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Lost Emotion  作者: 瑠璃里瑞樹
【 1 】楽
2/7

《 1 》授業サボって沖縄

 いつも思うことだけど、感情は巨大なエネルギーになると思う。

 これは様々な漫画などでよく見かけるような理論であるし、これ自体はどうも私の個人的な意見ながら広く普及した価値観でもあると思う。だからこそ、


 感情を失った私の人生は、電池切れ寸前だった。


 人生のエネルギー源は、あまり表出しない珍奇な感情。それに加えて、食欲。

 むしろ食欲がメインで、他には殆ど何もない。

 生理的欲求。一次の欲求。ただそれだけ。

 私はすでに人間らしさを失った人間の搾りかす。

 食欲を満たすためには金が必要なことは理解しているから、仕事はする。仕事をして、食欲を満たす。ただそれだけの生活。食事をする瞬間のために私は生きている。

 それでも、私はこの生活を、つまりはこの命の灯を、打ち切る理由も打ち切らない理由もない。

 死ねといわれたら死ぬ。死ぬなと言われたら死なない。私は他人のいうことを聞くだけのロボットに成り下がった。


 (かなえ)。私の古い友人だ。

 どれくらい古いかというと、私が感情を失くす前の明るかった(らしい)私を知っているくらいの。

 彼女はよく快活に笑う。私が気に入っていたのはそういうところだった。

 もう今は彼女に対してなんとも思わない。が、思い出補正というものは何事にも適用されるようで、ほかの有象無象に比べて彼女に言われたことはよく聞くことにしているし、彼女は私の食糧源以上のものであるという認識はある。

 だが、それでも私にかけられた呪いというのは強く、どんなに頑張ってもそれ以上の感情を抱くことができない。

 昔は彼女といて楽しかったのだが、今は何が楽しいのかがわからない。

 今でもボーリングやカラオケなどの遊びに連れていかれることがあるが、私にとっては義務的にこれをこなすだけの時間になっている。

 それでも彼女は楽しいようで、私がボーリングで毎回満点の300点を出すようになってからも、今までと同じように大口を開けて笑う。カラオケでは百点を出すことはできないので、99.7点あたりをうろついている。叶は80点前後をうろうろして、なぜか全然成長しない。それでも楽しそうだ。

 失敗したら修正するのが人間ではなかったのか。なぜ彼女は点数を上げないのだろう。練習すれば点数は上がるのに。

 私には、感情を失ったことで分からなくなったことが増えた、と思う。カラオケの点数の話もその一つだ。もしかしたら、感情とは関係なくて、年齢を重ねたことによる情報量の差が原因かもしれないが。

 比較の仕様がないのでこれもわからないのだけれど。


 今一番不可解なことは、叶がどうして私に構ってくるかだ。

 彼女が自己完結的な行動をすることはめったにない。誰かのメリットになるような行動をする。それはつまり、彼女は私と一緒にいることに何かしらの意味を見出しているらしいということだ。しかし、私といることのどこに、何に、意味を見出しているのかがわからない。私に意味があるとすれば、それはいったい何になるというのだろうか。

 私の存在に彼女はどんなことを思っているのだろうか。


 私の思考はそれより先にはいかない。分からないことは考えたところで分かるわけがないから。意味がない。

 そもそも、叶に関することと、進級にかかわる勉強以外で考えることは少なくなってきている。

 考えなくても顔を洗って制服を着ることができるようになっている。一種の睡眠状態(いわば夢遊病)のようではあるが、これは睡眠とは違いただ消費エネルギーを節約しているだけだ。余計なことを考えると頭痛がする可能性がある。痛いものは不快だ。だから避けたい。

 そう、私には感情がないとは言え、微小な感情は感じることができる。例えば、おいしいものを食べると快感がする。そして、食べ過ぎると不快感がある。

 痛いと不快。

 臭いと不快。

 暑いと不快。

 寒いと不快。

 煩いと不快。

 世の中は不快なものにあふれている。だから、自然とそいつらを避けたくなる。

 不快なことにはかかわらない。不快になりそうなものには警戒する。

 そんな感じで生きてきた私は、不快なことから解放されるために死のうと思った。

 しかし、私は生きている。

 なぜかと言われれば、それは叶に死ねといわれていないからから。

 叶に死ねといわれたらすぐに死ぬ。


 だから、叶にこんなことを言われたとき、私は余計わからないことが増えた。叶のことも、自分のことも、そしてこの言葉の示唆するところも。

 分からないことだらけ。


(しずか)の感情を取り戻しに行こうよ!」


 私の感情を取り戻しに行くという意味が分からない。

 私が感情を失ったことは把握しているし、それを奪った組織があることも把握している。

 それを、たった一人の思い付きで取り戻せるものなのだろうか。

 そもそも、私の感情を取り戻して何になるというのだろうか。


 確かに、楽しいという感情が現在私が持っている食欲などによる快感を何百倍にもしたような良いものであった記憶はある。

 でも、それがあるから何になるというのだろう。

 快の感情は別に生きる意味どころか行動方針にさえあまりならない。むしろ、感情の中には悲しいといった辛いものもあるみたいだ。

 私はそのことを本当の意味では知らないのだけど。

 感情をなくしたとき、私は年齢としても精神としてもおそらくは未熟だった。悲しみを感じた経験があまりないのだ。悲しいという感情に対する理解は上辺だけでしかないという自覚がある。他人の、もしくは空想の、物語の上でしか知らない。

 まあそれはともかく、肝要なのは私がそこまでして快の感情を増幅させようとは思わないということだ。

 そもそも、感情を奪っていった奴らは人間ではない。

 文字通り人間離れした能力を持って、私たちに襲い掛かってくるのだ。いくら文明の利器があるからと言って、それをもろともしないような奴らに渡り合って勝機があるとは思えない。

 私が死ぬことはともかく、叶には夢があると言っていたし、ここで死ぬのは拙いだろう。

 それに、痛いのは嫌だ。不快だ。格別に不快だ。


 私は痛いことになりそうだったら逃げる。叶のことは大切だが、別に私が痛い思いをしてまで助けようとは思わない。

 死ねるんだったら話は別だが、死にもしないのに不快な思いをするのは嫌だ。

 不毛な、無駄な不快感を得ることに何の意味があるのだろう。

 死ぬ際には不快感を必ず得ることになる。だから、それ以外の時は極力不快でいたくない。

 私がそういうスタンスであることには変わりない。

 私は不快でなければ、あとは大抵なんでもいい。


 だが、私も無駄に生きているだけの日々に、何も思わないわけではないのだ。

 嫉妬や焦りを覚えなくとも、ロボットであることを肯定していても、やはり虚無感がある。別に何か不足しているわけでもないが、それでも私は思い出補正があるためか、自分が人間らしくないということに何かよくないものを抱いているらしい。

 私が何も生み出さない人間の搾りかすであることに、何かの後ろめたさがあるらしい。


 叶の口車に乗ることも悪くないかもしれない。

 そもそも、今まで叶のお願いはほぼすべて聞き入れてきたのだ。これを断ったら、逆に意識していると思われそうだ。いや、別に思われてもいいのだけれど。

 適度に手を抜きながら、痛いことを避けながら、のほほんと取り戻すというのなら計画に乗ろうじゃないか。どうやって感情を取り戻すのかわからないけど。

 何をしていたって一緒なのだ。

 どうせ私には、感情がないのだから。

 それなら、叶の言うとおりにしても一緒なはずだ。


「いいよ」

「りょーかい。じゃあ、静はまず楽しいという感情を取り戻してもらいましょー!」


 私が失った感情は、喜怒哀楽の四つである。これは単に奪われた経緯によるものだ。

 喜怒哀楽の中では、最もエネルギーを蓄えるのは怒りである。これはこの世界の常識である。いや常識となりつつある。

 この間、奴らによる大規模侵攻があり、多くの人々の怒りのエネルギーが少しずつ吸い取られていった。襲撃されたのは都心の大きなオフィスビルなど、しかも昼間。多くの人間が勤務中の時間帯に起きた襲撃だった。

 ところが、不思議なことに、怒りのそのエネルギーの大きさに反して、人間に怒りの感情が少なくても案外社会の歯車はきちんと回っていくのだ。襲撃を受けた会社は何ともない。

 それゆえ、政府はあまり積極的に奴らと対立していくような政策をとらないでいる。まあ、そもそも奴らにこちらから接触することはできない上に、奴らを刺激したらどんな報復があるかわからない。対立したくないのも当然だろう。

 それに、日本だけでも怒りを奪われた人数は人口の0.001%にも満たないわけで、結局は政府にとって何も変わらないのである。むしろ仕事効率が上がって経済が潤ったと極端な解釈をする学者もいるくらいだ。

 話はそれたが、感情というのは所詮、本来、そういうものだ。

 なくても、社会では生きていける。

 むしろ、ない方が優秀だと評価される。

 だから、排除される。

 淘汰される。


 楽しさ。

 それは人生の中枢を占める、生きる意味にもなりうる重要なファクターだ。

 楽しいことなら、多少苦しくても続けられる。

 私は苦しいと思うような感情があまりわからないので誰かの受け売りだが、この言葉は小さい頃の感情を失う前の私が聞いたら理解できたのかもしれない。

 楽しいという快は、苦しいという不快を時に凌駕する。そういうことらしい。

 私には難しすぎる話だ。


 楽しいという感情には、しばしば黄色があてられる。

 明るい色、太陽などに揶揄される、元気や温かさを示す色だ。黄色がイメージカラーの人間とは、底なしに明るい人間、笑顔の絶えない人間、そんなイメージが付随する。

 叶はそういったタイプかもしれない。

 金髪だし。

 一方で、黄色とは、時折警戒色の一部としても用いられる。

 黒と黄色の縞模様は、近寄ってはいけない雰囲気を醸し出しているものだ。

 黒。

 色を見境なく混ぜたら、たいていはこの色になる。つまり、黒は色の闇鍋である。何色を混ぜたのかは黒を見て判断することはできない。

 どんな組み合わせでも、混ぜすぎれば闇なのである。

 混沌の代表である黒色と、明るさや元気の代表である黄色が交互に来る。このような文様ははっきり言ってカオスである。乱高下のいびつさを感じる。

 薬物を服用すると、楽しいと感じるらしい。それも異常なほどに。そして、効き目が薄れると、鬱になるものもあるらしい。そして、先ほどまでの楽しさをもう一度味わいたいと思うのだ。それが薬物の中毒性のもたらす感情らしい。

 つまりは、黒と黄色の縞模様とはすなわち、危険で中毒性のある、楽しい闇なのである。


 ところで、楽しいという感情は小さいころに結構お世話になっている。

 当時小学生だった私が、叶やほかの友人たちと笑いながら遊んだ記憶はきちんと残っている。

 笑いながら。楽しく。

 怒りの感情にも覚えがある。

 うれしいと思ったことは多くはない。

 悲しいに関してはほとんどない。

 そう考えると楽しさを初めに取り戻すというのは案外いろいろと考えられた末の結果なのかもしれない。叶はどんなことを考えて、現在楽しいという感情と向き合っているのだろうか。

 私は、どのようにこの楽しいという感情と折り合いをつけたのだったか。そもそもついていないのか。

 楽しいという感情を取り戻した後の私はどうなっているのか。

 私には、分からないことだらけだ。


「わかった。」




 今、私は叶とともに船の上にいる。

 なぜかというと、楽しいという感情を取り戻すためだそうだ。そうするとそれがなぜ感情を取り戻すこととつながるのかということが疑問になるのだが、まあ、それは別にどうでもよいので聞かない。

 聞いたところで何も生まない。

 聞いたところでお腹は膨れない。


「あたしね、気づいちゃったんだ~。この世で一番楽しいことといえば、マリンスポーツでしょ!ってことで、島に遊びに来たんだよ~。」


 何を言う。

 この世で一番楽しいこと。

 そんなもの、人によって、時間によって、さまざまに変わってくることくらいは()()だろう。

 それとも、そんなことはとうに織り込み済みなのか。そのうえで、この世で一番などという文句を使っているのだろうか。

 叶の言い方だと、カラオケやボーリングと同じで遊びに来たことと全く変わらないようだが。もしそうならば、食費が減るからあまり遠出はしたくないのだが。


「それでねそれでね、あたし、一生に一度でいいからダイビングってやつをしてみたかったんだ~。だからね、一緒にやろうよ!」

「うん」


 まあ、それでも私は叶の言いなりになる。

 なんだかんだで叶の言うことに従わないことはめったにないのだ。


 ここは、沖縄県のとある島。なぜ沖縄なのか、小笠原諸島でいいだろうとか、伊豆大島でいいだろうとか、挙句の果てにその辺の砂浜でいいだろうとか考えたものの、『こういうのは形から入るのが大事なの』と言われしかたなくのこのことついてきた次第である。

 ちなみに私はお金に関しては厳格だ。食費以外に金を使うなど愚か者のする行為である。

 現在はバス停から徒歩四十五分の賃貸六畳一間風呂トイレ共同の部屋に住んでいる。十七歳の女子高校生の生活場所としては最悪らしい。

 どうして最悪なのかは私にはわからないが。『東京にこんなところあるの!?』とは叶の談だ。

 まあいろいろな費用を切り詰めている私にとって、沖縄までの交通費は馬鹿にならない。というかものすごく痛い。叶じゃなかったら断っていたところだ。


 船着き場につくと、海岸線に沿って十五分くらい歩いた。その合間にイカ焼きが売っていたので高かったが買った。

 海岸線を歩きながら食べるイカ焼きうめぇ~。

 ついでに焼きとうもろこしもうめぇ~。


 ダイバーでインストラクターの海野(うんの)さんと出会った。

 ぴっちりしたダイビングスーツを着てもなお胸がわからない貧乳っぷりだ。

 女性用のこういうスーツって胸を支える部分があるので、いくら小さい人用でもそれなりに胸に見えるようになっているはずなのだが。彼女は体だけ見たらまるで男性だ。

 いや、もしかしてこれは男性用のもの?

 なんだか彼女にも闇がありそうだ。まあ、聞いたところで疲れるだけなので聞かないが。


「海には危険がいっぱいです。毎年海での事故は絶えません。私も過去一人の命を目の前で喪ったことがあります。だからこそ、私は人一倍安全に対しては厳しく当たります。いいですね?お二人さん。」


 どういう予約の仕方をしたのかは知らないが、彼女が私たち二人を見てくれるようだ。ちなみにこういうのって二人のインストラクターが十人くらいまとめてみるようなものだと思っていたが、私の思い違いなのだろうか。

 人が少ないとそれだけ私の特異性が目立つのは少しいただけない。


 人を亡くすと悲しいらしい。

 様々な物語をみてきて、そういう知識をつけてきた。

 常識として、そういうものだと思っている。

 私は目の前で人を亡くすような経験をしたことはないが、このダイバーの海野さんは実際に目の前で人の死を見た。

 そのときは、かなしいと思ったのだろうか。

 それとも、所詮観光ダイビング体験だから、出会って一日二日、あまりかなしいとは思わないものなのだろうか。

 そもそも私は人の死に対して何かリアクションをとれるのだろうか。

 『食料源を失った』くらいには感じれるのだろうか。私に食料をくれない人だったら、本当に何も思わないのだろうか。

 それとも、死体が発する血や内臓の生臭さに逃げ出すのだろうか。通常の人間ではあり得ない挙動に不快感を覚えるのだろうか。

 どちらにせよ、安全に気を使うことは世間一般から見て、常識的に見て、悪いことではない。たぶん。


 ダイビングスーツに着替えた。

 今回のダイビングはスキューバダイビングと呼ばれるやつだ。安全メガネみたいなゴーグルに、掃除機のホースみたいなものを口にくわえて、酸素ボンベを背負いながら潜水するものだ。

 酸素ボンベは基本的に結構な積載量がある。三十分から一時間程度潜り続けても平気なようになっている。基本的には十五分ほど潜水したら上がる。その時間になったら指示が出るということを事前に海野さんから聞いた。不快にならないように、適度にダイビングをするとしよう。

 ところで、どうやったら魚を捕まえることができるのだろう。

 (もり)でも渡されるのかと思っていたが、渡されないまま船に乗り込んでしまった。それとも、貝なら手づかみでも取ることができそうだから、今回はそっちがメインなのだろうか。


 長々と海野さんは説明を続ける。危険な海生生物を写真付きで紹介してくれたり、危険な海流の兆候を復唱させたり、スーツについている緊急時に押し込むとGPSが信号を発信しアラームが鳴る機能を説明してくれたりと、様々な方法で海の危険について説明してくれる。

 私はそれよりも何が食べられるのかを教えてほしいが。

 そして、最後に『絶対に船から離れないこと』と念押しされて、ようやく船から降りて海に入ることが許された。

 長かった。正直長すぎて途中は聞くことにエネルギーを使うことが無駄と思い始めるくらいだった。


「じゃあ、一緒に飛び込もうよ!」

「うん」

「駄目ですよ、水が冷たくて体温が下がると体が動かなくなる可能性もあるんですから。」


 医学的知識はあまりないようでふわっとした説明だったが、一応急激な温度変化によって血圧が急激に変化して、脳卒中を起こす可能性があったりするらしい。

 海野さんに丸め込まれた私と叶はゆっくりと足から順番に水につけ、最後に肩まで浸かった。

 夏でも冷たい海というのは不思議な存在だ。

 冷房のおかげで都会の空気は暑くなっている。

 外気に触れるものは熱くなっている。

 その例外が水だ。海や川のみがその例外になる。打ち水にも案外大きな影響がある。


 そういえば、今更だけど、今日は七月の月初。水曜日。なぜ学校に行っていないのだろう。

 なぜ私は無断欠席をあっさりと容認したのだろう。

 甚だ疑問である。

 これが噂のサボりってやつか!?


 まあ、そんなことはどうでもいい。今は、食べられる魚と貝を見つけることに大忙しだ。ということで、ゴーグルをつけて海に顔をつけてみた。つめたい。

 海の中は青い。

 近くも遠くも、程度に差はあれど例外なく青に染まる。

 ある意味では海中も地上も、周りにあるのが空気か水かという違いだけだ。海に棲む魚から見たら、地上は青の補色である黄色に染まって見えたりするのかもしれない。

 黄色、か。

 楽しみを見出すために青い海に潜るとは、なんとも因果の在りそうな話だ。


 魚の影は見つけることができる。しかし、思ったよりも少ないうえに、どれが食べられるものなのかがわからない。

 できれば、高級魚と呼ばれる食べ応えのあるものを見つけたいのだが。


「すみません。食べられる魚を教えてください。」


 海野さんに聞いてみた。なぜか教えてくれなかった。




「静ちゃ~ん、こっちきて~!」


 私は叶に呼ばれて振り返る。

 いつの間にか結構遠くに彼女はいた。私は魚にしか興味がなかったのでその場にとどまって海中をキョロキョロしていたが、彼女は冒険心あふれるチャレンジャーなので、あっちこっち行っていたのかもしれない。

 呼ばれたので、行くことにした。船から離れているのが少し気がかりだ。叶の近くについたらこっちに戻ってきてもらえるよう進言しよう。

 海野さんが『船から離れないこと』と言っていたこともあるし。

 彼女はまだ死にたくないらしいから。私は別に死んでもいいのだけれど。

 私は水泳は割とできる。

 感情を失くした私を気遣っていろいろと手を尽くしていた両親に、水泳教室なるものに連れて行ってもらったことがある。

 両親は私の食の手綱を握っていたので彼らのいうことには絶対服従だった。多少不快でも食のためなら我慢できた。大会に出ろと言われたから出たこともある。

 でも、両親がいなくなってからは続ける理由がなくなったのでやめた。

 水泳教室は結構な金を浪費するのだ。


 プールとは勝手が違う波の中でクロールをしながら、私は叶のいる場所に追いついた。


「叶、戻ろう」

「や~だ。それよりねえねえこっち来てよ。ほら、見て、あそこにきれいな珊瑚礁があるよ~!見ていこうよ!」


 彼女は私の進言を断って、さらに船から離れる方向に進んでいく。後ろから海野さんが泳いできているが、それも無視してさらに遠くへ向かう。私もされるがまま連れていかれる。


「叶さ~ん!静さ~ん!戻ってきてくださ~い!」


 海野さんの声が聞こえる。

 それでも、私は叶のいうことを聞くことにする。

 珊瑚の群生地の真上にたどり着いた。

 近年珊瑚はどんどんと数を減らしている中、ここの珊瑚は見事に色鮮やかに花を咲かせていた。

 さらに叶は私を連れていき、そして潜る。

 水面よりも下に顔がはいれば、やがて海野さんの声も聞こえなくなった。

 潜る。

 潜る。

 深く、深く、深く。


 水圧を直接的に感じるような推進になってから、私は気づいた。

 命の危険というやつにだ。

 ダイビングは基本的に二十メートル程度で終わるようにしてあるものだ。もちろんプロはもっと深くまで潜るのだろうが、素人には二十メートルでの水圧でも結構で、プールとは全然違う体の利きの悪さに慌てたり、体勢が戻せなくなったりするのだ。体の制御を失うことは、こと水中においては命取りだ。だからこそ、ダイビングでは水深を下げることはあまりしないのだが。

 調子に乗ったのか、叶はさらに深くへと向かう。まったく水深を上げる気配はない。

 命の危険があることを彼女に伝えたいが、水中ではあまり音は通らない。必死に肩をたたいているのだがこちらを向いてくれない。

 むしろ何かに惹かれるように推進を下げる彼女に少し違和感を覚えた。

 彼女は破天荒ではあるものの、度を越した行動はあまりしないというのが私の認識だった。

 今回のこれは明らかに度を越している。

 もしかしたら、もう助からないレベルまで来ているのかもしれない。そんな考えを抱き始めた水深三十メートル、私はとあることに気づいた。


 珊瑚礁のある海域に、こんなに水深があるというのは不自然ではないか?ということだ。

 珊瑚礁は基本的に浅瀬に生息する。浅瀬とは、推進の浅い範囲が広いことが必要である。つまり、水深数メートルから十数メートル程度の深さがあたり一面に広がっているような条件が必要だ。一方で、今すでに三十メートル程度になっているこの場所は、まだまだ底が見えてこない。

 深い青が、それもこのきれいな海で先が見通せないほどの深い青が、眼前に広がっている。

 はっきり言って、これは異常だ。

 先ほど、船から、つまり海の上から珊瑚礁を見た時でも、このような深さのある海域は見当たらなかった。にもかかわらず、今見える範囲はずっと海底の見えない深さがどこまでも広がっている。

 何かがおかしい。

 上を見上げてみれば、太陽が差し込んできていることしかわからない。

 少なくとも、珊瑚礁の見る影もない。


 叶は何か知っているのだろうか。それとも何かに縛られて、何かに魅入られて、狂ったように水深を下げているのだろうか。

 そんな折、突然水深を下げることをやめた叶がこちらを向いた。

 何をするのか。

 この異常な光景に私のロボット的思考力をもってしても対処がうまくいかない。

 予想できない。

 薄暗くて視界が悪い中彼女は、身構えた私のゴーグルをとり外した。

 さらに視界が悪くなった。

 何をしたいのだろうか。

 私は目に海水が入るのは嫌なので、不快なので、彼女につかまって居よう。

 そんなことを考えていたら。

 私は、

 次に私は、


 叶に酸素ボンベを外された。


 驚いて目を再び見開いてみれば、彼女はもうすでに酸素ボンベを棄てていた。

 重力に従ってゆっくりと降下していくそれを見て、私は理解した。

 彼女は私とともに心中を図ったのだ。

 何があったかは知らないが、普段から死にたがっていた私とともに、死ぬことを決めたのだ。

 それならそうと言ってほしかった。

 溺死なんて不快じゃないか。

 もっと簡単に死ぬ方法なんて探せばあるだろう。

 海外に行って安楽死がベストだが、あれは処方されない限りなかなか手に入らない。死ぬ理由のない私たちにはもちろん処方してくれないだろうし。

 やっぱり溺死も悪くない死に方なのかもしれない。


 せめて、私は叶の決心を見届けようと、沁みる目を再び開けた。

 予想通り彼女は酸素ボンベを外しており、目をつむって苦しみに耐えているようだった。

 私も不快だ。

 息ができない状態になることはなかなかないので、初めての、理解しがたい不快さだった。

 まるで、胃の中の食べ物が全部出てきそうな。

 それは嫌だな、なんて思いながら、私は意識を手放すのだった。

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