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『23』

『23』

「時間をいただきたい」

政大将軍のセルジーン・マッツァニルは、デルソフィアの話に一切の言葉を差し挟まずに耳を傾け、聞き終えた次の瞬間には、きっぱりとそう口にした。長身痩躯でありながら存在感は極めて太い、摩訶不思議とも形容されるセルジーンの威厳は相変わらずで、デルソフィアも異論を挟まず、無言のまま首肯していた。

神皇帝一族を除けば、全世界の民が上り詰められる地位の最高峰、それが武大将軍と政大将軍と言えた。神皇帝一族の側仕が、それぞれの主のために力を注ぐことを第一義としているのとは異なり、武大将軍と政大将軍は、皇国の現在のあり方、未来のあるべき姿が、いかに理想に近付けるかに、その身を賭す存在でなければならないとされている。神皇帝一族とはいえ、皇国の益にならぬ者や行いに対しては毅然と非を唱えられなくてはならず、セルジーンも武大将軍のヨンアン・グルキュも、たとえ相手が神皇帝フガーリオであっても、意見具申できる数少ない存在だった。

そして先刻のクリスタナの発言に繋がるわけだが、神皇帝一族の皇子が政大将軍に会いたいと願えば、それは他の者より容易に適うものの、皇子の話や意見、願いだからといって右へ倣えで全て受け入れられることはない。畢竟、こちら側へ巻き込むにはデルソフィア次第ということになるのだ。

ジェレンティーナの居室を後にし、セルジーンの居室を訪れたデルソフィアとハーネスは、居室前に立哨する部下に取り次ぎを依頼した。だが、やや待たされた挙句に即座の入室は許されず、再訪してほしい時刻を告げられた。

その清々しさすら覚える政大将軍セルジーンの在り様に、神皇帝は全てにおいて優先されるーーという言葉の本質を履き違えた神皇帝一族の者たちを思い浮かべたデルソフィアは、彼らの大半が、セルジーンとの触れ合いを極力避けているという話を思い出し、微苦笑を浮かべた。

「ここで待つ」

デルソフィアがそう伝え、居室の向かい側にある壁前にハーネスと並び立つと、初見からここまで表情をまったく変えなかった政大将軍の部下も、思わずといった態で目を見張った。

神皇帝一族の皇子が、政大将軍とはいえ位が下の者を待つために、自分と同じように立哨する様は、彼の中で想定され得る範囲から大きく逸脱していたのだろう。戸惑いを隠そうと、必死に無表情を創り出そうとしている政大将軍の部下に、デルソフィアは「おまえは何も気にせず職務を遂行しろ」と言葉を投げると、力強く頷いてみせた。

目を閉じて頭を微かに振ると、まるで異端なるものをその裡へ取り込まぬようにするかごとく、政大将軍の部下は視線を必要以上に上方へと向けた。

神皇帝一族の皇子が皇宮内の何でもない廊下に立哨するという構図は非常に稀であったが、それはそう長くは続かなかった。政大将軍の居室内から別の部下が現れると、立哨するデルソフィアに一驚する姿を晒したものの、すぐさま平静を装った無表情を取り戻し、恭しく居室内に迎え入れた。

デルソフィアが目の当たりにした、政大将軍の部下二人の一様な挙措動作には、神皇帝一族とも一線を画す政大将軍の在り様を徹底している表れだと感銘を受けた。それと同時に、クリスタナとの会話以降、今の今まで思い描いていた政大将軍との話の進め方をあっさりと放擲し、あるがままの事実をぶつけようと決めた。その結果が、「時間をいただきたい」というセルジーンの言葉であった。

「何も知らない」「力にはなれそうもない」といった類の言葉ではなく、「時間がほしい」という言葉の裏には、協力する意志が潜んでいるように思えた。すなわちそれは、現在も存在が明らかな傑出した力を備えた一族の出身者で、皇宮あるいは皇国内にいる者の消息を知悉していることを証しているとも言えた。

路が拓けていくように感じたデルソフィアは、セルジーンとの邂逅に至った経緯を踏まえ、そこに宿命的なものを抱くと同時に、次にセルジーンと会う時には自身を取り巻く環境に何か劇的な変化が訪れることを予感し、胸が高揚していくことを自覚した。


セルジーンからの招聘は、二日が経過しても無かった。この間、デルソフィアとハーネスは睡眠と食事の時間以外、そのほとんどを剣の稽古に充てた。他にすべき事柄が無かったとも言えたが、放っておけば高揚し続けてしまう気持ちを落ち着かせるために、息も絶え絶えになるほど体を動かす必要があった。

前の刻の稽古を終え、居室に戻ったデルソフィアは湯を浴び、着替えを済ませた。まもなく昼食となるが、セルジーンからの招聘は今日も今のところまだ無い。

セルジーンの身に何かあったのだろうか。もう一度、こちらから訪ねてみるべきだろうか。

デルソフィアの心内には、幾らかの焦燥が芽生えていた。焦燥を紛らわすために、居室内を歩き回っていると、居室の扉を外から叩く音が聞こえた。

セルジーンからの招聘に違いないとの思いが、デルソフィアの扉へ向かう足取りを軽くし、扉を開ける力にも勢いが増した。

しかし、扉の向こう側にいたのは、まったく想定していなかった人物だった。むしろ、セルジーンの部下よりもよく知っている人物。スカーレットだった。

「どうした、スカーレット?」残念がる気持ちは表情に出てしまったが、せめて口調だけはと、ことさら平板な口調を心がけた。

「デルソフィア様、今すぐ私の居室へお向かいください」

「スカーレットの居室に?何故だ?」

「理由は後ほど。私もすぐに追いますので、人目につかぬようにして急いでお向かいください。ハーネスが中にいる筈ですので、扉を叩けば、中から姿を現わすでしょう」有無を言わせぬ気配をスカーレットは纏っていた。あまり目にしたことのないスカーレットの姿を前に、デルソフィアも事の緊急性を理解した。

扉を閉め、居室内にとって返したデルソフィアは再び着替えた。借りたままになっていたハーネスの乗馬服を纏い、日除けの帽子をかぶった。これまでに何度か皇宮を抜け出る際に奏功した変装で身を固めた。

居室を退出する時には細心の注意を払った。扉を僅かに開け、辺りの様子を窺った。

変装していても、居室から退出する瞬間を見られれば、デルソフィアであると気付かれる可能性が高い。幸い、辺りには誰もおらず、デルソフィアは僅かな隙間から滑り出すように廊下へと出た。

人目につかずにという要請の第一関門を突破した安堵からか、若干余裕の生じたデルソフィアの心は、スカーレットの言葉の先を推察した。

何かは分からないが、何かが起きたことは間違いない。それは、デルソフィアが自身の居室に留まっていると不都合な何かだ。スカーレットが現れたということは、実姉ウィジュリナも、関与している可能性がある。

いくつかの推察をしてみたが、外枠ばかりに焦点が合い、本質はなかなか浮かび上がってこなかった。デルソフィアは早足となり、スカーレットの居室へと急いだ。そこでスカーレットが、いま起きている事柄を説明してくれる筈だ。

神皇帝一族の側仕の居室は、皇宮の地下一階にあった。同じ造の居室が幾つも並んでいる。それは、神皇帝の側仕も皇子や皇女の側仕も変わらなかった。

スカーレットの居室前に立った。その居室はハーネスとクリスタナの居室に挟まれている。

辺りを窺うと、ここでも幸いに人の目は無かった。その僥倖に感謝し、デルソフィアは扉を軽く叩いた。

ややあって、扉の向こうから「はい」とくぐもった声がした。常とは異なるが、それがハーネスの声であるとデルソフィアには分かった。

「俺だ」短く、名乗らずに応えた。

次の瞬間、扉が内に開かれ、僅かにできた隙間からハーネスが顔を覗かせた。デルソフィアを認めたなら、本来は大きく開かれる筈の扉も、今は人一人が通れる程度だ。それがまた、事柄の重大性を示しているようだ。

室内に入ると、デルソフィアとハーネスは顔を見合わせたが、無言のままだった。共に相手が詳細な状況を把握していないことを悟っていた。すぐに追うといった言葉通り、程なくして居室の主が帰還した。

スカーレットはデルソフィアとハーネスを交互に見遣った後、「急なお願いで、誠に申し訳ございません」と頭を下げた。

「それは構わぬが、一体何が起きているのだ?」何も知らない二人を代表してデルソフィアが問うた。

「はい。それを今からご説明いたします」

「頼む」

「先刻、ある筋から驚くべき情報を得ました」スカーレットはそこで一旦、言葉を区切り、覚悟を決めるかのようにゆっくりと瞬きをしてから続けた。「今日の夕食の場で、デルソフィア様がオッゾントールさん殺害に関する教唆の罪で捕らわれるというのです」

「なんだと!?」

告白の衝撃に即反射するかのようにデルソフィアの声が居室内に谺した。一方のハーネスは、衝撃をまともに受け止めてしまったかのように押し黙っていた。

デルソフィアの怒声が続く。「何故だ?何故そうなる?しかも教唆だと?誰を教唆したというのか?実行犯は誰だというのか?」矢継ぎ早に問いを重ねた。

連鎖する問いにスカーレットが沈黙していると、声は別の方から響いた。

「私……ですか?」ハーネスの声は弱々しく掠れていた。

「そう。実行犯はハーネス。デルソフィア様と同時刻にハーネスも捕らわれることになっている」

「ふざけるな!誰だ、一体?そんな情報を吹聴しているのは?」

怒りが突き抜けた。そんなデルソフィアを前に、スカーレットはただただ恐縮し、小さな身体がさらに縮こまって見える。

「申し訳ございません。その者を明かすことだけは、ご容赦ください。その者も、上の決定を私に教えてくれただけなのです。デルソフィア様ご本人に話した時点で、私はその者を裏切っております。ですが、もし本当にデルソフィア様が捕らわれれば、一番悲しむのはウィジュリナ様です。それらを天秤にかければ、傾きは必然でございます。何卒お察しくださいませ」

恐縮の態は示しているものの、それと相反するように口調は毅然とした響きだった。だが、デルソフィアもハーネスも、それに気を留めることはなかった。

「わかった。話をしてくれて、ありがとう」

握りしめた拳の中で幾つもの爪が食い込んでいたが、その痛みがデルソフィアの怒りを微かとはいえ収め、代わりにスカーレットへの礼を口にさせた。デルソフィアは礼を言った次の瞬間には踵を返した。

居室を出て行こうとするデルソフィアを、スカーレットが慌てて呼び止めた。

「デルソフィア様、お待ちください。どちらへ向かわれるおつもりですか?」

「決まっている。父のもとだ。こんな馬鹿な話があるか!何がどうなっているのか、きちんと問い質す。先日、セルジーンに話した内容も含め、俺たちがこれまでに得た情報も突き付けてやる。なに、心配せずともスカーレットから聞いたことは口が裂けても言わぬ」口調は相変わらず怒気を帯びていた。

許せなかった。死すら偽りに染めようとする輩がいる。オッゾントールそのものが汚されていると思うと戦慄し、身震いするほど我慢ならなかった。

「おやめください!」スカーレットは必死の形相でデルソフィアの前に回り込むと、立ちはだかるように両腕を大きく広げた。

「それでは何も変わりません。いや、むしろその場で捕らわれてしまう可能性がとても高いでしょう」

「何故だ?」

「どうやら、フガーリオ様と話をし、デルソフィア様とハーネスを捕らえるように進言したのは、セルジーン様のようなのです」

「何だって?!」

二つ目の衝撃。スカーレットの告白は、まさに波状攻撃のようにデルソフィアとハーネスに襲いかかり、心身ともに侵していく。想定の範囲を遥かに逸脱していた。

「セルジーンがどうして……」

そう口にするのが精一杯で、後が続かなかった。訳が分からなかった。

頭を左右に何度か振り、それを切り替えの合図にすると、先日、セルジーンの居室で相対した時のことを必死で思い出そうとした。

なかなか上手くいかなかった。セルジーンの姿は浮かんできても、語り合った言葉が心の中に結べない。

落ち着け。自らに言い聞かせる。

ふと、ハーネスを見遣ると、動揺した表情をしているが、何かの決断を下したようにも見えた。

「ハーネス?」

名を呼ぶだけで、不思議と心が少し落ち着いた。デルソフィア、そしてスカーレットの視線を受け止めたハーネスは、真一文字に結んでいた口を開いた。

「デルソフィア様に進言いたします……」そこで声に力を込めると、「この皇宮を後にいたしましょう」と続けた。

デルソフィアは、目を見開いて絶句した。ハーネスは、後にするという表現を用いたが、今の状況下でそれはすなわち皇宮からの逃亡を意味している。

事ここにおいても、逃亡という選択を最も厭うであろうことは、デルソフィア本人以上にその性格を知り尽くしているといえるハーネスには、火を見るよりも明らかな筈だ。それでも、ハーネスは口にした。

動揺しているが故の浅慮などではない。自身も殺害の犯人とされている中、二人の未来、いや、何よりもデルソフィアの未来を見据え、選択した路だろう。言下に否定し、却下することなどできない。

茨の路であろうとも、氷の一本橋のごとく頼りない路であろうとも、ハーネスと共にあるならば……。

そう思うと、込み上げてくるものを抑えきれずにデルソフィアは微笑った。動揺、焦燥、怒り、迷い、そうしたものが晴れていき、心の中枢に鮮やかに芯が通る。そして、口にしていた。

「行こう、共に」

デルソフィアの言葉を合図にするように、同時に二人は力強く頷き合った。そこには、主従の関係を遥かに凌駕する、太くて強く、しなやかで逞しい絆が確かにあった。


デルソフィアとハーネスの逃亡劇は丸一日と保たずに幕を下ろした。

夕食の場にデルソフィアが現れず、行方知れずであることが明らかになると、フガーリオはハーネス共々、二人を大罪人の逃亡者と断じ、皇国軍全軍での追跡を指示した。たった二人の少年の追跡に全軍をである。その常軌を逸したと思われる指示にも、相変わらずの有無を言わせぬ態度に終始する神皇帝を前に、一族はもとより、実兄のジェレンティーナ、実姉のウィジュリナも口を噤まざるを得なかった。

皇国軍全軍での追跡は、質、量ともに圧倒的であった。その人の波は、瞬く間に二人を飲み込み、捕らえた。

捕らえられる際に、デルソフィアは一切抵抗しなかった。ただ、真一文字に結ばれた口と鋭い眼差しからは意志が滲み出していた。

真実を明らかにするーー滲み出た意志は、雄弁にそう語っていた。

仮に、この先に待つ未来に思いを馳せることができれば、デルソフィアの意志は楽観的な側面が強過ぎたと言えた。

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