような、なんていうか、狭いところとは違う怖さなの!暗いところとは違う怖さなの!だから、だから、だから、だから、…………ねえ静!抱きしめていい?」


 これまでの長い前振りの目的は私に抱きしめる許可を貰うことだったらしい。別にそんなに遠回しに言わなくても、基本的に私は断らないって知っているはずなのに。

 私はこくりとうなずく。

 文字通り地に足がついていないので、叶は私の胸のあたりに叶の顔が来るようにして抱きしめてきた。ちらっとメアリーの方を見てみると、唇が痒いのかむずむずと動かしていた。


 叶が泣いている。

 水中でも目が見えるように保護する役割を担う、なんとか膜(後で調べたら瞬膜というらしい)のせいで涙は出てこないし、鼻をすすってるわけでもないのだが、それでも彼女が泣いているということが私にはわかる。

 この涙に伴う感情は何なのだろうか。

 悲しみや怒りではないと思う。

 しかし、嬉しさや楽しさといった感情とも違うように感じる。

 私には想像もつかないような未知の複雑な感情があるのだろうか。

 涙が出るときは、玉ねぎの硫化アリルでもない限りは強い感情とともに涙を催す。少なくとも私はそう解釈している。

 それが正しいとすると、彼女は今どんな強い感情を持っているのだろうか。

 映画やアニメでは抱きしめられたら抱きしめ返すものだった。だから、私は彼女の頭の部分を両腕で抱きしめた。

 それでも、何か強い感情が催されることはない。当然泣きそうになることもない。抱きしめられるだけで催される感情とは何だろう。

 わからない。

 涙が出るほどの感情なのに、わからない。


「じゃあ行こうか!」

「え、どこに行くのかしら?」

「そんなの、クラーケンの居室に決まってるでしょ!」


 涙声でそう叫ぶ叶。

 一方でメアリーもなんだか声に棘がある。

 声に棘があるのもまた感情による現象だ。怒りのパターンが多いらしい。

 なぜこうもこの人たちは感情を振り回されているのだろうか。

 こんな状態では、奇襲を受けたときにうまく対処できないのではないか。


 こんな風に。


 ドゴォォォォ――


 ――クラーケンのお出ましだった。

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