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『15』

『15』

オッゾントールの葬儀には、ゴンコアデール院の全院生が参列した。院生は一団で斎場の一角を占めていたが、若き俊英たちは啜り泣き一つも見せず、真っ直ぐに前を見据えていた。

だが、彼らが涙を堪えていることは、握りしめた拳や真一文字に結ばれた口が小刻みに震えている様からも容易に理解できた。何か一つのきっかけでもあれば、必死になって築き上げている涙に対する防壁は呆気なく決壊してしまうだろう。脆く頼りない若さが懸命に紡ぐ勇奮した態度に、同席する年長者の多くはその胸を打たれていた。

院生の一団の中には、ロビージオの姿もあった。崇拝に近い存在の師を喪った衝撃の余韻が未だに身体に纏わりつき、刻一刻と重みを増してロビージオの挙措動作を愚鈍にしていた。

一体何が起きたのか。

著しく低下した思考回路において、延々と繰り返される疑問の提起であったが、真実を明らかにしようと行動を起こそうとはしていない。死より四日が経過し、葬儀の日となった今も、犯人の手掛かりすら明らかになっていないという状況に苛立ちを覚え、早急な解決を求めているものの、それはすなわち待ちの姿勢を続けていることに等しい。そんな自身に嚇怒はするものの、結局は「何ができるというのか」という言葉で我が身を武装している。

「非常の事態に際し、己に何ができるのかを瞬時にかつ的確に判断し、即座に適切な行動へと移せる者であれ」オッゾントールが日頃から繰り返していた言葉の一つであったが、その一端すら実践できていない。

オッゾントールの死を知った時もそうだった。


眼前で卒倒した女を医務室へ運び込み、女子院生二人が適切な対応をしてくれた後も、ロビージオは医務室内に留まった。どこの何者であるかが分からない以上、そのまま放置してはおけず、眼が覚めるまで待つという覚悟を決めた。キズンとパラも共にいてくれた。

医務室内に留まったキズンとパラが持ち出す話題は、当然のごとく床で眠る女の素性となった。だがロビージオも、出会った時の出来事を語れるだけで、女の素性に関しては無知の極みであった。畢竟、医務室内には沈黙が舞い降りた。

三者三様に、女の正体素性に考えを巡らせるが、正答へと至る標が少なすぎた。そうした中、沈黙を破ったのはキズンだった。「結局は、彼女に直接訊くしかなさそうだね」

「そうね」パラも同意した。

ロビージオにも異存はなかった。するとキズンが、向けていた視線の先をパラからロビージオへと変えた。顔に、いたずらな微笑が滲む。「その役目はロビージオに決まってるんだけど、こんな密室に若い男女を二人きりにするなんてねぇ。しかも彼女は寝てて無抵抗」

「馬鹿野郎。どんな発想してんだ。いや、完全に妄想だぞ、それは」疚しいところが無くとも何故か慌てた態になってしまうのは、こうした状況下にいる男の常であろうか。

「どうだかねぇ。この二人、早くどこかに行ってくれないかな、とか思ってるんじゃないの?」キズンが畳み掛けてくる。

「そんなわけあるか。相手は無抵抗、しかも女だぞ」

「じゃあ、無抵抗じゃない女なら、そんなことあるわけ?」

駄目だーー何を言っても、キズンにその上をいかれてしまう。ロビージオは口論で勝ち目はないと悟り、押し黙ることで、話の流れを変えようと試みた。

それは功奏した。ロビージオを揶揄う態の会話を始めた張本人のキズンが話題を変えた。

「パラが言っていたけど、彼女から血の匂いがするって?」と口にし、長床に眠る女の枕元まで進み、顔を近づけた。

「何も匂わない」首を左右に振る。キズン、それにつられる形でロビージオの視線がパラに向かう。

パラは一切動じた様子も見せず、「強く断言はできないけど、間違いなかったわ」言葉とは裏腹に断言した。

再び三人は思案するように黙り込んだ。

ロビージオは、血と誤解する匂いが何かあるだろうかと考えた。例えば、血は鉄の味がすると、よく言われるが、血と鉄の匂いが同じだという話は聞いたことがない。血は血の匂いであり、他に類似するものなど無いのではないか。血の匂いだとするならば、何故その匂いがしたのか。血から連想される負の側面と安易に結び付けるのは早計だ。例えば、医や治療、或いは血の売買などに携わり、常日頃から血を扱っているのかもしれない。

想像だけで正答に行き着くのは不可能なようだ。やはり本人に訊すしかない。そこへ至ったのは三人とも、ほぼ同時だったようだ。それぞれに目を合わせると、パラが代表して言った。「彼女の眼が覚めるのを待ちましょう」

ロビージオとキズンも頷いた。今度はキズンも揶揄うようなことは何も言ってこなかった。

結論が出ると、ロビージオは無性に口の渇きを覚えた。

「何か、飲物を持ってくるよ」そう言って医務室から外に出ようとした時だった。

大きな鐘の音が響いた。立て続け

に何度も何度も鳴り続ける。

非常事態の出来。この鐘の音が意味するところを、ロビージオも知っている。ゴンコアデール院に入ってすぐに教えられたからだ。だが今日まで、実際に耳にしたことは無かった。

想像していたよりも遥かに大きな音で繰り返される鐘の音に、否が応にも緊張が身内を満たしていく。それはキズンとパラも同じようであった。誰が口にするでもなく、三人は医務室を出た。向かうべき場所は決まっている。鐘が設置された院内最奥のホロン堂だ。

ホロン堂には既に十人程の院生がロビージオ達よりも先んじており、ロビージオ達の後からも幾人かが加わり、最終的には約二十人ほどの院生が集まった。プレミア、リーガ、アン、全ての学級の院生がいるが、やはり下級のアンやリーガに属する者が多い。

それもあってか、ホロン堂に漂う気配には戸惑いの色が濃かった。ただ、最上級のプレミアに属する者達にも、どれ程の非常事態であるかは分からないに違いない。ホロン堂の鐘が非常事態の出来を告げたことは、近年において一度も無いのだ。

その鐘はいま、ホロン堂の中央に静かに鎮座しており、鐘を鳴らしていた者の姿も見当たらない。だがそこは、皇国内の若き俊英の集まりである。戸惑いながらも騒めき一つ立てること無く、次なる展開を待つことができている。

程なくして、次なる展開を担うべき者がホロン堂に姿を現した。副院長のネマル・オームンを中央に左右を実技主任と座学主任が固める。この三人が同時に姿を見せたことが、非常事態の深度を物語っていた。

厳しい表情ーーその場にいた院生の誰もが、三人の表情をそう感じただろう。だがロビージオはふと、厳しい表情の裏に潜む悲しみのようなものを三人ともから感じ、不安を募らせた。

何だ、いったい?

何が起きたんだ?

固唾を飲んで副院長ネマルの口元を凝視し、それが開かれるのを待った。ネマルは集まった院生に向けていた視線を一度逸らし、天を仰いだ。そして言った。

「皆、落ち着いて聞いてくれ」そう口にするネマルの声が震えを帯びている。震える声でネマルは続けた。「我らがゴンコアデール院の院長、オッゾントール先生が……亡くなられた……」

ロビージオの耳にも、ネマルの言葉は届いた。だが、その言葉を咀嚼し理解することができなかった。いや、無意識下で理解することを拒んだのかもしれない。

そこから先の自身の行動を、ロビージオは全く記憶しておらず、次の記憶は二人の男子院生に取り押さえられていたことだった。


当時、殺人犯の目的が何なのか明確になっておらず、標的がオッゾントール一人だけとは限らないことから、院内にいた院生は皆、そのまま院内に待機となった。休日のため、院に出てきていない者に関しては、院の指導者数人が隊を組み、各家を周り、自宅待機を厳命した。在宅していなかった者も全て見つけ出し、命令を徹底させた。

動揺が一線を超えて、逆に静まり返ったホロン堂には、焦点の定まらない眼で繰り返すロビージオの独り言が際立った。ロビージオは、「行かなくちゃ」「行かなくちゃ」と何度も口にしていた。

尋常ではない挙措動作に不安を覚えたキズンが、「ロビージオ」と呼びかけて肩に手を置いた瞬間だった。ロビージオはキズンの腕を取り、背負い投げた。辛うじて受け身を取ったキズンだったが、その変事はすぐに周囲に伝播し、挙動が不審なロビージオを数人が取り囲んだ。

結果的にロビージオの最も近くにいたキズンは、ロビージオの独り言が「邪魔をするな」に変わっていることに気づいた。

まずい。キズンは直感した。

オッゾントールの死が衝撃だったのは、この場にいる皆が変わらない。だがロビージオの場合は、その衝撃が理性を破壊してしまっている。

人が人を想う気持ち、或いはその深度は千差万別だ。悲しみの感情は同じでも、その深度がより深ければ、理性すら破壊されてしまうこともあるのだ。

そう思いながらキズンが立ち上がると、眼前のロビージオは驚くべきことに長槍を持つ構えを見せていた。当然、その手に長槍は無い。

キズンはロビージオに対して、憐憫の情を禁じ得なかった。

「あんたは、そんなになる程、オッゾントール先生のことを……」思わずキズンは呟いていた。

ロビージオを取り囲んだ人の壁を割り、ネマルがロビージオの前へと進んだ。厳しかった表情から悲しみを湛えた表情となっている。その悲しみはオッゾントールの死へ向けられたものが大部分であろうが、眼前の、壊れてしまったロビージオに向けられてもいただろう。

「ロビージオ、落ち着け。非常事態の際ほど落ち着いて、適切な行動を取るよう、オッゾントール先生も常々仰られていただろう。

つらいのは分かる。悲しいのも分かる。声を大にして叫び、この事実を峻拒したい気持ちであろう。だが、それは君だけではない。皆がそうなのだ。思い出せ、ロビージオ。己の事以上に他者のために尽くす、この院訓を」ネマルは諭す口調で優しく語りかける。「さあ、構えを解くのだ」そう言って、ロビージオの方へ一歩踏み出した。

その刹那、無手の長槍を構えたロビージオはネマルへの攻撃へ踏み切った。ネマルの言葉がロビージオに届かなかった一方、ロビージオの攻撃がネマルへ届くこともなかった。

プレミアに属する二人の男子院生が、攻撃へ移ってすぐのロビージオに取り付き、あっという間に組み伏せた。二人に取り抑えられたロビージオは、言葉ではない言葉を叫び続けていた。

裂帛の叫び。

慟哭。

「もういい」二人のうちの一人が、そう言ってロビージオを絞め落とした。

ネマルや指導者達も、ロビージオを組み伏せた二人も、そしてキズンやパラをはじめ、この場にいる全員が憐れみを抱き、ロビージオへと注いだ。そしてまたロビージオの身体が反射鏡となり、憐れみが注ぎ返っていく。それは、オッゾントールを喪ったという事実と共に、皆に等しく注がれた。


絞め落とされたロビージオが覚醒したのは医務室の長床の上だった。傍らにはキズンとパラの姿があった。

覚醒したロビージオに気づいた二人は、特段何も言わず、微笑を浮かべて頷いた。その微笑がロビージオにはとても切なく見え、その因を作ったことを自覚して恥じた。

ゆっくりと上半身を起こしたロビージオは、隣の長床が無人であることに気付いた。ロビージオが問う前に、パラが「ロビージオを連れて、ここへ戻ってきた時にはもぬけの殻」と教えてくれた。キズンも、「一体どうなってんだか」と呆れたように言った。

少し驚きはしたが、どうでもよかった。

その後は、会話らしい会話も無く、翌朝には帰宅しても構わない旨の通達があり、それぞれ帰路についた。キズンとパラに、きちんと礼も言えなかった。

それから今日までの三日間、ゴンコアデール院は臨時の休みとなったが、ロビージオは家から一歩も外に出なかった。碌な食事も摂らなかったため、頰はこけ、身体も一回り縮んだように見えた。

「何が起きたのか」、「何ができるのか」、それらを考えようとするが、帰結するのは「できることなど無い」という諦め。そんな無為な時をひたすら重ねた。

そして今日、葬儀には出なくてはならないという薄っぺらな義務感に背を押され、三日ぶりに陽の下へ出た。陽の光を浴びても、通い慣れた道を歩いていても、ゴンコアデール院の威容を目にしても、院の学友と再会しても、恥ずべき思いが浮かび上がりこそすれ、己を奮い立たせるような気持ちは一向に湧いてこなかった。

非常事に適切な行動を取れずに取り乱した。そして今、「非常事態に際しても、何ができるのかを考えて適切に行動する」というオッゾントールの大切な教えすら実践することを峻拒している自身がある。

ロビージオは思わずといった態で、左右に頭を振った。

「どうしたの?」右隣にいるキズンが間髪入れずに顔を見上げるようにして訊いてきた。左隣にはパラもいる。

取り乱し錯乱しかけたロビージオの姿を目の当たりにし、心配してくれているのだろう。今朝会った時から二人は、必要以上の話をせず、ただそばにいてくれる。

その優しさが沁みる。人の温かみを実感する。心は、気持ちは、凍りついてはいない。だが、「自分にできること」、そこへ至るために思考を動かすことができない。

ロビージオは瞳を閉じた。オッゾントールの微笑が現れ、無意識に手を伸ばしかけた。その刹那、微笑のオッゾントールは消失し、別の者が現れた。

何故だろう。

それは、あの女だった。

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