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『20』

『20』

降り注ぐ日差しが花々の彩りに輝きを添え、吹き抜ける風は迷いや不安で濁りかけた大気を清浄へと導いていた。それは、遺された者達へ、まさに天から注がれる恩寵のようであった。

再開されたゴンコアデール院の新たな院長には、ネマル・オームンが就任した。ネマルの院長就任に反対する声は挙がらなかったが、誰もが諦観していた。オッゾントールの代わりはいないと。

唯一無二で絶対的な存在であった頂を失い、院の先行きを不安視する声は確かにあった。だが、指導する側も指導される側も優秀な人材の宝庫は、非常事態に際して一丸となり、そうした声を自ら払拭していった。

院生の誰もが、迷いや不安を胸の奥底に沈めるように秘め、進むべき路の始点を自らの足で超え、歩き出している。頂への尊敬や情景が、頂が最早存在しないという事実を前にその重みを増していっても、強く抱き止めて離そうとせず、歩み難き困難となっても、その輝きは増すばかりだった。

紆余曲折のあったロビージオも、院生の皆と同等の位置に戻ってきている。それは、ニチェンテによる導きが大きい。ロビージオはそう思っていた。

不思議と優しく、心にすぅっと温かみを齎らしてくれたニチェンテの言葉。

感謝しかない。人は変われる。意志があれば、何度でもやり直せる。だから今、探すのだ。自分にできることを。

オッゾントールのために。

そして……、ニチェンテのために。


院が再開されてすぐ、院生には、オッゾントールが生前に記した各人の評価書の存在が明らかにされた。遺品整理の際に発見されたもので、評価書の対象者は在院生だけでなく、これまでにオッゾントールが送り出した者たち全てに及んだ。

新院長のネマルは他の指導者たちと相談した結果、卒院生、在院生のいずれにも評価書を授与することを決めた。在院生については、ネマル自らがオッゾントールの跡を継ぎ、評価書を完成させて卒院と同時に授与するという選択肢もあったが、人を見る目や評する才もまた先代には遠く及ばないという自覚が、そう決断させた。

当然、ロビージオにも評価書は授与された。評価書を手にしたロビージオの中では、すぐにでも読み出したい気持ちと、この高揚感を少しでも先延ばしにしたいという気持ちが交錯した。

だがそんな時は僅かで、心の天秤は一方へ傾いた。オッゾントールの評価を先延ばしにする利は見当たらなかった。

全てにおいて成長する途上にある今、オッゾントールによる評価は、必ずその進捗に多大なる影響を与えてくれるだろう。師が、己のために記してくれた言葉ーーそこへ想いを馳せるだけで、高揚感は振り幅を最大にした。

評価書を持つ手が震えている。右手から左手に持ち替えても、それは変わらない中、ロビージオは深呼吸を繰り返した。

少しずつ心が落ち着き、手の震えも治まってくる。最も大きな深呼吸をした次の瞬間、ロビージオは評価書へ目を落とした。

流麗な文字が並んでいる。その一つすら読み落とさぬようにと目で追う。

次第に、評価書に記された言葉が心の中へと沁み入ってくる。そう、まるですぐ傍で語りかけられているように。

己だけが特別なわけではないだろう。院生全てに愛ある眼差しが向けられていた筈だ。

それでも、ロビージオは嬉しかった。ただただ嬉しかった。きちんと見ていてくれたという事実ももちろんだが、崇拝ともいうべき存在が、己を評価するに足る者だと認めてくれていたことが何よりの喜びであった。評価書を頭上に掲げ、目を閉じて頭を垂れ、最敬礼の姿勢となった。

人が生きていた意味や価値は、死後も無くならず、関わりを持った人が彩りを添えられるーーニチェンテの言葉が改めてロビージオの身内に湧き上がる。

自分が今できる最大限に努めることで、たとえ微細であっても、添えられるべき彩りの一端を担えるなら、歩み続ける人生の光明となり得る。ロビージオの脳裡に、オッゾントールとニチェンテの姿が交互に浮かび上がっていた。


時を少し遡る。

オッゾントールの死後、ゴンコアデール院の新院長に決まったネマルは、院を再開する前にオッゾントールの遺品整理に取り掛かった。全てを遺したいという気持ちが強かったが、断腸の思いで破棄するものも選び出した。

遺すべきものとして最優先したのは、院長室の棚の多くを占めていたオッゾントールの記した書や文献だった。ネマルはその全てに目を通すつもりでいた。ただ、全てをそのまま院長室に置いておくわけにもいかず、一部を残して他は全て幾つかの箱に分類し、院の書物部屋へと運んだ。

折しも、院の再開も決まり、他の指導者たちも何かと忙しく立ち回っていた。まず他者を思い、己で出来ることは己でーー。院の、そしてオッゾントールの訓えを忠実に実行したネマルは、書物部屋への箱の運搬を独りで担った。

書などが詰まった箱は非常に重かった。作業を開始してから間もなく、ネマルは玉のような汗を大量にかいた。

何度目かの往復を終え、院長室に戻ったネマルは、居室にある全ての窓を開けた。風が吹き抜けるようになり、幾分か心地良さが増した気がした。心機一転となり、ネマルは作業を再開し、箱を持って居室を出た。

その時、無人となった居室内に残っていた箱をのうち、最も窓際にあった箱の蓋が、吹き抜ける風に煽られて開いた。続いて、箱内の上部にあった一枚の書が風に吹かれて舞い上がった。

風に嬲られ室内を右往左往するように舞っていた書は、次の瞬間、居室内最奥の窓から外へ飛び出していった。まるでそれを見計らったかのように、再び室内へ強風が吹き込み、開いていた箱の蓋を閉じた。何事も無かったかのように、当該の箱はそこにあった。

一方、外へ飛び出した書は、院の敷地も後にし、やがて皇国街を流れる支流に着水した。沈むことなく水面に浮かんだまま流れていく。

書に記された文字が水に滲み始めた頃、書は拾い上げられた。拾得者は、書に目を落とした。ところどころ文字が滲んではいるが、読むことはできた。

書の冒頭、題名にはこう記されていた。

「ロビージオ・マクマンの実父について」

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